二日目、そしてあの日

 彼女が家に来てから、一つ夜が去った。僕はまるで夜空にちりばめられていた星々の輝きを一つに集めたかのような朝の陽ざしで目を覚ました。


「おはようプルートー。君にとっては嫌味なくらい、いい朝だね」


 ベッドの上で伸びをしながら、部屋の隅に丸まっているプルートーに声をかける。彼女は朝日が嫌いなようで、昼頃までずっとこうして丸まっているのだ。


 『彼』も夜までずっと地下室で寝ている。彼ら死体も朝日が苦手らしい。どの死体も同じように夜まで寝ていた。


「ワトソンは......まだ寝てるか」


 朝食を作ろうとキッチンに向かう途中で彼女が寝ている部屋の扉をすこし開けてみたが、彼女は毛布にくるまって寝息を立てていた。


「んんーッ」


 と彼女が伸びをしたところで慌てて扉を閉める。もし彼女が起きたとき僕が見ているのに気づいたら、あらぬ誤解が生まれるかもしれない。


 割とかわいい寝顔だったな、なんてことを考えながら朝食を用意していると、ワトソンがリビングにやってきた。


「やあ、よく眠れた?」


「ん、おはよ」


 どうやら彼女はプルートーと同じく朝が苦手らしい。寝ぼけた目を細めながら、テーブルに住まって朝食を待っていた。


 僕たちは何も話さずに朝食を終えた。ちなみに、彼女はここに来た時からずっと手袋をしている。なんでも、能力を抑えることが出来る手袋らしい。


 食器を洗っている間、ソファーで寝っ転がっているワトソンにふと質問をしてみた。


「ワトソン、君さてはだらしないな?」


「......」


 彼女は答えない。だが恐らく図星だったのだろう。少し起き上がって、わざとらしく話題をそらした。


「このテレビつかないの?」


「古いからね。やつら軍人どもも買いに行かせてくれないし」


「ふーん」


 彼女は興味なさそうにまたソファーに寝っ転がり始めた。食器を片付け終えてもまだそのままだったので、もしかしてと思い声をかけてみる。


「ひょっとして今、暇?」


「—うん、すごく」


 そういうと、彼女はソファーから床ににたれ下がりながら文句をつづけた。


「大体何なのよこの家、テレビもつかないラジオもない、私の前の家だったら想像もつかないわこんなの。」


 ちょっとイラっと来た。ここは僕がずっと住んでいる、僕にとって最高の家だ。そんな場所をこんな風に言われるとは。


「随分とたいそうな家に住んでいたんだね」


キッチンから出て彼女を正面でとらえた僕は、若干の皮肉を込めて返した。


「ええ、この国であそこよりいい場所はないでしょうね」


「それなのに、こんなところに送られてきたのかい?」


そこで、彼女の動きがとまった。ずるっと、ナメクジのようにソファーから滑り落ちる。


「—別にいいでしょ、悪かったわよ」


そう謝った彼女の顔は、本当に反省して見えた。案外やさしいのかもしれない、そう思うと怒りはたちまち収まった。


「別にいいよ、それより君、割と遠慮なく言うんだな。昨日は大人しそうに見えたけど」


「これが素よ。もう猫を被る相手もここにはいないしね。――ねえ、どっか行くの?」


玄関に行こうとしたとき、彼女が訊ねてきた。


「ああ、ちょっと散歩に。天気がいい日の朝の日課なんだ」


「—私も行く」


 そういうと彼女は床から体を起こし、玄関まで小走りに来た。心なしか少しうれしそうだ。


「そういえば部屋着から着替えてないけど、大丈夫かな」


ドアを開けて家の外に出たとき、彼女が言った。


「大丈夫だよ」


キッパリと答える。


「ここにはもう、部屋着を気にする人もいないから」


彼女がそうね、とほほ笑んだ。


―――


「ちょっと、いつまで歩いてる気なのよ」


 僕の後ろで息を切らしながら、ワトソンがしびれを切らしたように吐き捨てた。


「何言ってんだ、まだ少ししかたってないじゃないか」


「そんなことない、絶対三時間は歩いてる」


 振り向くと彼女は相当げんなりとしていた。確かに僕らが歩き始めてから三時間以上がたつが、別に暑いわけでもないのにこれくらいできつくなっているなんてどれだけ運動をしてこなかったんだろうか。


「普通あと二時間くらいは余裕で歩けるだろう。僕はまだ帰らないけど、先に帰ってても良いよ」


「―そんな歩けるわけないでしょ!それにこんな気味の悪いところ、一人で歩くなんて御免だわ」


「そんな気味悪いかな?」


 歩いているのは僕たちの家がある住宅街だ。僕はここ十数年、この場所を気味が悪いだなんて思ったことがなかった。


「悪いわよ!こんな人のいない住宅街なんて!家だってほとんどが崩れてたり壁がはがれてたりしてるし!」


「しょうがないだろ、ここら一帯に住んでるのは僕たちだけなんだし」


「政府も馬鹿ね、誰も住まないならこんなに家を建てなきゃよかったのに」


「別に政府が悪いわけじゃ......」


 言いかけたところで、ワトソンと僕の間を何かが横切った。


シマリスだ。


「何この子、かっわいい~」


 そう言うと、それまでの疲れはどこへやら、彼女はシマリスを追いかけて走って行ってしまった。


 彼女が森でシマリスやシカ、ウサギなど様々な動物たちと一緒に寝ているのを発見したのは、それから一時間くらいたった後のことだった。暫く待っても誰も起きなかったので、ワトソンを起こすことにした。


