第5話

 文化祭の主な催し物は各クラスの教室や体育館、校庭を使って行われている。そのため特別教室のある棟や校舎の上階は平常時と変わらず、殺風景な姿のままで人気ひとけもない。

 ホールの階段を上って四階に向かうことに決めた純太は、無言に耐えられずに乾く唇をどうにか開いた。


「さっき魔法使いのおばあさん、やってたね」

「あはは、ばっちり見られちゃったね」

「眼鏡ずらして猫背になって」

「詳しく思い出さなくていいよ!」


 頭を抱えるふりをしておどけるが、あの立ち去りようを見るに恥ずかしいのは事実だろう。これ以上突っ込めばこれからに影響を及ぼすかもしれない。

 階段にまで施された装飾や設置物の感想を言い合いながら、どうにか四階まで辿り着く。三階から沸き立つ声が届いてはいるが、やはり誰もいなかった。


「コマちゃんに言っておかなきゃいけないことがあって」


 階段付近では人が来たときに困ると思い、少しだけ廊下の奥へ進む。

 構える様子のない翠は実行委員の話だと思い込んでいるに違いない。対する純太は指先に痺れて震えるような感覚を一人味わっていた。

 見慣れた多目的ルームの扉付近で翠の対面に立つ。窓から差し込む光が耳下に垂れた髪をさらりと撫でて眩しい。

 ひとつ息を呑んで意を決した。


「今更、こんなこと言われても困ると思うけど」

「うん?」

「その、前にひどいこと言ったの、ずっと謝りたかった。『知らない人』なんて言って本当にごめん」


 上辺だけではない、あの日からずっと抱いていた申し訳ない気持ちを素直に言葉に込めた。

 翠は突然渡された謝罪に目をパチパチと二度瞬く。そして、いくらか時間を置いてから「あ、ああー」と気の抜けた声を発した。


「ううん、ううん。気にしないで。私も悪かったと思ってたの。ちゃんと話したこともなかったんだから断られても仕方ないって」

「でもコマちゃんは委員会でずっと隣に座ってて知らない人なんかじゃなかった。色々立ち回ってくれてたのに名前も顔も覚えてなかったんだよ、俺」


 おそらく熱心に委員会活動に取り組んでいたであろう彼女と、それなりの気持ちで参加していた自分。

 もっと真剣に取り組んでいれば見過ごすことなど、きっとなかった。


「あの後、ミーティングでもすごく気を遣わせちゃったし」

「あれは私の方こそ謝らなくちゃいけないの。焦った勢いで真野くんのこと呼び出しちゃって、教室に戻ってから委員会があるって気付いて、もうどうしようってパニックで」


 申し訳なさに押し潰されそうな純太だったが、首を振って早口に語る翠の言葉に引っ掛かるものを覚えた。


「焦った勢いって?」

「えっと、実は直前に友達が『四組の真野くんっていいね』って言ってて……」


 ぎこちない口調で翠が言うには、今まで男子の話題を挙げたこともない友人が唐突に純太のことを褒めたので友人も純太を好きになってしまったと思い、気が急いてしまったとのこと。

 友人に恋心を打ち明けていなかった翠は抜け駆けのようで気が引けたが、焦る気持ちですれ違う純太を中庭に呼び出したというのが事の経緯のようだ。


「真野くんには残念なお知らせなんだけど、後で話を聞いたら友達は恋愛感情で言ったつもりじゃないらしくて……」


 気まずげにそんなことを言ってくる。

 全く残念なお知らせではないし、何故友人が己を褒めるような発言をしたのか、その心当たりがない純太は微妙な表情を浮かべてしまう。

 しかし翠はその意味を履き違えてしまったようだ。


「やっぱりがっかりさせたよね」

「いやいや、そうじゃないよ。コマちゃんの友達が俺のこと褒めてくれた理由がわかんなくって」

「落とし物を教室まで届けてくれたって言ってたよ」


 特段、褒められるような話ではないと思った。


「それだけで? 普通のことじゃない?」

「普通のこととして身に付いてるのが真野くんの人柄なんだよ」


 気まずげな表情から一転した穏やかな笑みで、真っ直ぐに純太を評する。

 人柄などという大きな視点で語られたことのない純太にとって、その言葉は新鮮な風を送り込まれたかのように胸を満たしてくれる。


(そんな風に見てくれてたんだ)


 じわじわと頬に熱が集まり、ただ眼前の翠を見下ろすだけしか出来ない。

 そんな純太に気付く様子もなく彼女は続ける。


「真野くんはいつも『ありがとう』と『ごめん』をちゃんと言ってくれる人だなって、前から思ってたよ」


 だから好きになってくれたのか、とは聞けなかったけれど。

 本心から言ってくれているだろうことは何故か信じられた。


「自分じゃ意識してないから、よくわかんない、けど」

「ほら、やっぱり人柄なんだよ」

「過大評価じゃないかな」

「真野くんの周りの人はちゃんとそういう一面を知ってると思うよ」


 平然と言ってのける翠は、にこりと軽やかに笑む。

 彼女を意識するようになったあのミーティングから幾度も寄せられた、彼女の優しさをそのまま滲ませたような笑顔。いつしか目を惹かれるようになった。

 それを真正面から受けた純太は、手も足も唇も戦慄わななきそうになるのを必死で堪えて伝えるべきことを絞り出す。


「俺も、コマちゃんのこと、色々知れたと思ってる」

「文化祭の準備で話すようになって、変なとこ見られたりしてるもんね」


 婉曲な言い回しではどうやら伝わらなかったらしい。


「コマちゃんはもう知らない人じゃなくなったよ」

「あはは、ちゃんと認識してもらえたなら嬉しいな」


 そんな風に返されては自虐ギャグのようで言葉に詰まってしまう。


(こんなに勇気が要ることなんだな……)


