第12話 宇宙に捧げる謀
冬空の下、街はひっそりと静まり返っていた。灰色の雲が空を覆い、冷たい風が住宅街を抜けていく。木々は葉を落とし、裸の枝が寒々しく空へと伸びている。道端には霜が降り、足を踏みしめるたびに小さな音が響いた。
人影は少なく、行き交う人々は厚手のコートに身を包み、家路を急ぐ。家々の窓から漏れる明かりだけが、冷たい街並みに温もりを与えていた。遠くからは微かに電車の音が聞こえ、冬の静けさが一層際立っている。
設楽慎二は今、東京都調布市深大寺東町に立っていた。目の前には広大な敷地が広がり、堂々とした姿を見せる国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構――通称『JAXA』の本社。その巨大な施設群は、どこか無機質でありながら、宇宙への夢と可能性を静かに語りかけているようだった。
「ついに、ここまで来たんだな……」
慎二は目の前に広がる光景に息をのんだ。JAXA本社の敷地は広大で、どこまでも続く未来への道のように感じられた。数々の出来事が頭をかすめるが、それでも今この場所に立っていることで、少しずつ現実味が湧いてくる。
ここは、数えきれないほどの人の夢や希望、努力が交錯する場所。そう思うと、慎二の中に残っていた不安は少しずつ薄れ、代わりに強い決意が心の奥から湧き上がってきた。
周りには同じように集まった人々の姿があった。私服でリラックスした雰囲気の若者や、カジュアルなスーツを身にまとった大人たち。年齢も性別もさまざまで、それぞれが期待や緊張を抱えた真剣な表情を浮かべている――しかし、その中には浮浪者のような格好をした人々も混じっている。
これは『火星移住プロジェクト』の特異な実情を表している。慎二のように火星への憧れやロマンを胸に、このプロジェクトに参加した人が多い一方で、莫大な報酬や生活保障を目当てに応募した人々も一定数存在するのだ。
戦争や紛争が続いていた情勢の中で、生活に困窮し、生きるための手段としてこのプロジェクトに応募した人もいるらしい。おそらく、慎二が目にしたその人々は、ロマンではなく生存のためにここへ集まったのだろう。
慎二は自然とその場の空気に溶け込むように歩き出し、目の前に広がる道をじっと見つめた。
「……よし」
小さく呟くその声には、夢に向かって進むという決意が込められていた。慎二は足を踏み出し、ゆっくりと前へと進んでいく。
「プロジェクト参加者の皆様は、こちらの看板に沿ってお進みくださーい!」
JAXAの制服を着た女性スタッフが、明るく丁寧な声で案内をしている。その落ち着いた対応に、慎二は少しだけ緊張が和らぐのを感じた。
参加者たちは静かに列を作りながら、普段は展示場として公開されているエントランスを抜け、そのさらに奥、一般では立ち入れない職員専用エリアへと進んでいく。
「すげぇ……」
慎二の口から自然と感嘆の言葉が漏れた。目の前には、これまで映像や写真でしか見たことのない光景が広がっていた。無機質ながらも美しい建物の数々は、金属とガラスを基調とした洗練されたデザインで統一され、そこには圧倒的なスケール感と未来的な空気が漂っている。巨大なアンテナや研究棟らしき建物が規則正しく並んでいる。
慎二は足を止め、しばらくその光景に見入った。人工的でありながらどこか人間の情熱や歴史を感じさせるその空間は、技術の粋を集めた夢の現場そのものだった。ここで数えきれないほどの人々が、宇宙への挑戦と努力を積み重ねてきたのだろう。
しばらく歩くと、慎二たちはJAXAの本社機能を備えた建物の中へと案内された。内部は洗練された未来的なデザインで統一され、外の冷たい空気とは対照的に、暖房の効いた風が静かに漂っている。慎二はその温かい空気に触れ、少しずつ高ぶる気持ちを落ち着かせようと深く息を吸った。
