第2話

「おそで~ひとふり~なんやかや~」


下男たちの奏でる音に合わせて、女中たちが小さな声で奇妙な歌を歌い始めると、店主が待っていたかのように告げた。


「では、さっそく、お袖を振っていただけますでしょうか。」


男は金の金具で止められた自分の右袖をちらりと見た。


店主は、ささ、ささ、と袖を振るように男に促す。


「おそで~ひとふり~なんやかや~」


ただでさえ大人が7人も入ると狭く感じる部屋の中には、異様な存在感を発する多くの置物があり、女たちのテンポも歌詞も奇妙な歌が続いている。


男は完全にその場の雰囲気に飲み込まれかけていたが、咳払いして襟元を正すと、「こうか」と右手を斜め前に掲げて、客引きが先ほどやって見せたように袖を前後に振ってみせた。


「ははぁぁーーーっ!」


店主が大声を出しながら大袈裟にひれ伏し、女たちの声と笛と鼓の音も少しボリュームを上げると、鼓が大きく一拍鳴らして、全ての音が止んだ。


急激な静けさが部屋を飲み込んだ。


どうやら、これで一振りの儀式は終わったようだった。


「お代をこれへ。」


店主が下男に言う言葉が響いた。


***


部屋を出ていった下男が戻ってきた時、手に持った漆塗りの盆の上には、これまた金で縁取られた朱色の絹布が畳まれて置いてあり、店主がそれを恭しく開くと中には、ピカピカに磨き上げられた十銭硬貨が三枚並べて置かれてあった。


手を伸ばそうとした男に、「先にお袖をいただいても宜しいでしょうか?」と店主が声をかけ、女たちがいそいそと男を取り囲んだ。


男はされるがままに、女たちが右袖の金の留め具の下の部分を手際よく切り取るのをながめて待った。


切れのよい裁ちばさみで切り取った切り口には、目立たない色の糸で手早く仮縫いが施された。女たちは切り取った男の袖をさも大事そうに四つ折りにすると、部屋の隅に置かれていた脚が金で縁取られた膳(これも漆塗り)の上にそっと置いて、音もなく定位置に戻った。


店主たちが再び頭を下げたのを見て、男は、不格好に半分の丈になった袖を伸ばして、並べられた三枚の硬貨をわしゃりと掴んだ。

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ない袖は振れぬ 風光 @huukougensou

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