灰色のブロックの下で

コワンチョウ

日常…?①

――1985年4月15日、午前6時50分


4月に入って半ばが過ぎたにも関わらず、東京をはじめとする関東地方は、まるで冬が逆戻りしたかのように、重い鉛色の空に覆われていた。


「うぅ、寒い……」


美波子は目覚まし時計の音で目を覚ました。彼女はベッドから上半身だけを起こし、眠たい目を擦りながらも窓の外の景色を眺める。空はどんよりとした曇り空をしており、同じように寝起きを迎えたであろう向こう側にある団地の一室からの灯りがぼんやりと見える。季節はもう既に春だというのに、それが嘘であるかのように肌を刺すような冷たい空気が身体を震えさせる。


軽くため息をつきながらも、美波子は布団からゆっくり出ようとする。布団から出た後、今着ている寝間着から着替えるために、折り畳んでいる制服を取り出し、震えながら着込む。窓から差し込む光は相変わらず弱く、今日一日、この寒さが続くであろうことを予感させた。


「美波子、朝ごはんよ!」


母の声に急かされながらも、自分の部屋を出る。廊下は部屋よりも寒く、少し小走りになりながら、美波子は両親がいるダイニングキッチンへと向かった。


ダイニングキッチンへ足を踏み入れると、既に温かい朝食は用意されていた。テーブルの上には、質素ながらも愛情が感じられる朝食が並んでいた。美波子は父親と対面する形で、椅子へ座る。


「お父さんおはよう。」


「あぁ、おはよう美波子。」


美波子は父親と軽く挨拶を交わす。父親は毎日の日課でもある新聞を読んでおり、美波子に顔を向ける気配もない父親は、時々眉をひそめながらも、コーヒーを片手に飲みながら新聞の記事に目を通していた。


「いただきます。」


美波子は合掌した後、朝食を食べ始める。鮭と少しの和え物、ご飯、味噌汁とまさに日本の朝食らしい、シンプルな献立をしている。朝食を食べている途中、父親は美波子に質問を投げかける。


「美波子、学校の方はどうだ?学年が上がってからまだ間もないが、授業にはちゃんとついていけてるか?」


「うん、ちゃんと授業にはついていけてるよ。前のクラスと一緒だった友達とも仲良くしているし、部活とかちょっと忙しくなったけど、楽しく過ごせてるよお父さん。」


「ふむ、そうか…もし何か悩みでもあったら何でも言って欲しい。お父さんとしても出来る限りのことはしたいからな。」


「あ、ありがとうお父さん。」


美波子は少し照れくさそうに返事をする。


味噌汁を啜りながら、美波子は何気なくテレビに視線を向ける。テレビの画面からはアナウンサーが映されており、いつも毎朝やっているニュース番組だと理解した。


「刻一刻と迫ってきている日本人民共和国建国35周年の記念日に向けて、北は千島列島から南の南西諸島に至るまでの日本人民共和国全土では、新日本成立を祝うための祝賀行事の準備が各地で着々と進んでおります。なかでも東京特別区では…」


テレビからは、賑やかな音楽と共にニュースが流れており、アナウンサーは意気揚々とニュースの内容を読み上げている。内容は、来たる日本人民共和国の建国35周年記念日に向けて、全国各地で祝賀行事の準備が進んでいるのと、旧日本国政府に代わって統治してきた日本人民党とその指導者らの功績についての特集が主な内容だった。


父親は新聞を折り畳んだあと机に置いてテレビの画面に注目していたが、その表情はどこか後ろめたさを感じているように見えていた。母親は一人静かに家族全員分の朝食の準備を終え、台所から椅子へ座り、これから朝食を食べようとするのと同時に、美波子は朝食を完食し、箸を置いた。


「ごちそうさまでした。」


美波子は丁寧に合掌したあと、部屋に置いてある鞄を手に取るため一旦部屋へと戻る。部屋で鞄を取った後、美波子は鏡を見て制服の赤いリボンなどを整えた。


「…よし、これでバッチリなはず!」



服装を整えた後、そのまま玄関へと向かう。靴を履いて靴ひもを結び終え、そのまま玄関のドアに手をかけたその時だった。母親が結んだ布に包まれたお弁当箱を両手で大事に抱え、美波子のいる玄関へと向かう。


「美波子、お昼のお弁当忘れてるわよ?」


「あ、ほんとだ。ごめんお母さん!お弁当があったの忘れてた…」


美波子はお弁当箱を持つと、あわてて鞄の中へとしまう。


「もう準備は出来た?」


「うん、大丈夫!」


美波子は自信ありげにそう答える。すると母親は少し厳しめに諭した。


「家を出る前はちゃんと忘れ物の確認くらいはしなさいよね?それから、最近は人民警察の巡回が増えてきているから、くれぐれも怪しまれるような事は絶対しないでね。もしそれで捕まってしまったら大変なことになるわよ?」


「ありがとう、じゃあ行ってきます!」


「行ってらっしゃい。気をつけるのよ。」


親の言葉を真摯に受け止めた美波子は、元気よく返事をした。玄関のドアを開け、そしていつもと変わらぬ日常の中の1つとして、学校へ登校する。


しかし、この何気ない朝から始まる1日が、美波子自身にとって、今後の人生を揺るがすだけでなく、この国の運命さえも大きく変えるきっかけとなることを、彼女はまだ知らないのだった。

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