受付では本人確認のため、生体認証が行われた。慎二が認証を終えると、案内人が何人かの参加者をまとめ、エレベーターへと導いていく。エレベーターの中、慎二は無言のまま天井を見つめた。これから始まる新たな一歩――夢への期待と、それに伴う漠然とした不安が心の中で交錯し、微かな緊張が指先まで伝わるようだった。
やがてエレベーターが静かに停止し、扉が開くと、そこには大ホールへと続く長い廊下が伸びていた。案内人に従い、慎二たちは進んでいく。そして大きな扉をくぐった瞬間、慎二は目の前に広がる光景に息をのんだ。
ホールは圧倒的な広さと美しさを備えていた。天井は驚くほど高く、壁には宇宙を連想させる青い照明が柔らかく反射している。まるで未来そのものが形になったかのような空間に、慎二の胸は高鳴った。すでに多くの参加者が到着しており、それぞれ指定された席に座って静かに待っている。低く抑えられた会話や椅子が動く音が、静かなざわめきとなってホールに広がっていた。
慎二は案内された自分の席に腰を下ろし、目の前のステージを見つめた。
ふと、ホール内が徐々に静まり返り、周囲の照明がゆっくりと落ちていった。薄暗くなった空間には、緊張感と高揚感が漂い、新しい冒険が始まる前の静けさのような雰囲気に包まれる。
次の瞬間、ホール中央のステージがライトアップされた。柔らかなブルーのスポットライトが壇上を照らし、その光は静寂をまといながら、宇宙の深淵を思わせるような神秘的な輝きを放っていた。周囲の闇がその光に溶け込むように広がり、慎二の目にはその光景が鮮烈に焼き付けられた。
そのとき、壇上に一人の人物が現れた。中年の男性で、堂々とした佇まいがひと際目を引く。ゆっくりとした歩みながらも、その一歩一歩には確かな重みがあり、まるで彼自身が地球の重力を体現しているかのようだった。慎二はその存在感に圧倒され、目が離せなくなった。
黒いスーツに身を包んだ男性は、壇上の中央に立ち止まり、真剣な表情で会場全体を見渡す。彼の鋭い眼差しが参加者一人ひとりを捉えるように動き、その瞬間、ホール全体が彼の視線に引き寄せられた。慎二もまた、その目に射抜かれたかのように、息を詰めたままじっと見つめた。
男性は静かにマイクの前に立ち、少し間を置いてから深く息を吸い込む。その一瞬、会場がぴたりと静まり返った。
「皆さん、お集まりいただきありがとうございます」
その落ち着いた低い声がホールに響くと、慎二はどこか心が引き締まるような感覚を覚えた。柔らかさの中にも重みのあるその声は、空間全体に静かに広がり、自然と会場の視線を一つにまとめていく。言葉の一つ一つが丁寧に紡がれ、慎二の胸にじんわりと届いてきた。
「私は、『火星移住プロジェクト』の日本責任者、
その名前を聞いた瞬間、慎二の胸は一気に高鳴った。ニュースや記事で何度も目にしてきた、あの袴田――日本の宇宙開発を牽引し、多くのプロジェクトを成功へと導いてきた人物が、今、自分の目の前に立っているのだ。慎二はその事実に圧倒され、同時に、これから何が語られるのかという期待で胸がいっぱいになった。
袴田は静かに会場を見渡し、優しさと力強さを兼ね備えた眼差しで参加者たちを見つめた。そして再び、ゆっくりと口を開く。
「皆さんがここにいること、それ自体が歴史的な一歩です。これから皆さんと共に、火星への旅を目指し、一緒に未来を切り拓いていきましょう」
その言葉に、会場の空気が一気に温かく、そして引き締まった。慎二も胸の中で熱い何かが込み上げてくるのを感じた。壮大な夢が、今、確かな形を持ち始めている――そう思える瞬間だった。
