第18話 空の上を歩く
「ん……?」
肌寒さと前髪を揺らす風を感じ、アリアナは起き上がった。
両開き窓はあるが、就寝前はもちろん、掃除の換気時以外は閉ざされている。今は開け放たれて、入り込む風がレースカーテンを揺らしている。
真夜中に
しかし、いつもと違い室内にライの姿はなく、アリアナの死角から急に話しかけてくる様子もない。
不思議に思い、寝台から下りた。
ひらひらと揺れるカーテンに呼び込まれるように窓へ歩み寄り、ようやく探していた影を見つける。
「ライ、どうかしたんですか?」
「んー?」
バルコニーの柵に腰掛けたライは月影を背負い、アリアナがやってくるのを正面を向いて待っていた。
相変わらず、彼は何を考えているのかよくわからない。アリアナが世間知らずであるのも含め、ライがそもそも魔族で人の枠に収めるのが難しいのもある。
それでも何となく、いつもと違う空気は感じ取れた。
会えたらすぐ、捜査の進展について礼を言うつもりだったが、まずは彼の言葉を待つことにした。
「そうだねぇ」
普段多弁な彼が静かに手のひらを差し出す。
その意味はわからずとも、その手を拒否する理由はない。少なくともダンスの誘いではないだろうとわかりつつも、何となく、差し出された左手にアリアナは右手を乗せた。
「アリアナはさ」
「はい」
「人族だから当然、空飛べないよね?」
質問もまた唐突で意味不明だ。
当たり前の事を聞かれ、アリアナは首を傾げつつ答える。
「もちろん、飛ぶことなんて出来ませんけど、」
「――嘘つき」
言葉を遮るように断じる声は、歌のように鼓膜を揺らした。
ぞわりと体に痺れが走る。不思議な声色に体が驚いたのかと思ったが、同時に体そのものに違和感を覚え、アリアナは足元を見た。
「え……?」
何もしていないのに、踵が浮かんで爪先立ちになる。
そして爪先ですら立つ事が出来なくなり、アリアナの体は宙に浮かんだ。普段見上げているライを困惑しながら見下ろすと、にっこりと笑顔を向けられる。
「ほら、ちゃんと飛べてるよ。ちょっと下手だけど。初めて?」
「ら、ら、ライ? あのっ、これは一体どういう……!?」
話している間もアリアナの体はどんどん浮上していく。反射的に触れていたライの手を握ると握り返され、その場で留まった。
「今夜は風が気持ちいいし、せっかくだし散歩でもしてみようか。まぁ歩かないけど。靴は無くしたくなければ脱いでいきな。上着はちゃんと握っておくんだよ」
「え、え、えええぇ……!?」
一方的に告げながらライがいつものように柵から浮かび上がると、手を繋いだまま二人はゆっくりと上昇する。
靴を新しく仕立てられるのは面倒だとバルコニーに脱ぎ落した。夜風に素足が晒され、ワンピースのネグリジェが風に広げられると、宙に浮かんでいる状態も相俟って非常に心許無い。
カーディガンを肩に羽織るだけの横着をせず、きちんと袖を通すべきだったと明後日の方向に後悔しつつ、左手を胸の前できつく握り込む。
「そんながちがちにならなくていいでしょ。見てごらん」
ライの左手を強く握る右手の甲に指が這う。ほんの少しのくすぐったさに閉じていた目を開くと、城を見下ろせるほど高い場所まで来ていた。
思わず視線を向けた城の監視塔には、夜勤中らしい騎士が酒を片手にカードゲームで盛り上がっている様子が見えた。幸いこちらに気付いている様子はない。
「ライ、わたしは今、怠けている配下を見なかったことするため早急に離れたいです……!」
「あー……見つけちゃったら怒らないといけないもんね。了解」
まともに身動きが取れないアリアナとは違い、ライはすいすいと泳ぐように滑空する。
手を引かれながら城が遠のき、見慣れない角度から城下町を見下ろし流れていく景色を眺めていると、恐怖で痛いほどだった速い心拍数が少しだけ高揚感も混じり出した。
「落ち着いた? なら、もう少し手の力緩めよっか」
「あっ、痛かったですか?」
「全然。アリアナはひ弱だし、いくらでも強く握っていいけど、明日筋肉痛になるよ」
「うっ」
否定は出来ない。
急に体が浮かんだ事で普段使わなかった筋肉が強張った感覚があったので、下手したら右手だけでは済まないかもしれない。
「離さないから安心してよ。それとも信用出来ない?」
「……いいえ」
そんな聞かれ方をされたら、安心してしまう。
自然と緊張が解けると、本当に全身筋肉痛になってしまいかねないほど強張っていた事を自覚した。
単純な高さを意識するとどうしても体は縮こまってしまうが、その度に傍にいるライの存在を目で、手のひらで確かめると、安心して身を任せられた。
「なんだか夜なのに、鳥になっているみたいです」
「今のアリアナは鳥どころか、花びらよりも軽くなってるけどね」
「だからふわふわしてるんですね、今のわたし」
ライは命の余数を増やす事が大した手間じゃないと言えるのだから、飛べない人族を飛ばす事も余裕なのかもしれない。
少しだけ状況を飲み込めるようになってきたアリアナは、心に浮かんだ言葉をそのまま口にした。
「ライの力は本当に素晴らしいものですね。なんだか、夢をたくさん叶えられそうです」
「そうかな」
いつの間にか城下町すら遠くに見えるほど離れ、広野も森林も見渡せる空の上でライは止まり、振り返った。
横に並んでいた体は向かい合い、アリアナの右手を掴む左手は僅かに力を強め、右腕を背中に回して抱き寄せられる。本当にこれからダンスでも始まるような体勢と距離感、空の上という異質さにアリアナは息を呑む。
「俺は、俺の力に、夢も希望も感じられないけどね」
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