「ワトソン起きて、帰るよ」


「ふぁ......って、なんでここに⁉」


「歩いてたらいたから」


「ふぅん、それより聞いて、私動物たちと寝てる夢見てたの」


 とっても良かった......と言ったとき、彼女は周りで寝ている動物たちに気づいたようだった。まるで幼い子供のように目を輝かせながら、彼女は喜びを抑えられないようだった。


「わぁ、夢じゃなかったんだ!かわいいなぁ。ねえ、かわいいねぇ」


 彼女が僕に振り向いた。今まで見たことがないくらいの、まぶしい笑顔だった。


 僕の心はこの時ようやく、彼女が女の子なんだという事を認識した。


「ああ、そうだね」


 そうこたえるのがやっとで、顔が熱くなるのを感じて顔をそむけた。


「帰るよワトソン。おひるごはんにしよう」


「はーい」


 家に帰ると、何故か怒り気味のプルートーがむかえてくれた。


―――


「そういえば、絵を描いてるの?」


 夜ごはんの時、ワトソンが僕に聞いてきた。


「ああ、うん。それが?」


「いや、どんな絵を描いてるのかちょっと気になっただけよ」


「それはまたどうして」


「私も絵が好きなのよ」


 午前中の散歩で気を許してくれたのか、彼女は自分のことについて話し始めた。


「お父様が大の絵画好きで、前私が住んでた家には沢山絵があってね。私の誕生日には毎年絵をくださったわ。壁にその絵を飾って、毎晩その絵をみながら眠りにつくの。どんなに嫌なことがあっても、絵があったから頑張れた」


「いいお父さんだね」


 本当のことを言うと、僕は両親がいた頃の記憶がなかったからそれがいい父親かどうかわからなかった。でも彼女の表情から、そうなんだろうという事は分かった。


「本当にいいひとわ。去年の誕生日には私の肖像画をくださってね。すごいかわいく描けてたの。だからあなたも、誰かの絵を描いてたりするのかなぁって」


「まあ、描いてるけど」


 確かに僕も人の絵を描いてはいる。死人も死んでるだけで人ではあったから、嘘じゃないはずだ。


「え、ほんと!誰の絵を描いたの?」


「例えば、彼とか」


 そう言って、地下から階段をのぼってきている『彼』を指さした。


 明るかった彼女の目が、急に暗くなった。


「何よ、死人じゃない」


「なんだよその反応。『彼』はな、今までの死人で一番長く生きてるんだぞ」


 自分が何を言われているかわからなかったのか、フンッ、と不満げに鼻を鳴らす彼女に『彼』は微笑みかけている。


「まさかあなた、生きてる人を描いたことがないなんてことはないわよね」


「いや......ないです」


「本気で言ってんの?」


「しょうがないじゃないか、周りに生きた人がいなかったんだから」


「それもそうね......あ、じゃあこうしましょ」


 再び彼女の顔に明るさが戻った。


「今年の私の誕生日、あなたが私の肖像画を描いてよ。誕生日までまだ六か月あるし、いいでしょ?」


 予想外の提案だったので、何といわれたか理解するのに数秒かかった。やっと理解した後、すこしつっかえながら、辛うじて「うん」と答えることが出来た。


 夜ご飯を食べ終わりワトソンが自分の部屋に戻った後、僕は『彼』と一緒に食器を洗っていた。それにしても、朝あれほど生意気だった彼女が僕に絵を描いてくれというなんて散歩の力はすごいものだ。


 シャワーを浴びた後、『彼』が夜の散歩に行くのを見送った。今までの死人たちもそうだったのを見るに、散歩が好きなのは彼らも同じらしい。


 そういえば、彼をまだ操れているのはなぜなのだろう。特段屈強という訳でもなく、むしろ細いくらいなのに。


 そんなことを考えながらベッドにもぐりこみ、眠くなってきたところでふとあることが頭をよぎり、呟いた。


「生きてる人の絵を描くのは......これが初めてだな」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

                     

――へえ、結構いい出来ね。やるじゃない


 完成した自分の肖像画をみた彼女はとてもうれしそうだった。


 僕たちが肖像画の制作を始めて五か月、ワトソンの誕生日は来週に迫っていた。


――これがもし去年のコンテストに出てたら、こっちの方が選ばれてたかもしれないわね


 ワトソン曰く、彼女がいた都市では毎年大きな絵画のコンテストがあったらしい。


――そのコンテストで一位だった作品が、毎年私の誕生日プレゼントになるってわけ


 なんだよそれ、そんなたいそうな身分だったのかい?


――そうよ、だって私は......



 プルートーが、今まで見たことがないくらいに毛を立てて威嚇していた。


――ようクソガキ。絵の調子はどうだ


 そう言って、チビデブとガリのっぽの少佐どもがずかずかと家に入り込んできた。


――まだ新月まで日はある筈じゃ......


――ああそうだな、だから今日はじゃない


 チビデブは絵を抱えておびえているワトソンの前まで来ると、カバンから一つの紙を取り出した。


――ワトソン、お前に用がある。国王様からの伝言だ


 紙を広げ、内容を読み上げ始める。


「我が娘ワトソン。我がもとに戻り、子としての責務を果たせ」


 これは夢だ。ずっと絵を描いて、疲れているんだ。

 ワトソンが国王の子の訳がない。ある筈がない。


 そう思って嚙んでみた唇は、非情にも痛かった。


――ワトソン。お前を王都に連れて行く


 チビデブの一言が、僕の心に重くのしかかった。




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あの日々の記録 栗ご飯 @BanSoTan

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