慎二は、これから『火星移住プロジェクト』の詳しいスケジュールが説明されるのだと思い、期待に胸を膨らませていた。しかし、袴田が再び神妙な面持ちで口を開くと、会場の空気が一変した。
「さて、『火星移住プロジェクト』に参加する皆さんにお伝えしなければならないことがあります」
その言葉に、会場内が一瞬ざわめいた。慎二も思わず背筋を伸ばし、周囲の重苦しい空気に飲み込まれる。袴田の表情は先ほどまでとは打って変わって厳しく、その真剣な雰囲気が参加者たちの緊張をさらに高めていた。
息を詰めるようにして慎二は壇上を見つめる。何が語られるのか――その予感が、静かに、しかし確実に胸の奥で焦りの火を灯していた。
「皆さまは、『火星移住プロジェクト』についてどこまでご存知でしょうか」
袴田の問いかけに、慎二は一瞬混乱した。なぜ今さらそんなことを尋ねるのか。だが、袴田の真剣な表情を見る限り、そこには何かしらの意図があるのだろう。慎二は次第にその意味を探ろうと頭の中で思考を巡らせる。
『火星移住プロジェクト』――その名目は誰もが知っていることだ。増え続ける人口問題、さらに悪化の一途を辿る気候変動への対策として、2017年にNASA主導で立ち上げられた壮大な計画だ。地球外に新たな生活圏を築くことが目的であり、ニュースでもたびたび取り上げられてきた。
さらに、この計画は単なる対策にとどまらず、かつてのSF小説に描かれた宇宙進出のロマンを現実のものにしようという希望も含まれている。技術革新の象徴としても注目され、世界中の人々がその動向を見守ってきた。
慎二は袴田の言葉に引き込まれるように耳を傾けた。確かに『火星移住プロジェクト』の目的や背景は、ニュースや教科書で何度も見聞きした「常識」だ。それをなぜ今、改めて話題にするのか――その意図が分からず、胸の中に小さな違和感が広がっていた。
「皆さまもこう考えたことでしょう。そんな『常識』を、なぜ今さら持ち出すのか、と」
袴田は穏やかな口調ながらも鋭い視線で会場を見渡す。観客席のあちこちで、彼の言葉に思い当たるかのように頷く姿が見られた。慎二自身もその一人だった。
袴田はその反応を確かめると、さらに言葉を続けた。
「では、こういう疑問を持ったことはないでしょうか。2020年代――世界各地で戦争や紛争が絶えず、第三次世界大戦といっても差し支えないほどの混乱が続いていたあの時期に、なぜ全世界が協力し、NASAを中心とする各国の宇宙開発機関に、膨大な資金と人材を提供したのか」
その問いに会場は静まり返った。慎二もまた、袴田の言葉の意味を噛みしめながら眉をひそめた。確かに、その時代は経済も軍事も不安定で、各国が自国の存続に手一杯だったはずだ。それは日本も例外ではなく、直接的に戦争には巻き込まれなかったものの、経済的には大きな打撃を受けていた。それなのに、なぜ全世界が一致団結し、宇宙を目指したのか――。
袴田の言葉は、これまで「当たり前」として受け入れてきた常識に静かに疑問を投げかけた。その問いに、慎二は胸の奥で不安を感じつつも、ここから語られる事実が、これまでの常識を一変させるものになるのではないかという予感を抱いた。
「皆さんもご存じの通り、NASAはアメリカの宇宙開発局です。現在でも、NASAは世界トップクラスの宇宙開発力を誇っています。それゆえに、NASAが中心となって開発を進めるのは当然と思われるでしょう。しかし、中国やロシアなど、これまでアメリカと対立関係にあった国々までもが、NASA中心の開発に賛同し、資金や人材を提供してきた。その背景には、単なる外交や経済の問題では片付けられない、もっと根深い理由が存在しているのです」
袴田は一瞬、言葉を切り、会場を見渡した。その目には鋭い光が宿り、次の言葉が場の空気を大きく変える予感を漂わせていた。
