夏休みの夕焼け

灰色セム

夏休みの夕焼け

 夏が来ると思い出す。

 あいつと見た、あの夕焼けを――。


 あれは高校受験をひかえた、多感な時期の夏休みだった。進路というものが重くのしかかってくる。将来のため。夢のため。親も周りもそう言うが、正直なんのために勉強しているのか分からなかった。

「赤松 さとし。得意科目は国語と歴史。将来の夢、は――ああもう面倒くさい!」

 その日、面接の練習に疲れきった俺は、宿題もなにもかも放り出して家を飛び出した。

 夕方の町を自転車で爆走すること十五分。汗だくになってたどり着いた公園には先客がいた。俺と同じ歳くらいの男の子だった。肩にかかるほど長い髪はツヤツヤしていて、そよ風でなびいていた。彼は公園にふたつしかないブランコの片方に座っていたが、楽しんでいるようには見えなかった。

「となり、いいか?」

「どうぞ」

 声変わりの途中だろう穏やかな声にあっさりと許可される。ここで引き返すのもおかしい気がして、となりのブランコに腰かけた。

 この町に中学校はひとつしかない。だというのに、彼を見たことはなかった。最近になって引っ越してきたのかもしれないと、そのときは思っていた。

「俺、赤松。お前は?」

「僕はさとる。よろしくね、赤松君」

「よろしくな、さとる」

 名前が似ているという親近感は、一気に彼との距離を縮めた。学校のこと、家族のこと、進路のこと。身近な人には話せない、いろいろな事を打ち明ける俺の話を、さとるは楽しそうにうなづいて聞いてくれた。

「あーー、なんかスッキリした! さとる、お前は? 今度は俺の番だ。なんでも聞くぜ」

「うーん、僕はいいかな」

「水くさいな。俺たち、もう友達だろ」

 さとるは少しうつむいて、夕焼けを見る。つられて俺も夕焼けを見た。太陽光にルビーを通したような、澄み切った茜空だった。

「僕、帰る時間になっちゃったから」

「門限が厳しいんだな。なあ、また会えるか?」

 ブランコから身を乗り出す俺に、彼は小さな笑顔で答えた。夕焼けに照らされた輪郭が、少しずつ透けていく。二度見する間に、メロンソーダに浮かんだアイスクリームよりも儚いスピードで姿がおぼろげになっていた。

「また、いつかきっと。じゃあね、さとし君」

「待っ――」

 どこからか軽やかな鈴の音がして、彼は夕暮れに消えていった。あわてて伸ばした手がむなしく空を切る。彼はどこに帰ったのか。さとるは俺と会って、なにがしたかったのか。なにを得たのか。たとえ幽霊だったとしても、俺の話しを静かに聞いてくれたお礼をできていなかった。

「さとる。また、会えるんだよな?」

 この日の出会いが、俺の進路を決定づけた。


 すっかりなじんだスーツ姿で教室に入る。

「ほらほら、席に着け。朝の会を始めるぞ」

「赤松先生、おはようございます」

「はい、おはよう。今日は転校生を紹介する」

 もとより賑やかだった教室は、一気にライブ会場になった。騒ぐ生徒たちをなだめ、ろうかに向かって声をかける。

「入っておいで」

「はい」

「それじゃあ、自己紹介できるかな?」

 あの日と変わらない声。少し短めの髪。記憶より幾分か伸びた身長。チョークを持つ手がなめらかに名前を書いていく。

「雪村さとるです。よろしく」

「みんな、仲良くしてあげるように」

 クラス全体で元気のいい返事があがる。

「雪村君、なにか困ったことがあったら先生に言うんだぞ。なんでも聞いてやるからな」

「はい、先生」

 雪村は、あの日と変わらない笑顔で俺にうなづいた。

 夏休みが、近づいている。

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夏休みの夕焼け 灰色セム @haiiro_semu

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