第17話

「か、彼女!?」


 七瀬は『はぁ!? 何言ってんの!?』と絶叫しそうな勢いでそう答える。


「そう。と言っても建前だけどねーー

君がいても問題ないようにするための都合の良い言い訳。

だって、しばらく同居するので納得する理由ってそのくらいしかないだろ?

女友達とかだと流石に距離が近すぎるし..」


「康太くんってさ、そういうの良く恥ずかしげもなく言えるよね」

「別に、好きでもない奴に恥ずかしいなんて感情は抱かないから。

というか、仮に好きになっても俺は恥ずかしくはならないと思う。

そうなる未来が想像出来ない」


 事実だーー

異性とちょっとロマンティックな展開にハマった時のトキメキとか、

親密な関係を築くための駆け引きとかで生じるもどかしさも、

何か特別な情念が作用しているように一般人は捉えるが、

果たして本当にそうだろうか?


 別に実際にそのような感情を抱く人を貶して言ってるわけじゃない。

ただ少なくとも俺には、

皆んなが皆んな思ってもない事を口にしてその場の空気感に

酔いしれているようにしか見えない。


「ふーん..。でも康太くんって激情家なとこあるじゃん。

だから仮にそれがプラスに働けば、コロっと(恋に)落ちちゃうかもよ?」

「いや、多分それはない。だから、とにかくどうする?

俺のこの提案に乗るか乗らないかは好きにしてくれ。

同居させる建前として思い付いたのがこれだけだったって話だから」


「ふーん..。なるほどねーーあくまで建前、、か。

でもそれ以外に方法論がないなら私は素直にそれに準拠する。

ただね、もしその契約を結んだとして貴方には何のメリットがあるの?」

「メリットって、記憶喪失のお前を匿うメリットって事..?」


「そうよ」

「......」


 正直に言うべきか、言わぬべきか、

連続する会話に休符をうつ余裕もない今導き出される解は必然的に、

”事実”という場所へと帰着する。


「俺さ、ほっとけないんだよ。

満員電車の席探しで困ってる老人とか、迷子になってる外国人とか。

昔っからの気質でさ。自分には何のメリットもないし見返りもない。

でも見過ごせない、ただそれだけ」


 焦って早口になって、バカみたいな回答になった。

しかしそんな俺の駄文を容量よく噛み砕いて解釈したのか、

目の前でオニオングラタンスープを上品に啜る七瀬は

こちらを見て三度頷く。


「なるほどねぇ..。そういうタイプか..」


 そして脳内で勝手に俺のタイプを診断し得心したようだ。


「薄々気付いてはいたよ」

「な、何が..?」


「康太くんって、そういう人なんだって。

だって普通家に知らない人がいたら通報するでしょ?

相手は強盗、刃物も銃も持っていて最悪命の危険がある。

だったら不覚にも寝ている私をそのまま正当防衛で殺傷..、

なんて事になっても全然おかしくはなかったんだよ」


 そう言いながら、七瀬は飲み終えたスープの器を傍に追いやり、

今度はミラノフウドリアをスプーンで食す。


 そんな彼女を観察しながら、俺は独り言のように呟いた。


「普通はさ」

「え..」


「普通ならさ、そうするよ」

「どういう事..?」


「だから、普通だったら君を警察に突き出すって事だよ」


 そう、言い終えたタイミングだった。

血色の良かった彼女の顔色はみるみる青白くなっていき、

スプーンを持つ手をよく見ると小刻みに震えている。


「え..。警察ってもしかして特高とっこうの事..?」


 何かに酷く怯えるような口調で彼女は不可解なワードを発する。


「何だよ特高って..?」

「え..? あなた知らないの!? 

特別高等警察に決まってるじゃない!!」


「うぉ、なんだその厨二病っぽいネーミングの警察!

