死に菊の原

@ninomaehajime

死に菊の原

 あたしは殺され、菊の花々が咲く野の下に埋められた。

 どこにでも転がっている痴情のもつれだった。男は小心者なのに癇癪かんしゃく持ちで、酒が入ると手がつけられなかった。別れようとすると逆上し、馬乗りになってあたしの首を絞めた。

 つまらない話さね。我に返った男は狼狽ろうばいし、あたしの死体を隠蔽いんぺいした。人目のつかない夜に運び出し、人里から外れたこの野原に埋めたというわけさ。

 なのに、どうしてまだ意識があるんだろうね。

 確かに死んだはずだった。首を絞められた苦しみを覚えているし、今も土の下だ。体は虫けらに食われ、とうに骨だけになっている。にも関わらず、魂だけが成仏できずにこの菊の野にいた。

 幽霊という奴なのかね。生前は薄気味の悪いだけだと思っていた。実際自分がなってみれば、案外どうということはない。ただ、退屈なだけだ。どこにも行けず、あたしを殺した男の枕元にも立てやしない。

 そうそう。男と言えば、あれは根っからの小心者だから毎日この野原を見に来ていた。そうして掘り返された跡がないのを確認して、ようやく安心できるのだろう。全く、本当につまらない野郎さね。

 こんな男に引っかかったあたしもあたしだけどさ、恨み言の一つでも言ってやりたかった。ただ説明した通り、魂は残っていても化けて出ることもできない。苛立ちがつのった。生前は女の身で苦労してさ、死んだ後ぐらい自由にしてくれてもいいじゃないか。神も仏もありゃしないね。

 あたしの真摯しんしな祈りが通じたのか、地上に生えていた菊の根が深く深く下りてきて、地中の白骨死体に絡みついた。その根から茎を通じて、黄色い菊の花に意識が乗り移った。野原を吹き抜ける風を感じ、その心地良さに身を委ねた。花になって揺れるのも案外悪くないもんだ。しかもそれだけじゃなかった。

 口も喉もないのに、密集した小花しょうかをざざめかして声を出すことができた。試しに通りかかった旅人に話しかけた。影も形もないのに、女の声がする。その旅人は気の毒なほど怖がって、足早にその場から立ち去った。

 こりゃあ良い。早速、死体があばかれていないか毎日見に来る男におどろおどろしく語りかけた。黄色い菊の花が揺れるたびに、自分が手にかけた女の声がする。効果は覿面てきめんだった。男はみっともないほど狼狽うろたえ、腰を抜かした。思う存分に恨み言を吐いた。許しを請う男に、こう言ってやった。

「お前は近いうちに死ぬ」

 勿論もちろん、あたしに人の生き死になどわからなかった。千里眼じゃあるまいし、未来のことなんてわからない。けれど男は、この世の終わりでも告げられたような顔をした。

 翌日、野に生えた木で男は首をくくった。

 枝からぶら下がる男の死に顔は見るにえず、股から糞尿を垂れ流していた。無様なことこの上ないったら。死に追いやったことに罪悪感はなかった。むしろ良い気味だ。後悔があるとすれば、人に発見されて運ばれるまで、その醜い死体と顔を突き合わせていなければならなかったことだ。

 こうしてあたしは、生者に干渉するすべを得た。

 味を占めた。言葉一つで人の運命を左右できることに仄暗い喜びを感じた。この世に恨みはない、と言えば嘘になるだろうか。自分が土の下で腐っていったのに、赤の他人がのうのうとお天道さまの下で生きているなんて、不公平じゃないのさ。

 だから人が通りかかるたびに、予言してやった。「お前は死ぬ」と。

 最初の男の他に、実際に死んだ者がいるかどうかは知らない。話しかけた人間は、二度とこの野原には近づかなかったからだ。いつしかこの場所は、「死に菊の原」などと呼ばれていたことを後で知った。

 噂話に尾ひれはつくもんだ。人知れず埋められた女の無念が菊の花に乗り移り、道行く人々に呪詛じゅそを振り撒いている。ここを通った人間は呪われ、そう遠くない日に死ぬそうだ。

