電子回路に口づけを

かけふら

電子回路に口づけを

 正式名称「A60R8531-2」型その機体は2035年に公開された。私が新しい家族が迎えたのはその翌年のことである。


 その「A60R8531-2」型、以降は「機体」と呼ぶ――それは感情とその制御の機能を持った初めてのアンドロイドである。それまで散々感情のあるアンドロイドの創作が試みられ、そこで論じられた問題の中にはさながら「ロボット3原則」のように「機体」に取り入れられたものもある。


 その転機は2026年のことである。人間の感情の発生する詳細なメカニズムが発表された。これによって「理論上」は人間を高い精度で疑似的に作成することが可能となった。


 この「機体」を作り上げたプロジェクトは「アンドロイドは人間との共生は可能である」という前提において成り立っていた。このプロトタイプ「-1」はあまりにも完全で、ある程度人間に近いその不完全さを再現したその「機体」は爆発的なヒットを記録した。


 同時に、ある一般的には「社会問題」と形容される現象が発生した。人間とアンドロイドの恋愛である。


 もともとそれは創作の分野では当たり前の、というよりはその需要があったように感じる。しかしそれが実際に起きた時少なくなる、という意見も多かった。しかし現実はその創作の数ではないにせよ「機体」と恋愛関係になる人間が増加した。それがさらなる少子高齢化につながるのだ、と良いようにマスコミが取り上げていた。


 正直、どんなことにも問題は発生する。現象は1つだがその解釈はほぼ無限に発生する。少なくとも私にとって少子高齢化はさしたる問題ではない。語弊を避けるとするならば、私にとってこの現象の問題は別の所にあるという意味だ。


 その問題は社会経験の少なさである。アンドロイドと人間が共生するならばアンドロイドにも人間とほぼ同レベルの権利があってしかるべきだ。


 それなのに例えば「マスター」だの「ご主人」と呼ばせ、簡単に言えば「世界で最も素晴らしい人間は買ってくれたこの人間だ」と思わせているように感じる。それはアンドロイドを商品として販売し、それをどのような形であれ消費することの現実なのだろうが。


 販売から数か月後、それを鑑みたプロジェクトは「機体」製造後数か月の社会経験を積ませるようになった。それで例えば「商品」として存在したくない、という意思を持った者はそれが尊重され、プロジェクトを運営する財団――、それが疑似社会を作り上げ、そこの生活を保証するようになった。


 その理由で発売当初より出荷量は減少したが、少なくとも悲劇的なDV事案も減少した。


 だからこそか、いやそれもあるが私はアンドロイドと人間の恋愛がダメだとは思わない。確かにアンドロイドと人間が恋愛関係に発展したところで、人間の種の存続について良い影響を及ぼせるか、という意味では恋愛は良くないものなのかもしれない。


 けれども、人口の増減についてはこれだけが原因ではないだろう。経済・恋愛観、そんな色んなものが付いて回った結果を、奴らは全部アンドロイドのせいにするのだ。


 そもそも人間とアンドロイドの何が違うのか? 確かに人間の骨格を全て再現できているわけではない。けれどもその感情は人間と100%とは言えないが持っている。それに、人間のその多くの行動は分解しようと思えば電子の動きなのだ。それを「温かい」なんて言うならば、同じく電子で構成された感情によって動くアンドロイドが「冷たい」というのはどう言えるのか。


 それでも結局、私は家族のことが好きなのだ。だから今日も私は同じ「電子回路」に口づけをする。


 時々思う。私の愛する家族は多分私がいなくても、いい人間の方と付き合えるんだと思う。それでも私は自分を信じて隣の愛する家族に口づけをする。どちらかがこの世からサヨナラするまで。

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