 過去の自分にまた後悔を積まされる。

 振り絞った勇気をあっさりと跳ね除けられた挙げ句の赤の他人発言。どれほどショックだっただろうか。それ以降の彼女の態度を思い出し、また気持ちが一層深まるのだから身勝手な話だ。

 挫けそうな心を何とか立て直して、卑怯な自分に活を入れた。

 きちんと伝えなければならない。彼女がしてくれたように、率直な気持ちを。


「俺、コマちゃんのことが、その、気になってる。恋愛、的な意味で」


 純太の精一杯は格好の付くものにはならなかった。

 けれど今度こそ意味は正しく伝わったらしい。翠の驚きに満ちた表情が全てを物語っていた。


「今更だし、もう俺に興味ないかもしれないっていうのもわかってる。でも、もしまだチャンスがあるなら、友達からでも始めてもらえませんか?」


 取り繕うように早口になったのは恥ずかしさからで。頬の熱さなど触れなくても自覚している。

 あの日の彼女の一挙一動をそのままなぞっているようで、告白が一大イベントだと言われるほどにエネルギーを消費するものだと純太は初めて知った。

 ポカンと見つめ返してくるだけの翠は何も発さない。やはり図々しい話だったか、と居たたまれなくなる。


「その、断りにくいとか遠慮してくれなくていいから……」

「まだ友達じゃない?」

「え?」


 思いの外に真剣味を帯びた声色に驚いてしまった。

 改めて見つめ返したその瞳には探るような色が宿っている。


「私はもう友達にはなれたかなって勝手に思ってたんだけど、まだだった?」

「あ、いや、友達って思えてもらえてたなら嬉しいけど、それ以上に気になる子って感じだったから……」


 思わぬ返しにしどろもどろになりながら何とか口を動かす。思ったままをそのまま音に乗せてしまったので、自分の発言を省みる余裕など一切ない。

 けれど翠は笑み崩れた。


「友達以上だと嬉しいです」



◇◆◇



「あれ? 上手く入らない」


 小ぶりのバスケットボールを両手で投げた翠は、無情にもリングに弾かれたそれを見て小首を傾げる。


「翠、ゆっくりしてたら時間なくなっちゃうよ」


 後方から飛ぶ友人のアドバイスを受けると転げたボールを急いで拾い直し、再び放つ。しかしバックボードにぶつかるだけでネットは揺れもしない。

 純太のクラスの出し物のひとつ、家庭用サイズのミニバスケットゴールは純太が自宅から持ち込んだものだ。室内用の壁に掛ける簡素なタイプのもので、兄が幼い頃に練習に使っていたものだった。


「残り二十秒だぞー」


 午後から記録係に入った高江が時計を見ながら合図を送る。その声に益々慌てた様子の翠は跳ね返ってきたボールを掴み上げると、フォームも何もお構いなしにひたすらボールを投げ続ける。


「はい、時間切れ。残念、ランキング外だな」


 高江のタイムアップ宣言に、見るからに無念という表情を浮かべる翠。


「コマちゃん、これ参加賞のチョコ」


 しょんぼりした姿が可愛くて思わずにやける純太が一口大のチョコレートを差し出すと、素直に受け取りつつも納得のいかない表情でこちらを見上げてくる。


「真野くんはさっき全部決めてたよね。バスケやってた?」


 翠の前に模範プレイという形で純太がチャレンジする姿を見せたので、そのことを言っているのだろう。もちろん純太のクラスの出し物なのでランキングにはカウントされないが。


「兄ちゃんがバスケやってるから教わったことはあるよ。部活に入ってちゃんとやったことはないけど」

「へー、お兄さんいるんだね」


 いかにも興味深げに目を瞬かせて言われた言葉に心が温かく満たされる。兄に興味を惹かれる女子は沢山いたが、翠に対しては純粋に自慢の兄の存在を知って欲しいと心から思えた。

 

「バスケめっちゃ上手くてかっこいいよ、うちの兄ちゃん」

「仲良さそうで羨ましいなぁ」


 私は一人っ子だから、と続けた翠はバスケットゴール前から離れて混み合う教室内で別の遊戯を物色し始める。


(コマちゃん、一人っ子か。意外だな)


 弟か妹でもいるのかと勝手に思い込んでいたが、そうではないらしい。

 ひょこひょこと頭を動かして他の生徒がランキングに挑戦する様を観察している後ろ姿を眺めながら、彼女の新しい一面を知る喜びに自然と頬が緩んでしまう。


「あ、これなら真野くんにも勝てるかな?」


 意気揚々と振り返った彼女が指し示すのは三台の机が並べられた教室の一角。机上の紙皿にはピンク色をした型抜きの駄菓子が並んでいる。


「細かい作業は得意なんだ」


 いつかのドヤ顔をまた披露してくれる。

 どうやら純太に勝負を挑むつもりのようだ。


「コマちゃんって意外と負けず嫌いだね」


 またひとつ、彼女のことを知った純太だった。

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