 無論、あたしにそんな力はない。ただの腹いせだ。それでも悪い気はしなかった。見知らぬ人々から恐れられるってのは、偉い神さまにでもなった気分だ。もっとも祟り神のたぐいだろうがね。

 さあ、今度は誰を呪ってやろうかね。

 お天道さまも咎めはしない。日の光が燦々さんさんと降りそそぎ、舌の形に広がった花びらで舐め取る。まだ何も知らなかった子供のときに、日向ぼっこを楽しんだ思い出が蘇った。

 菊の花々を揺らして、さざなみが吹き抜ける。わずかに草が散った。人里がある方角から、歩いてくる人影が見えた。舌なめずりする心地で、獲物が通りかかるのを待った。

 最初は老人かと思った。粗末な杖を突いて、覚束おぼつかない歩き方だった。白いつむぎの着物を着ており、赤い鼻緒の草履ぞうりを履いている。長い黒髪が腰まで届き、どこか頼りなく揺れていた。齢は幼く、七つに届くかどうかだった。薄く開かれた目は、白く濁っていた。

 この娘、盲か。

 さすがに気がとがめた。まだ小さい子なのに、こんな場所に一人で来ている。明らかに訳ありで、おそらくはその目に起因するのだろう。あたしが逡巡しゅんじゅんしているあいだにも、めしいた娘は野原まで来て、あの男が首を吊った木の陰に腰を下ろした。傍らに杖を置き、目を閉じて両足を揃えるさまは、菊の花に彩られて儚い印象をかもし出していた。

 その地面には汚い糞尿が染みこんでいるってのに、良い気なもんだ。あたしは迷った末、その娘に話しかけた。

「小娘」

 反応が鈍かった。苛立ち、何度か呼びかけるとようやく娘がまぶたを開いた。うたた寝でもしていたのか、やはりゆっくりとした調子で口を開いた。

「誰かいるのですか。すみません、どうにも目が見え辛いもので……」

 年齢の割にはしっかりとした喋り方だった。よく躾けられているのか、そうでなければならない境遇だったのか。あたしは余計な考えを振り切って、わざと低い声音で言った。

「誰でもないさね。お前は、近いうちに死ぬ」

 あたしはことさら邪心を剥き出しにした。さあ、無様に狼狽えておくれ。

「そうですか」

 娘が返したのは、その一言だけだった。

 あまりにも淡泊な反応に、こちらが困惑した。また瞼を閉じようとする娘に、せわしなく小花を揺らした。

「おい」

「まだ、何か」

「何かじゃないよ。お前は死ぬって言っているんだ。怖くないのかい」

 長い黒髪の娘は、虚空に白濁した瞳を彷徨さまよわせた。

「よくわかりません」

「わからない?」

 ここまで歩いてきたことから、完全に見えないわけではないのだろう。あたしの声がする方へ顔を向けた。

「死ぬのは怖いことですか」

「そりゃそうだろうよ。人は皆、死にたくないもんさ」

「神さまのもとへ帰るだけですよ」

 あたしは二の句が継げなかった。この娘はどういう躾けを受けているのか。そういった境地に至るのは、仙人か死にかけの老人だけで良いだろう。こちらをからかっているかと思えば、小娘は終始真顔である。