「単刀直入に申し上げます――宇宙が消滅するからです」
その言葉が発せられた瞬間、会場は一気にざわつき始めた。まるで嵐のような動揺が広がり、参加者たちの表情には信じられないという驚きと混乱が浮かんでいた。慎二もまた、呆然と袴田を見つめ、その言葉が意味するものを必死に理解しようとしていた。
「お静かにお願いします!」
袴田の鋭い声がホール全体に響き渡り、ざわついていた会場を一瞬で鎮めた。その声には不思議な力があり、全員が再び彼に注目せざるを得なくなった。
「皆さまが混乱するのも無理はありません。突然こんなことを聞かされれば、誰だって戸惑うでしょう。しかし、これが事実です。そして、この問題に対処するために、各国の上層部が協議を重ねた結果、『火星移住プロジェクト』が宇宙消滅を防ぐ計画の第一歩目なのです」
慎二の頭の中はさらに混乱した。『宇宙が消滅する』という衝撃的な言葉の意味をどう解釈すればよいのか。そして、なぜその対策として『火星移住プロジェクト』が選ばれたのか。それは慎二だけでなく、この場にいる全員が抱えている疑問のはずだった。
袴田は会場を見渡しながら、言葉を続けた。
「『火星移住プロジェクト』がなぜ宇宙消滅を防ぐ鍵となるのか――それについて詳しく話すのはまだ少し早い。今言えることは、消滅を防ぐ答えが火星に存在している、ということです」
袴田は一呼吸置いてから、穏やかな口調で尋ねた。
「さて、ここまでで質問がある方はいらっしゃいますか?」
袴田の声がホールに響くと、会場は再び静寂に包まれた。慎二を含め、多くの参加者が次に何が語られるのかをじっと見守っている。その時、一人の女性が挙手をした。
「では、そちらの女性。どうぞ」
袴田は穏やかに女性を指名した。スタッフが迅速にマイクを手渡し、女性は立ち上がる。緊張した様子でマイクを握り、震える声で質問を口にした。
「あの……袴田さんは先ほど宇宙が消滅するとおっしゃいましたが、その……証拠というか、具体的な根拠はあるのでしょうか?」
女性は質問を終えると、マイクをスタッフに返し席に着いた。会場は一瞬の静寂に包まれる。慎二は、その問いに対する袴田の答えを心待ちにしながら、じっと壇上を見つめていた。
袴田は女性の質問をしっかりと受け止め、うなずいた後、静かに答え始めた。
「当然の疑問ですね。その点について、しっかりとお答えしましょう」
袴田はそう言いながら手元のリモコンを操作すると、正面のスクリーンに映像が映し出された。そこには、慎二が見覚えのあるような奇妙な書物が映し出されていた。それはまるで『ヴォイニッチ手稿』に酷似した古びた書物だった。
「こちらがその証拠です」
袴田がそう言うと、スクリーンに奇妙な書物が映し出された。その瞬間、会場全体にざわめきが広がる。慎二はその映像に目を凝らした。どこかで見覚えがあるような――いや、完全には理解できないが、何か不思議な感覚を覚える。
「さて、一部の方はお気づきかもしれませんが、これは『ヴォイニッチ手稿』と同じ文体、同じ文法で記された書物です。しかし、これは『ヴォイニッチ手稿』そのものではありません」
袴田の言葉に慎二の眉が少し動く。その先を待ち構えるように息を詰めた。
「この書物は、いわゆる『死海文書』の一つです」
その名前を聞いた瞬間、慎二の脳裏にぼんやりとした記憶が蘇った。学校の授業で耳にしたような気もするが、具体的な内容は思い出せない。慎二は少し身を乗り出し、袴田の説明に耳を傾けた。
