第19話 月下の秘め事
社交の場で男女が密談する際はダンスを興ずるのが最適とは言うが、
人どころか夜闇で鳥すら飛べない空では、誰も聞き耳を立てない。
アリアナはようやく、自分がここまで連れ出された理由がわかったような気がした。
「こんなのは宝石を石ころに変えてしまうようなものだよ。価値を無価値に、努力は泡沫に。意味のないものにしてしまう。俺にとっては、そういうものだよ」
風の中で静かな声が届く。
愉しむわけでも、悲しむわけでもない。淡々と事実を述べるような、寂しい言葉だった。
「手元に石が残ったなら、磨き直せばいいんです」
きっと背中に回したライの腕が、カーディガンを抑えていてくれる。もしここで落としても惜しくはない。
アリアナはライの肩に左手を添え、強く握る。
「宝石どころか、何もかも無くすところだったわたしに、貴方は石を残してくれました。わたしにとっては、それが全てです」
ライの力の詳細はわからない。彼の感性に理解を示せない。
それでも、価値も意味も持たないまま死のうとしていたアリアナに、選択肢を与えてくれた。
(どれほど、救われたか)
命を拾ってくれた。
尊重してくれた。
眠りの浅い夜に傍にいてくれた。
言葉では言い尽くせない想いが胸を掻き乱す。
何から、どこから話せば、伝わるだろう。わかってもらえるだろう。
見透かすようなガラスの瞳が、柔らかく細められる。
「そう。だから、アリアナが俺の夢で、希望なんだろうね」
「わたしが……?」
「魔族には価値も意味も必要ない。俺には光る石の違いはわかんないけど、人族が宝石を欲しがる気持ちが、わかる気がする」
熱の含んだ眼差しを、蕩かされそうな微笑みを、至近距離から向けられて、視界がライに占拠される。
どくどくと脈を打つ音が耳の奥で鳴り響いて、妙に息苦しさまで感じ出した。ライが隣ではなく目の前にいるのに、アリアナは謎の緊張感でいっぱいいっぱいになっていた。
とにかく落ち着かなくて、ライの肩に触れていた手を戻したが、それはそれで置き場がなくなった。
「ねぇ、魔族はどのくらいの比率で雌個体が存在するか、知ってる?」
「えっ!? ええと、確か、十万分の……」
また唐突で意味不明な質問が飛んできた。
だが全身こちこちになっているアリアナにとって、気を紛らわせる話は大歓迎だった。記憶を探って答えを言おうとするが、食い気味にライが「はい、はずれー」と打ち切ってしまう。
もっとじっくり考えて熱を冷ましたかったが、そんな時間が無駄だと言わんばかりに、頭が冷える
「正解は、おおよそ百分の一、だよ」
「…………え?」
魔族の雌とはすなわち、魔王となる個体を意味する。
その凄まじい脅威の唯一の欠点であり、人族にとって救いだったのは、個体数の圧倒的な少なさだった。
魔獣、魔族の被害総数と、世界全土で見つかっている魔王の数、未発見を仮定に含めても十万分の一という希少な存在だと研究されていて、アリアナもそう学んでいた。
しかし、実態は違うと、魔族側が否定する。
「ちゃんと数えてないけど、大体百匹に一匹は雌だよ。まーそれでも少ないし、人族が魔王って呼んでる子沢山頑丈タイプはもっと少ないよ。それこそ十万分の一くらいかも。普通は二百匹も産んだら死ぬし」
「に、二百でも、人族からすれば子沢山なのですが……」
「魔王は万を生む、に比べたら一般的じゃない?」
一般的とは。
自分が空中に浮いている事すら一瞬頭から抜け落ちるほど衝撃を受けた。先程まで熱に浮かされていたのもあって眩暈がしそうだ。
「そ、それは、おかしいです。魔獣、魔族の雌個体を発見出来なかったから、探した結果、魔王の存在に辿り着いたんです。百分の一なら、見つからないほうがおかしいはずなのに」
「そりゃ、魔王と同じくらい厳重に隠されているからだよ。他の雌が見つからないで魔王だけが見つかったのは、巣から雄と子供が節操なくわらわら溢れてたせいだろうね」
「な、るほど……?」
一般的が百くらいと仮定して、魔王は万。
「それで。何で急に
「う?」
限界まで頭を回しているアリアナに、ライは平然と質問を畳みかける。
「え、ちょっと考える時間を、」
「つまり、魔族の雄は雌を囲い込む本能が備わってるんだよ。人族だろうと同族だろうと関係なく、奪われないために、逃がさないために、厳重に、閉じ込めるんだ」
猶予すらなく、語られる事実を飲み込めていないアリアナに、ライは容赦なく薄ら笑みのまま次々と明かしていく。
最早、何も考えさせないと言わんばかりの勢いだった。
「そんな
「…………」
「アリアナ、わかった?」
「と、」
行き場がなく宙を搔いていたアリアナの左手が、ライの胸元へ頼りなく添えられる。