特高って..カッケェじゃん。公安みたいなもんか? 」


「え..?」


 しかし、

これ以上彼女の口から特高という言葉が発せられる事はなく、

ただ唖然とした様子でテーブルの上のカラミチキンを見つめる。


「康太くん。さっきなんて”ゆ”った?」

「あ、あぁ..。だからその、特高について..」


「うん..。だから、特高って何..?」

「おいおい冗談はやめろよ。お前が言い出したんだろ?」


 単にこの時、七瀬が寝ぼけていただけなのか、悪ふざけか、

はたまた記憶障害の弊害かその要因は不明ーー


 ただ、そこ知れぬ違和感を微かに抱きつつ

その後30分は続く雑談は新たな話題へと転換していった。


 ♢


「はぁ、お腹いっぱい!!」

「そうだね。もう何も入る気がしない..」


 二人で膨れたお腹を抱えながら、

合計金額は2000円と少ししかかからなかった。


 そんなリーズナブルなファミレスの地下の扉を開けると、

熱帯夜で空気はむわっとしており、東京湾の海面が蒸発したからか

風に運ばれてほのかな磯の香りが鼻の奥をつんざく。


 嫌な陽気だった。こういう日は、海上の蒸発した水蒸気が雲となり

やがて都内にゲリラ豪雨となって出現する。


 さっき一度降ったばかりなのに、

湿度の孕んだ風からもうひと嵐きそうな気配を立ち込める空模様ーー

しかしそんな悪天候をもろともせずに頭上を通過する飛行機のエンジン音。

どこか浮ついた雰囲気を漂わせながらアスファルトの床を踏み鳴らす

サラリーマンの喧騒。


 普段通りの街並みに上手く溶け込めていない七瀬だけが異質で、

まるで外来の異物のような足取りで歩道を右へ行ったり左へ行ったりと

一向に前に進む気配は見られない。


 ただ、それで良い。

彼女の行動は偶然にも俺の以降の目的と完全に一致している。


「七瀬」

「はい!」


「ここ寄ってこう。

飯の次は日用品だ。歯ブラシ、化粧水、ワックスetc

必需品をいくつか揃えておかないとな」


 例のサイゼリヤのすぐ隣にあるドラッグストアで、

彼女達の必需品を買え揃えておく必要があると思った。

ただそれだけの理由で呼び止め、二人は店内を物色する。


 入り口に売られている不織布マスクやお菓子には

目もくれず、真っ先に向かったのは歯ブラシ売り場


「すっごい! 

こんなにたくさんの種類が売られてるんだねー..。

どれが良いかな!?」

「これとかは..? 俺が使ってるのだけど、

値段の割に丈夫で、汚れも落ちやすいし長持ちするから」


 その歯ブラシには色が二種類あった。

自分が普段使っているのは青いのだが、それ以外に赤がある。

まさか色の違いで性能差がある訳でもないし値段も同じだから、

彼女が選ぶのは当然赤い方、そうするとなると、あとは現在も

家で漫画を読み耽っているであろうaiの歯ブラシはどうするか?


 きっと油物ばかり食べてるから機械オイルのような口臭を

発するのだろう。直接近くで嗅いだ訳ではないがそんな気がする。


 故に、

俺はなけなしの金を奮発してかなり値の張る電動歯ブラシを

一本購入。それが終わり次第向かったのは、、


 あまり触れるべきではないのは分かっている。

ただ必需品を揃えると言った手前避けては通れぬ道だ..。


「....どれでも良いよ」

「........うん」


 だから毎月のお小遣い制にした方がこういう恥ずかしい思いを

するのも防げると思ったのに!!


 いらない配慮だったよなやっぱり..。

後悔先に立たずと言わぬばかりに腹の奥底から羞恥心が込み上げてくる。

いや、七瀬は多分それ以上か..。


 付き合っているとかならともかく、

今日知り合って数分話しただけの男の前で選ぶんだもんな..。

絶対にこいつキモいなと思われてる!!


「じゃあ、これにする....」

「う、うん」


 どうしても気まずさは拭えない。

しかし、彼女がそれを買い物カゴの中に入れると当然

その取手を握る俺の手には生々しい重量感が足される。


 中身はもう覗けなくなってしまった。


「ねぇ康太くん。私と君で、カゴ別々にした方が重量も分散

されるし良いと思うんだけどーー」


 だからそんな彼女の提案を受け、俺は勢いよく首を縦に振る。


 彼女は現在地から離れた場所に置いてあるカゴをもう一つとって

再度こちらに戻ってきた。


「け、結構買ったしねー」


 と、白々しい演技を挟む俺


「う、うんー! じゃあこれとか特に重いし!

