後日談「コマネズミの恋人」
文化祭が終わり、一ヶ月と少し。
十二月の風は日々冷たさを増し、鋭く頬を撫でていく。
そんな中、純太と翠は休日に駅近くのショッピングモールに訪れていた。
「色々目移りして決め兼ねちゃうね」
人混みの熱気で鼻頭をほんのり赤く染めた翠は、立ち並ぶショップを見渡してそう呟く。隣を歩く純太も同じように視線を巡らせてから相槌を打った。
「一人じゃ絶対無理だね」
◇◇◆◇◇
きっかけは純太の言葉だった。
「ごめん、コマちゃん。俺サプライズとか無理だから率直に聞くね。クリスマスプレゼント、何が欲しい?」
家族以外にプレゼントを贈ったことのない純太には、彼女へのプレゼント選びというミッションは付き合い始めて一ヶ月程度では荷が重すぎた。
好みに合わないものを贈りたくはないし、気負いすぎて引かれるのも困る。価格の相場だってよくわからない。例え珍妙なものを贈ってしまったとしても、翠なら笑って受け取ってくれそうな気がするが、初めてのプレゼントは特に記憶に残るものだろう。
だから絶対に失敗しない方法――本人に直接訊くという手段に出た。
「え、何だろう」
肝心の翠の答えがこれだった。
純太の問い掛けにかちりと動きを止め、たっぷり五秒置いてから差し出された答えだった。
「これ欲しいなってもの、ない?」
「うーん……ちょっとすぐには思い付かないかも。真野くんは何か希望ある?」
カウンターを返されて今度は純太が固まる番だった。
「……え、何だろう」
同じ言葉をそっくりそのまま繰り返してしまう。
確かに、突然問われてみてもパッと思い浮かばない。
餃子が食べたいとか靴紐が切れそうだから新調したいとか、そういうことではないだろう、多分。
「いざとなると出てこないよね」
心中を察してくれたらしく、翠は眼鏡の奥で瞳を細めて笑う。彼女の作り出す、ゆったりとした空気はとても心地が良い。つられて笑ってしまった純太に、ふと別の作戦が浮かんだ。
「じゃあさ、一緒に探しに行こうか」
「プレゼント?」
「うん、店を見て回ってお互いに贈るもの決めようよ」
純太の言葉に最後まで聞き入った彼女はパッと表情を明るくする。
文化祭終了後、最後のミーティングとなる反省会と後片付け、来年の実行委員へ向けたレポートの作成など何かと慌ただしく、それが済んだかと思えば期末テストに追われることとなり。
付き合い始めたばかりだというのに、せいぜい放課後にどこか立ち寄るくらいしか出来ていなかった二人なので、デートの約束に喜んでくれているようだった。
そして年の瀬も徐々に迫りつつある今、二人は互いのクリスマスプレゼントを選ぶために、赤と緑に彩られたショッピングモールに出向くことになった。
◇◇◆◇◇
迎えた約束の日。
部活に行く兄を見送った後、落ち着かない気持ちで時間をやり過ごし、支度を整えた純太は在宅の両親に「出掛けてくる」とだけ伝えて玄関の扉を開けた。乾いた空気を肺に送り込むと体温が奪われる心地だが、睡眠不足の頭をすっきりとさせてくれる。
遅刻だけはしないようにと素早く足を動かして家を出ると、隣家との境目付近に二人の女性が立っていることに気付いた。
「あの、すみません」
何となく予感はしていたが、やはり呼び止められた。ちょうど駅に向かう方向だったこともあり、素直に応じる。
「真野圭太さんはご在宅ですか?」
「……いえ」
二人組のうち、一歩手前に立つ女性が用件を切り出す。
「連絡先がわからないので手紙を書いてきたんですけど……」
鳩尾の辺りで両手を組むようにして淡いピンクの封筒を握り締めている。その手に力が込められているのが見て取れて、皺にならないだろうかと他人事ながら心配になった。
「……兄を応援してもらえるのは嬉しいことなんですけど」
どう伝えようかと言葉を選ぶ。
「家にまで押し掛けられるのは、兄も家族も迷惑しています」