「閉じ込めて、くれるの?」
「――――」
「ま、まだ先ですけど! わたしは女王をやらなければならないので、今は大変困るので、先の話ではあるのですが、その、」
急に色んなことを詰め込まれて、アリアナは頭も顔も熱くて仕方なかった。だから思いがけず、女王らしくも、王族らしくもない気持ちが溢れてしまった。
まるで、『閉じ込めてやろうか』と言われているように聞こえたのだ。
もちろん
「そんな……宝物みたいに、わたしを」
王族の生き残りでも、女王でもなくいられる場所で、宝石ではなくなった石を厳重に囲い込んで、守ってくれるのだろうか。そんな夢みたいな話が、あるのだろうか。
伺い立てるように潤んだアースアイで見上げた先のライの
「…………はぁぁぁぁ……」
それはもう本当に心底疲れ切った、大きな大きな溜息だった。
「あー……あと六年、いや、後継者が成人するまであと五年か。んで最長はあと九年、九年? ……九年ねぇ……」
「は、はい。人族は十六歳で成人扱いですが、やはり大人として未熟者扱いで、二十歳からが成人本番といった風潮がありまして」
「はぁ、――まぁいいか。そういう契約結んじゃったし。よく考えたらアリアナの体はまだまだ人族寄りだから、時期尚早ってやつだった。危ない危ない」
ライはころりと笑顔を取り戻し、聞き捨てならない爆弾発言にアリアナは硬直する。
「ひ、人族寄り、とは……!?」
「あれ、言ってなかったっけ? 俺に命の余数増やされるたびに、アリアナの体は魔族に近付いているって」
「初耳ですよ!? 不死に空中浮遊に、そんな無茶苦茶な事まで……な、何回目ですか? もし魔族になった場合、外見の変化はどれほど……!?」
「さぁ? 困るなら頑張って増やさないようにしたら?」
「そんな、っわ! ひあぁぁ!」
「舌噛むよー」
すっとぼけた上にそれ以上の追及を避けるように、ライは宙を蹴り上げて旋回し始める。
空中でステップを踏めないアリアナは、基本も手本もないライのダンスに振り回されるしか出来ない。せめて振り落とされないようにしがみつく。
「わ、わたしも、吸血鬼になるって、こと、ですか!?」
「え?」
「だってこれまで、何度も首に……!」
吸血鬼に血を吸われた者は、吸血鬼になる。
傷口を啜られ、余数を増やす時に首筋の同じ個所を食まれた。しかし体に変化はなかったので、出鱈目な情報だったとアリアナは勘違いしていた。まさかの回数制、盲点だった。
しかも余数を増やす時以外も、なんだかんだと首筋を嚙まれていた。もう何度目だったか忘れる回数だ。
ライに閉じ込められるのはいいが、生き血を啜るのはだいぶ恐ろしい。
「あー、なるほど」
一方ライは、事あるごとにアリアナの首に遺った傷に口付けていた件だと察した。
そういえば気まぐれに、ちょくちょく噛んでたかもしれない。
何となく触れたくなってしまうのだ。痛々しく遺る傷に触れるたび、痛くなさそうな反応をするアリアナを見て、何となく気分が良かったから。
その一連の行動が、アリアナの中で吸血行為と思い込まれていた新事実に、ライは堪え切れず笑い出した。
「――あっははは! さぁ、どうかな。でも血を啜る女王様なんて外聞悪そうだし、葡萄ジュースしか飲めない体くらいの配慮は出来るかも?」
「それは、それで、こまるのですが……!」
「いくら困ろうと知らないよ。俺はきちんと忠告したし、後悔しても遅いって言っただろう? それでも、命以外の全てを差し出したのはアリアナだ」
ライは一度も、自身を吸血鬼だと名乗っていない。
だがまぁ、そういう事としておこう。何だか面白そうだから。
「だから、――何度でも助けてあげる。でも最後に、俺がアリアナの全部を貰うよ」
そうして嘘つき吸血鬼は満足するまで――あるいは不死身の女王の気分が悪くなる寸前まで、月明かりの下で踊り続けた。
「まぁ、安心してよ。俺は宝物を大事にする性分だからね」
「そこはいいのですが……よく考えると、わたしは最早ライがいないと生きられない状態なので、命もまとめてごっそり貰われてしまう事になると思うのですが……」
「うん、話聞いてた? 神経逆撫でしないでくれる? アリアナにはそろそろ本当に、本気で、ちょっとは学習してほしいな。このまま一日くらい行方不明にしてあげようか?」
「あ、一日くらいで帰してもらえるんですか」
「あっははは、……この命知らずめ」
二人が仲良く宝箱に収まるまでの、ほんのひと時の話。
終
不死身の女王は嘘つき吸血鬼から逃げられない※逃げる気もない ある鯨井 @aruku-zirai
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