第2話 王子の思惑
(大変な、騒ぎだったわ……)
大国・ノーデの王宮の客間で、めまぐるしく変わる状況についていけない心地になりながらメアは思った。
ブローニュのような小国など、やろうと思えば吹き飛ばしてしまえる大国の王子からの、突然の婚約の申し出。
修道院行きにするつもりだった、聖女ではなかった女――メアが、そんな申し出をされてしまったものだから、あの場を整えた者たちも、集められた者たちも大騒ぎだった。否定的な方向に。
それを大国の威光でゴリ押しして、ユーリス・ディディアス・ノーデ――ノーデの第二王子はメアをノーデに連れ帰ってしまった。正直、何がどうしてどうなったのか、メアには不明だった。
けれど今、メアがノーデの王宮にいるのは現実で。
メイドたちに全身ぴかぴかに磨き上げられ、少しサイズの合わない上等なドレスを着せられ、ユーリス・ディディアス・ノーデを待っているのも現実で。
久しぶりの湯浴み、質のいいドレスの肌触り、さらりと指が通る艶々の髪。それらすべてに違和感を覚えてしまうことに少しだけ心が動いたけれど、メアはそれをなかったことにした。
なかったことにしないと、何かが決定的に崩れてしまいそうだった。
「やあ、待たせたかな、メア・ベリテ」
ノーデの王に事の仔細を報告にしに行っていたはずのユーリス・ディディアス・ノーデの声が唐突に部屋の中に響いて、メアは肩をそびやかした。
声のした方を見れば、先ほどまで確実に誰もいなかった席に、ユーリス・ディディアス・ノーデが座っている。
「おや、驚いているのかな、メア・ベリテ。空間転移を見るのは初めて?」
(空間転移……?)
それは国に仕えるような魔術師が何人も集まって為せるような大きな魔術ではなかっただろうか。それももっとこう、仰々しく光り輝いたりするような。
少なくともこんなに静かで、こんなに当たり前のように人が現れる、そんなものではなかったとメアは記憶していた。
「目は口ほどに物を言うね、メア・ベリテ。君が疑問を抱いているのは、僕の空間転移がセオリーから外れていることかな? あれはあまりに非効率だし、派手で仰々しいからね。改良したんだ」
(そうだったわ――ノーデの第二王子の異名は『魔力研究狂い』……)
他国に鳴り響くほどのそんな異名を持っているのなら、改良なんてお手の物なのかもしれない。
本来の一人称は『僕』なのね、となんとなく思いながら、メアは納得した。
「疑問が消えたみたいだね。じゃあ、本題に入ろうか」
言われて、メアは居住まいを正した。どうあろうと、今現在、メアの身柄はこの人の思うままだ。未だメアは何故こんなことになったのかよくわかっていないが、だからこそきちんと聞くべきだと――。
「まず、だけど。君にした求婚――あれは嘘なんだ」
「………」
メアは絶句した。思考も停止した。当然だった。
「嘘、というと語弊があるかな。あの場ではああ言うのが一番通りがいいと思ってね。――というのも、僕は君を、研究対象として貰い受けたかったんだ」
メアは再度絶句した。しかし思考ははじき出した。――この男、屑では?
(い、いえ、いけないわ、メア。何はどうあれあの状況から連れ出してくれた御仁に、屑だなんて)
自制が働き、寸でのところで言葉に出すことはせずに済んだが、どうにも察しがいいらしいユーリス・ディディアス・ノーデには伝わってしまったらしかった。
「一瞬、塵屑を見る目をしたね、メア・ベリテ。その視線は正しい。僕は聖者ではないし、慈善事業者でもないし、君に恋い焦がれる男でもない。聖女ではなかった、とされた君に興味があるだけの、研究者だ」
「君も聞いたことがあるだろう?」と、ユーリス・ディディアス・ノーデは続ける。
「『魔力研究狂い』――そう呼ばれるだけのことをしてきたよ、僕は」
そう告げたユーリス・ディディアス・ノーデの瞳が赤く煌めいて、メアは無意識に息を呑んだ。
「メア・ベリテ、君にとっても悪い話じゃない。僕は、君はあの国での聖女の条件を満たさなかっただけで、なんらかの力は持っているはずだと考えている。――それを、研究して証明する」
「そんな、の……あなたに、何の得が……」
思わず疑問を漏らしたメアに、ユーリス・ディディアス・ノーデは、ずっと変わらない、平静な顔で告げる。
「僕はね、魔力によって発現する力――そのすべてを解き明かしたいんだ。だから、君は格好の研究対象なんだよ。そして君の力を解き明かした暁には、君の汚名挽回をはかってもいい」
「え……?」
「あの国は、君を勝手に聖女候補として取り扱った上に、勝手に失望し、見下げた。君が自分で聖女だと名乗り上げたわけでもないのにね」
すっと伏せられたユーリス・ディディアス・ノーデの瞳に同情めいたものが見えた気がして、メアは思わず目を凝らした。けれど、確信になる前にそれは塗り変わる――つめたい好奇へと。
「そんな彼らに、君の本当の力――これはきっととても有用なものだろうと、僕はほとんど確信しているんだけど――を突きつけたら、どうだろうね? 君にすり寄るか、現実を認めようとしないか……どう転ぶにせよ、見物だろうね」
ユーリス・ディディアス・ノーデが手を差し出してきたので、メアはそれを見つめて戸惑った。
「これは契約の申し出だよ、メア・ベリテ。君は僕の研究対象になる。僕は君の力を解明して、君の汚名を濯ぐ。そういう契約だ。――どう?」
問いかけに、メアはもう一度差し出されたユーリス・ディディアス・ノーデの手を見つめ――その手を、とった。
「そういう、ことなら……」
「もちろん、君のことは婚約者としても扱うよ。ああ言って君を連れ出した時点で、その覚悟もしている」
「……いえ、研究対象で、構いません。価値のない私を拾い上げてくださっただけで十分です」
「…………。まあ、いいだろう。契約成立だ、メア・ベリテ。君と僕とは、婚約者であり、研究者と研究対象となる」
ぐっと手を握られる。その手が思ったよりも男のひとのものだったので、メアは少しだけ心が動くのを感じたけれど――やっぱりそれをなかったことにした。
(便宜上の、婚約者。きっと、研究が終わればなかったことになる関係。それでいい。それがいい……)
視線を交わす二人を、月だけが見ていた。
聖女失格の女が王子の研究対象にされた結果 空月 @soratuki
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