私の方に入れるから!!」


 すると直後、俺のカゴからは例の生々しい物体の質量は消えた。

そして代わりに網目の上に残るのは二本の歯ブラシ


 今にして考えれば、この程度の量の商品で『結構買った』とか

『重い』だなんて相当無茶な言い訳だったと思う。


 しかしこれを契機に気まずさが消えたのもあり、

俺と七瀬はさっきよりもだいぶ軽い足取りで、制汗剤、整髪料、

化粧水にリップと、


 彼女用の保湿成分と柔らかな匂いがブレンドされた物を新調。

ついでにシャンプーやボディソープも刷新するか提案する。しかし、


「それは良いよ..。今日実際にお風呂に入らせてもらって勝手に

使っちゃったけど、全然良かったよ!!」


 なるほどーー


 どうりで、彼女の頭髪から俺の家の匂いが漂ってくる訳だと思った。

というのも自分よりも背が一回り小さい七瀬は距離が近づくとちょうど、

俺の鼻が彼女の頭頂部ら辺に位置しているから。


「オッケー。じゃあこのくらいかな..」

「そうだね!」


 途中不穏な空気感は漂っていたものの、終わりが良ければ全てよし。


 結局軽かった買い物カゴはかなりの重さになったな


 ♢


「はぁ!! ご飯も美味しかったし、色々買えたし、とりあえず

目先の問題は何とか解決って感じかな? あのaiに関してはまだ

いくつか聞きたい事もあるけどーー」


 少し愚痴るような感じで、

最後の方はぶっきらぼうに言ってしまった俺


 しかしこの時、いつもみたいに明るく答えてくれる

彼女特有の高度な”共感能力”は発揮されずーー


 それよりも後ろの方で二人で分けた商品入りのビニール袋の

片方を両手でギュッと掴みながら、

何か言いたそうなそぶりを見せている。


 等間隔に配置された街灯のおかげもあって七瀬の表情は読み取れたが、

その顔が何を訴えかけようとしているのかまではわからない。


 とにかく、複数の解釈のしようがある複雑な顔を作っている。


「あ、あのーー」


 そんな彼女が、意を決して口を開いた。


「こ、康太くん..。ありがとーね..。

ありがとう、、ありがとう、、」


 七瀬の感謝のコール


 しかしそれよりもとりわけ俺に驚愕の念いたらしめたのは、

彼女がありがとうと口にしながら、

なぜか泣いているという事だった。


 Q.七瀬志帆はなぜ泣いてるのですか?


 分からない。人の感情は分からない事だらけだ。


 何かして貰えて嬉しいと感じたからありがとうと言う。

ここまでは分かるのにその先にある涙の意味までは読み取れない。


「うぅーーみっともないとこばっか見せちゃってごめん..。

怒ってばっかでごめん、迷惑かけ続けちゃってごめんね..」

「迷惑だなんてそんな..」


「うん、、うん。そう言ってくれてありがとう..。

私を、、見捨てないで連れ戻しに来てくれてありがとう..。

美味しいご飯を奢ってくれてありがとう..。

私に必要な物を、私を助けてくれてありがとう..。

さっきも言ったけどここでもう一度、改めて言わせて欲しい..」


 彼女の涙はちっとも衰える事なく寧ろ酷くなっていたから

周囲を歩くサラリーマン達の視線が痛い。


 しかし彼女はそんなんちっとも意に介さないように、

まるでエキストラのいない孤独な舞台上の主演女優のように、

圧倒的な存在感を引っ提げ、丁寧口調で頭を下げた。


「康太くんっ..! これから、よろしくお願いします!!」



 なぜ、泣くのか?

幸福を感じた時に、感極まって自然と流れてしまうもう一つの

特別な涙を、世間一般には嬉し涙、ないし嬉し泣きと表現する。




 

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