聖女失格の女が王子の研究対象にされた結果

空月

第1話 聖女ではなかった女


 小国・ブローニュにおける聖女とは、血で継がれるものである。

 かつて国を救った初代聖女の家系――ベリテ家の長女が聖女と目され、聖女認定の儀式を経て、初代聖女と同じ聖女の印をあらわすことで、その称号を継ぐ。


 メア・ベリテは、ベリテ家の長女だった。次期聖女と目され、ブローニュの王太子――イーヴ・ジュダ・ブローニュと婚約していた――今日この時までは。


「メア・ベリテに聖女の印はあらわれなかった! メア・ベリテは聖女ではなかった! そして皆も見ただろう、シェリー・ベリテに聖女の印があらわれたのを! 真の聖女はシェリー・ベリテだったのだ!」


 イーヴが儀式の場に集まった国の重鎮たちに言い放つ。


「よって、私はここにメア・ベリテとの婚約破棄と、シェリー・ベリテとの婚約を宣言する!」


 高らかにイーヴが宣言する。その傍らに佇む、双子の妹・シェリーの額に燦然と輝く、初代聖女と同じ聖女の印を、メアはただただ呆然と、見つめるしかできなかった。



 それからはあっという間だった。

 次期聖女として――次期王妃としてのメアの立場は崩れ去り、妹のシェリーがそこに座った。

 厳しい王妃教育も、聖女としての立ち居振る舞いも求められなくなった代わりに、メアは周囲のすべての人から手のひらを返すように見下げられることとなった。


 早くに儚くなった父や母の代わりに、自分を実の親と思っていいと言ってくれた王も、王妃も。

 シェリーに心惹かれる様子は見せながらも、婚約者としてきちんとつとめてくれていた王太子も。

 次期聖女とそうではない者として区別はされつつも、生まれたときから共に過ごしてきた双子の妹も。

 ついには使用人たち――家令までにも見離され、身の回りのこともままならなくなった。



 そうして、王宮の広間――聖女シェリー・ベリテの披露目の場で、見すぼらしい姿を晒させられている。

 イーヴとシェリーが賓客の相手している空間に控えさせられ、好奇と蔑みを向けられ続ける時間が始まって、どれだけ経っただろう。


「この場に到底ふさわしくない装いのものがいると思えば……。見るといい。あれが聖女を騙った不届き者の末路だよ」

「確か……メア・ベリテといったかしら? まるで下働き……いえ、それ以下のよう……。よくこの場にいられるものね。恥ずかしくはないのかしら」


 荒れゆく自室で死んだように息をしていただけのメアをこの場に引きずり出したのは、シェリーとイーヴだった。正確には彼らの命を受けた使用人たちだが。

 何故この晴れがましい場に引きずり出されたのかなど、メアは知らない。けれど招待客たちがそれを知るはずもない。だからこうして、好奇と蔑みの視線に晒されている。


(……消えてしまいたい)


 そんな思考が浮かんでは消える。最近では食事もろくに用意されず、メアの頭はずっと、ぼうっと霞がかったようだった。


 この場には国外の賓客の姿もある。声には出されずとも、「なぜこのような下賤の者がここにいるのか」と雄弁に語る視線や、事情を知った者からの蔑みと嘲笑を感じ取って、メアは疲弊していた。


(ああ、でも、ひとりだけ……)


 他国からの賓客の中、ひとりだけ。

 好奇でも蔑みでもない瞳でメアを見た人がいた。あれは――。



「みな、今日はよく集まってくれた!」


 イーヴの高らかな声に思考が切れた。

 見れば、シェリーを傍らに賓客の相手をしていたイーヴが、いつの間にか高座に立ち注目を集めている。


「改めて披露目をさせてもらおう。我が国の至宝・聖女――ベリテ家の次女、シェリー・ベリテだ!」


 イーヴの言葉とともに、シェリーが高座に立ち、美しい淑女の礼をする。

 わあっと歓声があがり、拍手も響いた。

 ――すべて、みな承知の上の茶番なのだと、メアの目にも明らかだった。


「――我が国の次期聖女は別の者ではなかったか? ……そう疑問を抱いた者もいるだろう。とても残念で、到底ありえてはならないことだったが、我が国は次期聖女を見誤り、長らく真の聖女に気づくことができなかった」