純太の言に軽く頷いたのは後方に控えている女性だった。付き添いであろうその女性は、ここまで来ることに反対だったのかもしれない。
「家まで来る人が結構いて、あなただけ追い返しているわけじゃないんです。押し掛けられる兄の気持ちも考えてもらえると助かります」
「そう、ですよね。突然ごめんなさい」
「いえ、兄を応援してくれてありがとうございます」
軽く会釈をして二人の前を通り過ぎた。
家にまで押し掛けるのはやはりアウトだと今でも純太は思っている。しかし指先が白くなるまで強く掴まれた手紙にあの女性の気持ちが綴られているのだと思うと、誰かに想いを伝える気力がどれほど必要かを知ってしまった純太には全てを切り捨てることは忍びなかった。
(今までの人もそうだったのかな)
兄を思うばかりに、ばっさりと切ったことは何度もある。好奇心で来た者もいただろうし、一大決心をして来た者もいたかもしれない。
だとしたら申し訳ないと思うが、心労に耐える兄の姿を間近で見るのもやはり辛いのだ。
(人を好きになるって難しいな)
初心者らしい感想を胸に今度こそ足早に駅へ向かった。
◇◆◇
「やっぱり普段使い出来るものがいいかなぁ」
無事遅刻もせずに待ち合わせ場所に到着した純太は翠と合流し、ショッピングモールのメイン通りをそぞろ歩く。
通り過ぎる雑貨屋のディスプレイを眺めながら独り言のように呟かれた言葉に、純太も心の中で頷いた。
圭太に借りたファッション誌のクリスマス特集にはアクセサリーが数多く掲載されていたが、まだ自分には早い気がしていた。翠が欲しいと言うのであれば話は別だが、何となく彼女は選ばないだろうという確信があった。
「コマちゃんの生活必需品って何がある?」
「眼鏡とスマホと文房具と……それくらいかな」
「眼鏡掛けたことないからよく知らないんだけど、パーツって自分で好きに選べるの?」
「フレームの形も色も好きに選べるし、こことかここは材質も変えられるんだよ」
掛けたままの眼鏡のあちこちを指差して翠は説明してくれる。家族も視力は良いので眼鏡に関して素人の純太は初めて知ることに感心するばかりだ。
「この色可愛いよね。コマちゃんに似合ってる」
翠のトレードマークとも呼ぶべき桜色の眼鏡フレームは落ち着いた趣きがあり、純太も密かに気に入っている。ストレートな褒め言葉に面食らった様子の翠だったが、頬を徐々に緩ませていく。
「ありがとう。好きなんだ、この色」
相変わらずの真っ直ぐな表現は純太をどきりとさせた。
躊躇いもなく感情を伝えられる翠を羨ましくもあり、怖くも思う。
(『嫌い』とか言われたら立ち直れなさそう……)
彼女がそんなことを言うとは思っていないが、もしそんな日を迎えることがあるとすれば、それはどういうシチュエーションだろうか。
脱線した思考に囚われる純太を余所に、翠は周囲を見回している。
「色々目移りして決め兼ねちゃうね」
選択肢は多ければ多いほど良いというわけではないらしい。たったひとつを選び抜くというのもまた困難なことだと知った。
「一人じゃ絶対無理だね」
翠と連れ立って来たことを心底良かったと思う。自分一人では候補を挙げることすら難しかっただろうから。
それから幾度か通りを往復し、互いにこれだというものを決定した。
「出来ればこのサイズがいいかなぁ」
翠が手にしたのはポーチと呼んでも差し支えない大きさのペンケースで、純太は思わず首を傾げる。
「コマちゃんが今使ってるの、もっと小さいよね?」
直近のミーティングの記憶は新しい。あのとき使っていたペンケースはごくごく普通のサイズだったように思う。
「筆記用具とは別に文房具用のペンケースもあってね。でもカバンの中で迷子になっちゃうからひとつにまとめたいなって思ってたの」
「そっか、生活必需品って言ってたもんね」
「持ち歩かないと落ち着かなくって」
それも元クラス委員の名残なのだろうか。