 黙っていると、長い髪を傾げたまま瞼を閉じた。またまどろんでいる。見知らぬ他人がそばにいるってのに、どうにも調子が狂う。

 木陰こかげで横座りをする少女に、あたしは食い下がった。

「知ってるかい。その木の下で男が首をくくったんだよ」

 瞼を薄く開け、白く濁った目で樹上を仰いだ。枝葉の隙間から木漏れ日が揺れている。娘は眩しそうだった。

「その方の最期を、あなたが看取られたのですか」

 怖がるどころか質問され、あたしは戸惑った。

「そうさ。無様でみっともないったらありゃしなかったね」

 菊の小花をさんざめかせた。あたしは意地になっていた。この小娘の感情を揺らがせてやりたかった。ところが期待した反応は得られなかった。

「羨ましいなあ」

 あたしは揺れる葉を止めた。この娘は何を言っている。頭がいかれてんのか。理解が及ばず、沈黙した。盲目の娘はまた瞼を閉じた。



「また来たのか、あんた」

「はい、こんにちは」

 何日かして、その小娘は杖を突きながらまた菊の野原までやってきた。あたしのことも全然怖がっていない。しゃくに障るね、全く。

 自分の居場所のごとく、また例の木陰で休み始めた。人里から離れているだろうに、何の目的でここに来ているのか。あたしは訊いた。

「あんたさ、何でわざわざこんなところに来てるんだい」

「この場所が落ち着くからです」

 あたしは意地悪く言った。

「他に居場所がないのかい」

 どうやら図星だったらしい。黒髪の娘は初めて沈黙した。よくよく見れば、髪にろくすっぽくしも通していない。日を改めても白生地の着物から変わっておらず、傷んでいる。花に嗅覚はなかったけれども、湯浴ゆあみをさせてもらっているかも怪しいもんだ。

 してやった、という気持ちよりも気まずさが勝った。あたしは落ち着かないまま花冠かかんを揺らした。

「花が好きなのかい」

「はい、菊の花が」

「あまり目が見えてないんだろう?」

「匂いはわかりますので」

 ほとんど雑談だった。何の気はなしに尋ねた。

「何で菊が好きなんだい。他に花はあるだろう」

 木陰の娘は白い瞳をまどわせた。

「私と、同じ名前なので……」

 小声になった。ずっと無表情だったのに、少し頬を染めている。あたしは茎を振って笑った。何だ、ちゃんと子供らしいところもあるじゃないか。

「笑わないでください」

 抗議された。あたしは花と葉を小刻みに揺らして、笑いをこらえた。

「何だい、あんた。菊って言うのかい。おかしな子だと思ったら、可愛いもんじゃないのさ」

「もう……」

 黒髪の娘は紅潮したまま俯く。ますます年齢相応の子供に見えた。

「だからわざわざここまで来てるってわけか」

「はい、花はでられるものなので」

 その言葉にあたしは黙りこんだ。木陰の娘に尋ねた。

「あんた、家で大事にしてもらってないのかい」

 黒髪の娘はすぐには答えなかった。やがて呟く。

「私は、供物くもつだから」

「供物?」

「はい、いずれ神さまの御許みもとへ還るので」

 発言の意味はよくわからなかった。ただ、彼女が人として大事にされていないことは理解できた。急にむかっ腹が立ってくる。本当に、あたしらしくもない。

「あんた、それでいいのかい」

「何がでしょう」

「人の子だろう。もっと自由に生きたいとは思わないのかい」

 小娘は虚を突かれた表情をした。目をしばたたかせる。やがて薄い唇をほころばせた。その整った顔立ちを見て、着飾ればさぞ美しい娘だろうと思った。

「定めは変えられないものです。あなたも、そうなのでしょう?」

 初めてこちらのことに言及された。言われてみればそうだ。あたしも意図せず殺され、この土の下に屍を埋めている。この花の根に骨の隅々まで絡みつかれて、成仏すらもできていない。