 悠長にイーヴの言葉に耳を傾けている暇はなかった。

 まるで罪人を引き立てるように、気遣いなどまるでない所作で、メアも高座に放り出されたからだ。


「次期聖女として、長年益を享受していた者――けれど聖女ではなかった、真の聖女を隠していた者。顔を知る者もいるだろう――ベリテ家の長女、メア・ベリテだ。目を汚す、場にふさわしくない装いについては、どうか寛大な心で許してやってくれ」


 許してやってくれも何も、なんの用意もできずにこんな姿を晒しているのは、イーヴたちのせいでもある。だけれど、それを主張する気力も気概も、今のメアにはなかった。

 ただ、わずかに動いた感情で、みっともない真似を晒さないよう、表情を無に固めることだけが、かろうじてできたことだった。


(私は、次期聖女だと言われたから、そう扱われてきたから、そう生きてきただけ。誰を隠すつもりも、謀るつもりもなかった――そう口にしても、きっと誰も取り合わない)


 それはもう、聖女ではなかったと判明してから、メアが散々思い知らされてきたことだった。

 『聖女ではなかった』『何者でもない』メアの言葉に、耳を傾ける人なんていないのだと。



 ――ああ、着替えもなくなってしまったのね。かわいそうなメア

 ――でも大丈夫、それでもあなたは変わりなく、私の片割れよ

 ――だけどあなたは聖女じゃなかった。皆の期待を裏切った

 ――だからこれまでのような恩恵は受けられないの。それは仕方のないことよね?

 ――だって、存在価値がないのだから



 柔らかな微笑みとともに、シェリーに告げられた言葉がよみがえる。

 聖女ではなかったメアに、存在価値はないのだ。



「次期聖女を騙っていたこの者を、許せないと思う向きもあるだろう。だが、これでもベリテ家の一員だ。罪人として処しては、真の聖女であるシェリー・ベリテに瑕がつく。それに、慣例に基づいて、ベリテ家の長女を次期聖女とさだめ、聖女の認定の儀式まで真の聖女に気づけなかった我々にも非はある。何より、シェリー・ベリテが、双子の姉に恩赦をと言う。なんて心優しい聖女だろうか!」


 芝居がかった口調でイーヴが続ける隣で、シェリーはいつもの柔らかな微笑みを浮かべている。

 この双子の妹は、いつだってそうだったと、メアはぼんやりと思った。


「ゆえに我々王家は、メア・ベリテを修道院に入れることにした。今後は世のため人のため、祈りを捧げ奉仕を行い、その罪を濯げるようにと」


 また、わあっと歓声が上がる。王家を称賛する声がする。

 芝居の一幕を見ているようで、すべてがどこか遠かった。


「それは困るな」


 まるで気負いのない声が、予定調和の舞台をぶち壊すまでは。


「……は?」


 イーヴが予想外のことに固まる。

 その横で、シェリーが笑みを少し困ったようなものに変え、口を開いた。


「それは……どういう意味でしょうか? ユーリス・ディディアス・ノーデ様」


 ユーリス・ディディアス・ノーデ――それは、ブローニュの隣国であり、まごうことなき大国・ノーデの第二王子の名。

 メアの視界に、白銀の三つ編みが踊る。次いで目に入ったのは、ノーデ王家の特徴である、鮮やかな赤の瞳。


「言葉そのままの意味だよ。『聖女』シェリー・ベリテ。メア・ベリテを修道院に入れられたら、私が困る」


 好奇も蔑みも浮かべていない視線が、メアを射抜いた。


「メア・ベリテに、ユーリス・ディディアス・ノーデが希う。――どうか私と、婚約してほしい」




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