翠が選んだペンケースは色や柄が複数展開しているので、ここから更に彼女の好みを選んでもらうことになる。
「どれにする?」
「えっと、真野くんにお願いがあるんだけどいいかな?」
「ん、何?」
「ここから先は真野くんに選んで欲しいなって」
思わぬ最終関門が待ち受けていた。
「俺が選んじゃっていいの?」
「うん。どれを選んでもらっても嬉しいからお願いしていい?」
純太は生まれて初めて『お願い』という言葉の威力を知ることになった。
低い位置からそんな風に見上げられて断れるはずもない。
「わかった。頑張って選んでみる」
翠が気を利かせて隣の店舗に出向いてくれたので、その間に吟味する。どれを選んでも良いということならば、純太が考える翠に似合う色にしようと思った。
何度も脳内に彼女の姿を思い浮かべ、並ぶ商品と照らし合わせる。
正解のない問題に取り組んでいる気分になるが、けして苦痛ではない。プレゼント選びの醍醐味を知った瞬間だった。
「じゃあ真野くんのスマホケース見に行こっか」
翠へのプレゼントを購入し、目星を付けていた店舗までまた肩を並べて歩く。
「スマホケースも付けたことないんだよね」
「気に入るのが見つかるといいね」
「選ぶ基準ってなんだろ」
「見た目も大事だけど落としたときのための丈夫さとか、手帳型なら収納ポケットも付いてて便利かも」
なるほど、と納得している間にも目的地に到着する。
今までに関心を抱いてこなかったため、多種多様のケースが並ぶ様子に圧倒される。何をどう選べばいいのか、取っ掛かりも掴めそうにない。
「え、どれがいいんだ」
何となく手近にあった商品を手に取って呟く。しっかりと聞き取ったらしい翠がひとつの提案をしてくれた。
「じゃあ、まずは色から選んでみようよ」
「そうだね、そこから絞ればいいか」
「うんうん。真野くんは何色が好き?」
(コマちゃんは桜色が好きなんだっけ)
こちらを仰ぎ見る翠の眼鏡フレームを見てそう思う。
「好きな色か……」
様々なタイプのケースが並んでいるため、眼前には色の洪水が広がっている。
周囲をぐるりと見渡すと、ある一角に暖色から寒色へ美しくグラデーションを描くように並べられた、シンプルなケースの陳列棚を見つけた。ふらりと足がそちらに向く。
「わぁ、カラーバリエーションすごいね」
「うん。色自体も鮮やかで綺麗だと思う」
発色が良く目に付きやすいので、スマホの置き場所を忘れがちな純太にはピッタリの品だと思える。
「手触りも形も好きな感じだし、このシリーズにしようかな」
もっと悩むものかと心配していたのに思いの外に早く決まりそうだ。
「今度は色を決めるのが大変だね。こんなにいっぱいあると」
翠はそう言うが、純太の心の内はすでに決まっている。
「この辺の色にしようかと思ってる」
「どれどれ?」
人差し指を突き出し、真っ先に目を引いたその色を指差した。
「ここ。好きなんだ、
「へえっ!?」
いつか聞いたことのある素っ頓狂な声が真横で上がる。
「あ、ああー! みどり、緑色ね! うん、綺麗だよね」
今まで見てきた中でこれ以上ないくらいの赤面と慌てた口調の翠に思わず笑いそうになるが、口角も頬も上手く動いてくれなかった。
何故なら、純太も翠に負けないくらいに顔を紅潮させていたから。
「うん、ミドリが好きなんだ」
格好良くとは言えない告白だけれど、やっと伝えられた。
◇◇◆◇◇
クリスマス当日、翠に渡ったのは爽やかな萌黄色のペンケース。
桜色の眼鏡フレームに合う春めいた色合いのそれに歓喜の声を上げる翠の横で、純太は受け取ったプレゼントの包みを解いていた。
現れた翡翠色のスマホケースは華やかながらも目に優しい色合いで、ずっと眺めていたくなる。
大事にしよう、と胸に誓った。
コマネズミの恋 河原巽 @tatsumi_k
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