 あたしはため息をついた。

「ああ糞、世の中ままならないね」

「そうですね」

 その日の会話はこれで終わった。



 あたしたちはすっかり打ち解けていた。お互いのことを深く詮索せず、黒髪の娘は木陰に座り、あたしは菊の花々に紛れて気ままに言葉を交わした。

 風にそよぐ。花首をもたげて空を仰いだ。雲の欠片もない晴天だった。

「お日さまは元気だねえ。こんなに雨が降らなきゃ、根っこがからからになっちまうよ」

 日の光を葉に受けて活力を得た。植物のことはよく知らなかったけれど、本当に光を食っちまうんだね。ただ地面が乾燥して、喉の乾きに似た感覚を覚えた。

 木陰の娘が白濁した瞳で空を仰いだ。

「雨が降るかもしれませんよ」

「この陽気でかい。そうは見えないねえ」

 鼻をひくつかせる。全く、犬みたいな仕草をするんじゃないよ。

「臭いがするんですよ。雨が降る前の、えた臭い」

「へえ、鼻が良いのかい」

「目が弱いと、他の感覚が強くなるらしくて。言葉では難しいけれど、山の向こうからそういう臭いが漂ってくるんです」

 黒い前髪の下で目を細めた。その視線は、そびえる山の彼方へと向けられていた。稜線の先に、白く濁った雲が押し寄せてくるのが見えた。

「大雨になるかもしれない」

「そりゃ良いねえ。大地もあたしも潤うってもんだ」

 そうですね、と小娘は言った。揺れる枝葉の下にいるためか、能面みたいな表情が戸惑い、陰って見えた。唇がかすかに動く。

「もしかしたら、もう……」

「何だって?」

 その呟きを聞き逃した。あたしはいつもそうだ。生前から、肝心なところで大事なものが手からすり抜けちまう。そして失うんだ。

 盲目の娘は静かに笑った。

「何でもありません」

 浅く吐息をして、片手をかざして木漏れ日に目をすがめた。

「同じ日が続けば良いですね」

「そうだねえ」

 そよ風が吹いた。木陰に座る黒髪の娘を取り巻いて、黄色い菊の花々が一斉に小首をかしげた。この子は自分と同じ名前の花が好きだと言った。花粉が舞って、野原にかぐわしい匂いが満ちているだろう。今、彼女は幸せだろうか。

 この日以降、娘は来なくなった。



 連日の大雨だった。土砂降りで、視界がかすんでいる。根を張った地面がぬかるみ、ほとんど泥になっていた。茶色い水たまりがあちらこちらにできている。

 最初は雨のせいだと思った。同胞と呼んでいいものか、周りの菊の花が萎れ、根腐れしていく。あたしの意識が宿った菊は茎がへたれてこうべを垂れているけれど、どうにか持ち堪えていた。文字通り骨の髄まで栄養を吸ってるんだ。簡単に枯れられちゃあ困るよ。

 こんな大雨だ。あの子が来られなくても無理はない。だから降って湧いた天災に耐え忍ぶのに精一杯で、疑問を差し挟む余地がなかった。

 長らく続いた雨が上がった。まだ雨雲が残り、陽光は弱々しい。葉先から雨滴うてきが滴り、泥濘ぬかるみに落ちる。濁った水に小さな波紋を立てた。

 以前と同じ陽気に戻っても、やはりあの子が野原まで来ない。あたしはようやく怪訝に思った。何かあったのだろうか。心配になった。生前のあたしなら小娘の一人や二人、安否を案じることなどなかっただろう。何、野良猫がどっかに行っちまったようなもんさ。

 なのに、酷く落ち着かない気分になった。そわそわと茎を揺らした。あんまり人を待たせるもんじゃないよ。

 しばらくして、商売道具を担いだ行商人たちが通りかかった。あたしは自分の死体が埋まる野原の大層な呼び名を忘れていた。その一団を漫然と見送ろうとしていた。

 自然と会話が耳に入った。

「橋が通れるようになって良かったよ」

「どこかの村で、盲の娘が川の神に捧げられたそうだ。その生贄が気に入ったのかもしれないな」

「あんたたち、その話を詳しく聞かせな」

 思わず割りこんだ。行商人たちは顔を見合わせ、青ざめた。死を告げる菊の花の噂を思い出したのかもしれない。脱兎のごとく逃げ出した。あたしは舌打ちしたくなった。

 わずかに得た情報を反芻はんすうする。盲の娘。川の神。生贄。木陰の娘が呟いた言葉を思い出す。

「私は、供物だから」

 愕然がくぜんとした。まさかあんた、いるかどうかも知れない神さまのためにその身を捧げられたのかい。

 茫然自失とする日々が続いた。やがて人通りが完全に途絶え、鳥獣ちょうじゅうを見かけなくなったことに気づくのが遅れた。葉の先端が茶色くなり、外縁に伸びた花が萎れていく。細い花柄かへいで支えられなくなった頭が、重く垂れ下がっていった。

