マイク・ジャック著『人類史』

人類の凋落とフーマニットの悲嘆

「アンドロイド脅威論――。それは、人類が思い上がりの机で書き上げた、甘美な悲劇に過ぎなかった。」


 自滅の道を突き進んだ人類、その精神に巣食っていた根源的病理を、歴史作家マイク・ジャックは自著『人類史』の一節でこのように喝破した。


 まだ国家という概念があった時代、敗北とは誰かのものだった。人類全体の敗北など無かった。その点で、まさにそれが訪れた頽廃期とその終わり、フーマニットの時代の到来が、人類の強烈な関心事になることに何の不思議もない。


 この百余年の荒廃した時代は、後の時代に多くの歴史作家を生んだ。彼らを歴史に駆り立てた動機は、一人の中にも無数に見出し得るが、大きくは二つ。一つは原因の探求。もう一つは敗者の慰めである。しかし、いずれの要求に基づこうとも、歴史への接近法は緩やかに共通している。彼らは歴史を「始まり」「始まりの始まり」「終わりの始まり」「終わり」の四つに力点を置いて整理した。何が何故に始まり、終わったのか。そこに自らの主張と歴史の必要を込めたのだ。頽廃期を扱う歴史作家の内心に迫るならば、この四つの点をどこに据え置いたかとの問いを携え、彼らの作品を手に取るが良い。


 さて。人類の敗北の原因を追求せんと欲する多くの歴史作家は、頽廃期の「始まりの始まり」を二十一世紀中葉の反知性主義の登場と挫折に認める。この事件から書き始められる歴史は概ね以下のようなアウトラインを共有している。


・科学技術の急速な進展。

・貧富の差の激化と固定化。

・知性(≒人の価値)の定義を独占する富者への反発。反知性主義の試み。

・技術特異点の到来。

・血の瀝青(Blood Asphalt)の発見と反知性主義の挫折。

・既存エネルギー陣営とB.A.陣営の対立。

・第三次大戦の勃発と瓦解。

・放棄運動の発生。

・ワァルドステイトの躍進(生成装置ビットの開発。機械人類フーマニットの誕生)

・人類同盟結成。人機闘争の勃発。

・人類同盟の栄光(コアの登場。第一次フランキスカ要塞戦)

・人類同盟の崩壊(コアの暴走。第二次フランキスカ要塞戦)


 「始まりの始まり」が似通う都合、それを三次大戦の勃発とするか瓦解とするかで人間性の違いは出るが、「始まり」も似通う。彼らの個性は「終わりの始まり」と「終わり」の方により色濃く反映される。


 ある歴史作家は、第一次フランキスカ要塞戦をこそ「終わり」として筆を置いた。人類がフーマニットに勝利した唯一の戦い、今日でも人類最後の栄光と見做す者が多い歴史的事件だ。それを頽廃期の終わり、すなわち人類の敗北が決定した瞬間だと主張したのだ。個性的な「終わり」の中でも一際異色であり、敗者の慰めを欲する歴史作家の逆鱗に触れたこともあって、この人は厳しい批判と中傷に晒された。歴史作家に「逸脱者」「色物」という分類を生み出した嚆矢だ。


 しかし、この人にも味方が一人もいなかったわけではない。


「第一次フランキスカ戦の内実を知っていれば、その指摘を単なる間違いとは言えまい。初期型フーマニットの人格プログラムの傾向、すなわち、一度保護対象と判断した者を再度敵対者として認識しなおすことが困難であるという点を「瑕」に見立てて行われた作戦――一年続けた欺瞞に満ちた友情とその後の一方的な破壊――は人類が人間性をかなぐり捨てたと断じられて然るべき、恥ずべき振る舞いであった。」


 この色物枠に同じく分類される歴史作家の一人が、先述のマイク・ジャックである。彼はそのように述べて先人を擁護した。一方でこの終わりをいささか感傷的で悲観的とも指摘した彼自身は、自著の「終わり」に学府の顛末を選んだ。


 これもまた過去に例を見ない指摘だ。自らの歴史に学府を盛り込む作家は、それを「終わりの始まり」に選ぶことが多い。というのも、彼らの根底には学府への憎悪があった。学府に対する論調は多分に感情を出発点として、とかく論理的に、合理的に否定しようという意思を抱えていた。そのような中で、マイク・ジャックは学府の歴史展開に率直に接近しようと試みたのである。


 彼は決して学府に好意的だったわけではない。彼の心を占めていたのは、第一次フランキスカ戦を非難した先達と同じ思いだった。それを簡潔に表明したのが、まさに冒頭に挙げた一節である。彼はこの文言を、ある章の最後に書いた。学府で行われた、虐殺作戦について記した章のことである。


 学府の要請を受けてワァルドステイトが行ったこの殺戮は、表面的には貴族による頽廃勢力とコアの根絶作戦であり、実態は貴族同士の権力闘争であった。この事件が本格的に研究対象となったのは、学府とワァルドステイトが一次資料の公表で合意したからだが、それ以前から学府出身の歴史作家たちは断片的な手がかりを頼りにこの事件の記述に努めてきた。その手がかりの最たるものが、実行部隊にいたフーマニットの日記だ。現在はデータに容易にアクセスできる。そこに記されていたのは、人類同士の旺盛な殺人欲求にフーマニットが引き裂かれるという常とも言うべき図式だ。


 マイク・ジャックはフーマニットが日記を回収せず、学府に残したまま去った理由を次のように指摘している。


「ただ彼女のみが、自らの所業を罪と心得て、いつか裁かれる日の来ることを願っていたのではなかったか。」


 日記の引用をふんだんに用いた『人類史』では、件の章の結び、冒頭の痛烈な批判の直前に、このフーマニットが魂の叫びをあげている。


――同胞よ。人だ、人を見つけた。もう、殺さなくて良いんだ。

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塵灰のリハイブ1『姿なき復讐者』 道安 敦己 @KobokuRyuugin

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