本日の更新で五章完結しました。
そんなに長くならないだろう、それならあれもこれもこのあたりに詰め込んでおこう。結果、ざっくり単行本一冊くらいの文字数になりました。もう信じないでください。私は弁当箱の隙間があればカロリー無視でおかずで埋める輩なのです。
おまけのほうは半分ほど書けているので来年あたりに更新予定です。
六章は二月以降の更新を目標に書き溜めを頑張ろうと思います。お付き合いくださる方は、のんびりと見守っていただけると幸いです。
さて、ここから下はおまけにも補足にも蛇足にも教養にもならない無駄話。
五章の最後『君が埖になる』の読み方は『キミがゴミになる』となります。
現代におけるゴミという言葉の強さから、いらないもの、捨てられるもの、と思われるでしょう。
そう思われてもいいけれど、違うニュアンスで『埖』の文字を使用してみたのだ~というお話をさせていただきます。
『埖』という字を見つけたのは、花が含まれる漢字や言葉を調べていた時。
部首が土と花で、ゴミと読む。
何故……?と軽く調べてみるが、現在地名として使われている以外の用途はなさそうな様子。
漢字ってのは中国から入ってきたものが始まりですが、『埖』は和製漢字、日本で作られた冷やし中華的な漢字らしい。
本とか地元の人に聞けばわかるだろうかと思っていたら、かつて同じ理由を調べていた先人が訪ねていたらしいレポートの一部があった。地元の人に理由を聞いてみたけど、その理由に根拠はなかったそうな。
正しければ20年以上も前の事のようで、新たに資料とか見つかったわけじゃないなら今ではもっと不明確になっていそう。伝言ゲームってそういうとこあるし。
素人がネットで調べた程度なので、調べ方が甘かったり情報の取捨選択が誤っていたりするかもしれない。まだまだ調べる余地がある、と言えばその通りですが。
あくまでそこに含まれた意味が創作のネタになったらいいな、の軽い気持ちで調べ始めたので、本格的に追究しようとする情熱も意欲も時間も私には足らず、程々なところで仕舞いとさせてもらいました。
そうして調べて得ていって『明確な理由が現代まで残らなかった』と結論付けたのが、私が『埖』に込めたニュアンスになります。
はっきりとしたものはあまりなかったですが、だからこそ想像の余地があるのか、土と花の組み合わせで出来た文字をゴミと読む意味合いのギャップに魅力を覚えてしまうのか、色んな解釈があって楽しかったです。
しかし、本当に誰にどういう意味があって作られたんだろう、埖。