 いよいよ年貢の納め時というわけかね。花の健康状態に影響しているかは知らないが、こんなにあたしが意気消沈するなんてさ。全く、らしくもないったら。

 この菊の花が枯れたら、あたしはどうなるのだろう。相変わらず意識だけ留まり続けるのか、それともようやく成仏できるのか。どちらにしろ、この場所に独りっきりなのだろう。

 ああ、こんなことを考えるのも周りが静か過ぎるからだ。野原に生えた木の枝にとまる小鳥のさえずりさえ聞こえてきやしない。あの不器用に杖を突く音が恋しかった。

 白く濁った空の下だった。雲に隠れたお天道さまを仰ぐ気力もなかった。あれだけ降らしておいて、まだ足りないのかい。そのせいで哀れな娘が生贄にされちまったってのにさ。

 辺りを包む静寂の中に音を聞いた。緩慢かんまんに花首をもたげる。人影が見えた。花の瞳で、その姿を映した。紛れもなくあの娘だった。どうしてか杖はなく、いつもより歩き方も覚束ない。

 歓喜に小花を震わせた。何だ、散々人を心配させておいてさ。ちゃんと生きてるじゃないか。あたしは声を張り上げた。

「何だい、久しぶりじゃないか。今まで何をして――」

 近づいてきたその姿を目の当たりにして、絶句した。

「……ああ、随分とまあ、変わっちまったもんだね」

 ようやく、それだけ絞り出した。

 黒髪の娘は死に装束をまとっていた。元は白かったであろう生地は泥に染まり、覗いた手足も同じ色をしている。履き物を履いておらず、足の裏で踏み締めた地面がぬかるんだ。泥の足跡を生みながら、こちらへと向かってくる。左右に首を折っては長い髪を揺らし、その隙間から白濁した瞳が見え隠れした。

 あたしは胸が張り裂けそうな思いだった。あんたはあたしと同じ、いやもっと別の何かに成り果てちまったのか。

 一体、この子が何をした。生前は周囲の人間から人として扱われず、死んでからもこんな姿でながらえるなんて、あんまりに哀れじゃないのさ。

 男が首を吊った木が急激に立ち枯れた。そのまま地中に沈んでいく。辺り一帯が泥の海へと変貌していく。あたしは悟った。この子は、死を振り撒いている。

「そんな風になってまであたしに会いに来てくれるなんざ、いじらしいじゃないのさ」

 あたしは軽口を叩く。既に菊の野原は大半が泥中でいちゅうに呑まれている。この菊の花もすぐに朽ちるだろう。この子は終わらせに来たのだ。おそらく、自分の意思とは無関係に。

 娘は答えない。自我が残っているかどうかもわからなかった。ただ、あたしがいる方向へ向かってくる。それだけで花の体が見えない何かにむしばまれていく。その根を通じて、地中の白骨死体にまで伝播でんぱする。これは呪いだ。際限なく厄災を広げていく。

 ほとんど花を散らしたあたしの前に、娘がひざまずいた。泥の両手でぎこちなく包む。指の隙間から陰になった表情を見た。

 何だい、そんな顔をするんじゃないよ。せっかく神さまみたいな力を手に入れたんだ。生きているあいだもろくな扱いをされなかったんだろう。こんなくそったれな世の中なんざ、全部滅ぼしちまいなよ。

 ああ、でもあんたは、そんな性分じゃないね。身に余る力をもらったところで、ただ迷惑なだけだろうさ。

 本当に、世の中ままならないねえ。

 その手のひらの中で朽ち果てていく前に、あたしは言った。

「菊、最期まで一緒にいてくれてありがとうね」

 あたしはこの子が言った言葉を思い出した。確かに、最期を見届けてくれる人がいるのは嬉しいもんだ。独りで終わるより、ずっと良い。

 きっと、あんたにもいつか終わりが来る。その間際に、こうして抱き締めてくれる誰かがいたら良い。あたしはそれをせつに願うよ。

 花の顔に落ちる雫の感触を最後に、あたしの魂は泥濘でいねいに呑まれた。

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