「『死海文書』――学校での授業や都市伝説、アニメーションに出てくる書物として一度は耳にしたことがある方もいるかもしれません。簡単に説明すると、1947年、ヨルダン川西岸のクムラン洞窟で発見された非常に古い写本群の総称です。これらは主にヘブライ語で記されていますが、一部はアラム語やギリシャ語で書かれているものもあります」
袴田が淡々と説明を続ける中、会場の中から一人の参加者が手を挙げた。袴田がその人物を指名し、スタッフがマイクを渡す。
その参加者は少し緊張した様子で口を開いた。
「すみません……『ヴォイニッチ手稿』と『死海文書』は全く別物だと認識しています。『ヴォイニッチ手稿』は中世の謎めいたイタズラ書きとされており、『死海文書』は主にヘブライ語で書かれた宗教的な写本だと理解しています。それが、なぜここで関係してくるのでしょうか?」
慎二も同じ疑問を抱いていた。『ヴォイニッチ手稿』と『死海文書』が関連づけられる理由が全く分からなかったからだ。
袴田は質問者に一度軽く頷き、スクリーンを指しながら落ち着いた声で説明を始めた。
「確かに、公開されている情報だけを基にすれば、『ヴォイニッチ手稿』と『死海文書』は全く別物とされています。ですが、皆さん、そもそも『死海文書』とは何なのか、改めて考えてみてください」
一呼吸置いてから、袴田はゆっくりと視線を会場内に巡らせた。
「『死海文書』というのは、クムラン洞窟周辺で発見された写本群の総称です。そして、その中には未公開の文書が多く存在しています。その割合は――全体の約7割です」
スクリーンに映し出された文書を指しながら、少しだけ熱を帯びた口調で話を続ける。
「現在、世間に公開されているヘブライ語で書かれた文書を文書Aとしましょう。そして、私が提示している、未公開の文書を文書Bと呼ぶことにします。この文書Bは、皆さんが聞いたことのある『ヴォイニッチ手稿』と同じ文体、文法で記されています」
袴田はわずかに声のトーンを上げ、さらに説明を続けた。
「文書Bは文書Aよりも古く、よりオリジナルに近いものです。文書A、つまり現在公開されているヘブライ語の文書は、後に広めやすく編集され、キリスト教やユダヤ教の聖書の原型になったと言われています。ですが、その編集の過程で、物語形式や比喩表現が加えられ、本来の内容が変わってしまいました」
袴田は一瞬視線を落とし、静かに息を吸い込んだ。
「一方、この文書Bは、そうした編集が加わる前のオリジナルです。言うなれば、現代の宗教文書や歴史文書が生まれる前の、はるか古代の人々が残した最初の記録と言えるものです」
その言葉に、参加者たちは再び静まり返った。袴田はその空気を感じ取りながら、やや抑えた声で続けた。
「そして、この文書Bには――文書Aには記載されていない、宇宙の消滅を防ぐ鍵が記されているのです!」
袴田の言葉が静まり返った会場に響き渡り、慎二の胸には熱い何かがこみ上げてきた。宇宙消滅を防ぐ鍵――その壮大すぎるロマンが、慎二の中に眠っていた冒険心を刺激する。火星移住プロジェクトに参加する理由は、子どもの頃からの夢であり、ロマンだった。だが、その夢がただの個人的な憧れに留まらず、宇宙規模の使命に繋がっているという話に、胸の高鳴りを抑えきれなかった。
「そんなことが……本当にあるのか?」
慎二は心の中でそう呟きながら、周囲を見渡した。参加者たちの多くは興奮に目を輝かせ、袴田の話に食い入るように聞き入っている。その姿を見て、慎二も一瞬、その流れに乗りかけた。しかし――これまで経験した出来事が、胸の奥で冷静さが警鐘を鳴らした。
「待てよ……そんな話が現実にあるなんて、出来すぎていないか?」
慎二は胸の中で呟きながら、会場内を静かに見渡した。他の参加者たちの中にも、どこか落ち着かない表情を浮かべている者がちらほらと見える。もし袴田の話が真実であるならば、この『火星移住プロジェクト』が極めて重要な計画であることは明白だ。しかし、その裏にはどうしても拭いきれない違和感が残っていた。
