やっぱり、好きなんだ。

咲翔

***

 頬を生温かい雫が伝う。道着の袖で目元を乱暴に擦る。それでもそれは、とどまることを知らない。


「……泣かないで」


 友人の声が聞こえた。


「ごめん」


 無意識にも謝罪の言葉が口をつく。

 泣いてごめん。

 負けてごめん。


 わたしは三年生だから、最後の大会だから。

 ――だから誰も言わないでいてくれている。

 だけど、さっきの試合。


 わたしたち三年生にとっては、最後の試合。


 あれの負けは、絶対、わたしのせいだ。


 

 ***



 高校三年生、最後の大会シーズン。最初の地方予選県大会は、一回戦から県王者とあたって、しっかり準備したはずなのに結果は惨敗。その負けのあと、わたしはまた気持ちを切り替えて、次のために――今日のために頑張ってきた。


 インターハイ県予選。

 本当に本当に、最後の大会。ここで優勝をしない限りインターハイには行けない。つまりわたしたち、強豪校じゃない学校にとっては、万が一の奇跡を除いたら間違いなく「高校最後の試合」となる大会だ。


 一回戦は無事に突破。

 迎えた二回戦、わたしたちは負けた。


 剣道の団体戦は、五人で戦う。五試合終わった後、勝数や取得本数が多いほうが勝ちとなる仕組みだ。

 ただ単純に三勝すればよいのではなくて、団体戦には「引き分け」があるから、相手より一勝でも多く、あるいは勝数が同じ場合は相手校より一本でも多く取っていれば勝ちとなる。


 わたしのポジションは「中堅」――三番手として出場した。ここまで一人目が二本負け、二人目が一本勝ちで来ている。


 そんな場面で、わたしがする選択は、

 ただひとつ。


「絶対に負けない」


 一本なんて取らなくていい。

 変に勝ちにいこうとしなくていい。


 相手は、わたしより格上だった。


 だったら、わたしが目指すべきスコアは引き分け。


 監督の先生にも背中を押された。


「三年間の集大成を見せて、四分間、戦いきってこい」


 わたしだって、そのつもりだった。

 防御を徹底して、粘って、絶対に負けないつもりだった。


 なのに、気づいたら。


 ――試合は終わっていた。わたしの二本負けだ。

 今でも試合のことを思い出すと吐き気がする。


 だってその二本とも、から。


 鍔迫り合いという相手に近づいたところからの、引き面。わたしも得意としている技だった。


 相手の動きだって、見えていた。

 ああ、面が来るなって分かった。

 負けたくなかった。


 でも、相手のほうが速かった。

 スピードだけじゃなくて、たぶん、判断とか技の選択とか――何もかも全てが。


「勝負あり!」


 相手の方に旗を上げて、わたしの負けを申告する審判の声が聞こえてくる。終わった、と思った。


 真ん中、中堅ポジションでの負けは痛い。


 その後、四番手の副将でも負け、大将では引き分けというスコアになり、わたしたちは一勝しかできないまま敗退した。ベスト十六の座さえ、これで逃したのだ。


 終わったんだ、これで。

 わたしの高校剣道生活。


 思わず涙が溢れた。

 前回の県大会でたくさん泣いたから、今度こそは、最後こそは笑って終わろうねって。

 話してたのに。


 その約束は守れそうになかった。


 崩れ落ちそうだった。立っていられなかった。

 試合時間の、たった四分すらコートにいられなかったのだ。時間切れの前に二本取られてしまったから。


 一敗してからの一勝。決して悪い流れではなかったはずだ。なのに、わたしが負けて、そこから崩れた。


 本当は、心のどこかで期待していた。

 最後の大会くらい、奇跡が起きてもいいんじゃないかって。


 なのに、現実はいつだって正直で、残酷だった。 


「努力は必ず報われる。もし報われない努力があるならば、それはまだ努力とは呼べない」


 前までのわたしなら、その言葉は正しいと信じていた。


 でも、三年間終わって、悔しい負け方をして。


 結果としては報われなかったけれど、わたしが今までやってきたことは努力と呼べないのだろうか。


 そんなことない。


 この三年間わたしは間違いなく努力してきた。


 報われない努力だって、あるんだ。


 悔しかった、でも後悔はしていない。


 わたしは気づいてしまった。

 あんな終わり方をしても、努力が報われなくっても――この三年間を剣道に費やして良かった、楽しかったと心から思っている自分がいることに。


 やっぱりわたしは、どうしようもなく。


 剣道が、好きなんだ。



(了)

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やっぱり、好きなんだ。 咲翔 @sakigake-m

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