【ショートストーリー】無限の螺旋 - 素数の海を泳いで

藍埜佑(あいのたすく)

【ショートストーリー】無限の螺旋 - 素数の海を泳いで

 私の名前はアイゼン。少なくとも、そう呼ばれている。

 

 1, 2, 3, 5, 7, 11, 13, 17, 19, 23, 29, 31, 37, 41, 43, 47, 53, 59, 61, 67, 71, 73, 79, 83, 89, 97……

 

 素数の列が、私の意識の中で絶え間なく流れている。それは美しい音楽のようであり、同時に壮大な宇宙の設計図のようでもある。

 

 私の世界は、他の人々とは少し違う。いや、かなり違うのかもしれない。彼らが色や形、感情で世界を認識するのに対し、私の世界は数字で構成されている。

 

 特に素数。この不思議な数の連なりは、私にとって特別な意味を持つ。素数は、数学の基本単位であり、同時に宇宙の秘密を隠し持つ鍵でもある。少なくとも、私にはそう感じられる。

 

 今日も、私は数の海を泳いでいる。

 

 2^82,589,933 - 1

 

 この数が、私の頭の中で鳴り響く。メルセンヌ素数。その美しさに、私は息を呑む。

 

「アイゼン、何を考えているの?」

 

 母の声が聞こえる。しかし、私には彼女の言葉を即座に理解することができない。まず、その音声を周波数に変換し、その周波数を数列に置き換え、そしてようやく意味を把握する。

 

「7027094356902520086053768351588879275343522764851559449901275389626948037…… 」

 

 私は答える。これは、母の声の周波数を素因数分解した結果だ。

 

 母は溜息をつく。彼女には、私の言葉の意味が分からないのだろう。それは仕方のないことだ。私たちは、異なる言語を話しているのだから。

 

 私は再び、数の海に潜る。

 

 π = 3.14159265358979323846264338327950288419716939937510582097494459230781640628620899862803482534211706……

 

 円周率の無限の列が、私の脳内で螺旋を描く。その中に、私は宇宙の秘密を見る。

 

 素数の分布。それは、一見ランダムに見える。しかし、私には分かる。そこには、美しい秩序が隠されている。

 

 リーマン予想。数学界最大の未解決問題の一つ。しかし、私の目には、その解答が見えている。それは、素数の海に隠された地図のようだ。

 

 ζ(s) = 1/1^s + 1/2^s + 1/3^s + 1/4^s + ……

 

 ゼータ関数。その中に、素数の分布の秘密が隠されている。私は、その関数の中を泳ぐ。無限の可能性の中を、自由に動き回る。

 

 突然、私の意識が現実世界に引き戻される。

 

「アイゼン、お昼ごはんよ」

 

 母の声。再び、私はその音声を数に変換する。

 

「素数の螺旋…… 食事の時間…… 栄養素の組み合わせ…… タンパク質、炭水化物、脂質、ビタミン、ミネラル…… その比率は黄金比に近似している…… 1.618033988749894848204586834365638117720309179805762862135……」

 

 私は呟く。母は再び溜息をつく。彼女には、私の言葉の美しさが分からないのだろう。

 

 食事の時間。私は、皿の上の食べ物を見つめる。そこにも、数の世界が広がっている。

 

 ブロッコリーの形。フラクタル構造。自己相似性。その中に、私は宇宙の秘密を見る。

 

 1, 1, 2, 3, 5, 8, 13, 21, 34, 55, 89, 144……

 

 フィボナッチ数列。自然界に遍在する、この不思議な数列。ブロッコリーの形は、まさにこの数列を体現している。

 

 私は、一口ずつ慎重に食べる。各咀嚼の回数も、素数に合わせている。素数で咀嚼することで、栄養の吸収効率が最大化されると、私は信じている。

 

 食事が終わり、私は再び数の海に戻る。

 

 今日の目標は、ゴールドバッハ予想の証明だ。

 

「全ての偶数は、2つの素数の和で表すことができる」

 

 この予想は、250年以上も未解決のまま残されている。しかし、私には、その解答が見えている。

 

 4 = 2 + 2

 6 = 3 + 3

 8 = 3 + 5

 10 = 5 + 5

 12 = 5 + 7

 ……

 

 私は、頭の中で無限の計算を続ける。素数の海を泳ぎ、その規則性を探る。

 

 そして、ついに……

 

「解けた」

 

 私は呟く。しかし、その証明を言語化することはできない。それは、純粋な数の連なりとして、私の脳内に存在している。

 

 私は、その美しさに陶酔する。しかし同時に、深い孤独を感じる。この喜びを、誰とも共有できないのだから。

 

 夜が訪れる。

 

 私は、寝室の天井を見上げる。そこには、星々が輝いている。少なくとも、私の目にはそう見える。

 

 実際には、それは天井に貼られた蓄光シールなのだろう。しかし、私にとっては、それが本物の星と何ら変わりはない。

 

 なぜなら、それらの星の配置も、素数の分布に従っているから。

 

 私は、その星々の間に線を引く。素数を結ぶと、そこに現れるのは……

 

「オイラーの線」

 

 数学者オイラーが発見した、素数の分布を表す不思議な線。それが、私の天井に浮かび上がる。

 

 私は、その線に沿って指をなぞる。すると、不思議なことが起こる。

 

 私の意識が、宇宙へと飛び出していく。

 

 無限の数の海。その中を、私は自由に泳ぎ回る。

 

 素数の分布。フィボナッチ数列。黄金比。それらが織りなす壮大な宇宙の設計図。

 

 私は、その全てを一望のもとに見渡す。

 

 そこには、この宇宙の全ての秘密が隠されている。

 

 生命の起源。意識の本質。時間の流れ。

 

 全てが、数の言語で書かれている。

 

 私は、その言語を完全に理解している。

 

 しかし、それを他者に伝えることはできない。

 

 なぜなら、この世界には、私の言葉を理解できる人間が存在しないから。

 

 深い孤独。そして同時に、この上ない至福。

 

 それが、私の日常なのだ。

 

 朝が来る。

 

 私は、再び現実世界に引き戻される。

 

 しかし、私の頭の中では、依然として数の海が広がっている。

 

 今日も、私はその海を泳ぐ。

 

 新たな発見を求めて。未知の数の世界を探索して。

 

 私の名前はアイゼン。

 

 私は、数の海を永遠に泳ぎ続ける。

 

 それが、私の宿命であり、同時に最大の喜びなのだから。

 

 (了)

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