「宇宙消滅を防ぐなんて壮大な目的があるのに、なぜそれをただの民間人に任せる必要があるんだ?」
その疑問が頭に浮かぶと、慎二はこれまでSNSやニュースで目にした批判的な意見を思い出した。「この計画は、ただの人体実験に過ぎない」「死んでも構わない人間を集めているだけではないのか」といった言葉が慎二の脳裏をよぎる。
もしこれが本当ならば、『火星移住プロジェクト』は、その壮大な名目の裏に別の目的を隠しているのではないだろうか。もしかすると、「宇宙消滅の鍵を握る」という古文書の探索に過ぎず、プロジェクト参加者たちはただの捨て駒にされるだけなのではないか――。
「本当に、ただの当て馬にされるためだけにここに来たのか……?」
慎二の胸に、懐疑心がじわじわと広がっていく。『火星移住プロジェクト』の報酬体系自体、よく考えれば不自然だった。複数国家が協力する巨大プロジェクトである以上、参加者に報酬が支払われるのは理解できる。しかし、その額は異常だ。慎ましく生活すれば一生をまかなえるほどの莫大な金額が、一人一人に支払われる計画なのだ。
「もし、その莫大な報酬が、最初から支払われることを想定していないとしたら……?」
慎二の頭をよぎるのは、最悪のシナリオだった。火星での全滅をあらかじめ織り込んだ計画――もしそれが真実であるなら、全てが辻褄が合ってしまうように思える。
慎二の考えたシナリオはこうだ。
プロジェクトの起点となったのは、発見された古文書。その内容には『宇宙消滅』の危機が示唆されており、それを回避する手段が火星に存在している可能性がある。だが、その真偽は不明であり、確かめる必要がある。しかし、火星での探索は危険が伴い、多くの人員が必要となる。そこで『火星移住プロジェクト』という名目で計画を打ち出し、莫大な報酬という「餌」を用意することで人材を集めたのではないか――。
火星移住にロマンを抱く人々を募るだけでは十分ではない。そこで生活困窮者や、報酬目当ての応募者も含め、幅広い層を取り込む仕組みを作り上げた。そして、選ばれた参加者たちを「死んでも構わない」として火星に送り込み、古文書の真意を確かめる。もしその内容が確実なものであれば、次に本格的な部隊を送り込む計画が動き出す――。
それに袴田自身が白状していた。『火星移住プロジェクト』が、宇宙消滅を防ぐ計画の第一歩目である、と――。
慎二は「これでは母の言った通り、ただの命を捨てる旅になる」と喉を鳴らし、心臓が早鐘のように打つのを感じた。この疑念を抱えたままでは、前に進むことはできない。確かめなければならない。
「……聞いてみよう」
慎二は意を決して手を挙げた。瞬間、会場内の視線が一斉に慎二へと集中する。袴田もその挙手に気づき、少し微笑みながら静かにうなずいた。
「では、そちらの方。どうぞ」
スタッフが素早くマイクを持って駆け寄り、慎二に手渡す。マイクを握った慎二は、一瞬言葉を詰まらせながらも、深く息を吸い込み、意を決して問いかけた。
「質問があります……その古文書の内容についてですが、それが本物であるという確証は、本当にあるのでしょうか?」
慎二の問いがホール全体に響くと、会場内に再びざわつきが広がった。慎二は周囲の反応に内心焦りを感じながらも、視線を袴田に向け、その答えをじっと待った。
次の更新予定
毎週 日・水・土 18:00 予定は変更される可能性があります
あの日見た滅びの景色を、僕たちは忘れない。 しろおび @attowaku
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