ファイティングポーズで創作界隈を生きる

奈良ひさぎ

fight!

 創作界隈という場所は、魑魅魍魎の集まりだ。これはふざけたり、誇張で言っているのではない。本当に、どうやって一般社会で擬態して生きているのだと甚だ不安になる人間が存在する。いわゆる「本物」というやつだ。

 もしも自分が少しでもまともであるという自覚があるのならば、その異常性に気づくはずだ。本来ならば社会では到底許容されないはずの存在が、ことこの界隈においては黙認されている。いや、それどころか類まれなる「個性」として、もてはやされている節さえある。これにはいくらなんでも、嘆息せざるを得ない。


 ではそのような「本物」がいったいどこに湧くのか。それは、「感想欄」である。何の考えもなしに、あるいは明確な悪意を持って創作活動をする人間を謗る者は、しばしば作者に感想を伝えるべきその場所で堂々と姿を見せる。そしてその多くが、自分では手を動かした経験がない。一度でも小説に限らず、何らかの創作活動をしたことがある者であれば、ものを一つ作り上げる時の労力が計り知れないことは十二分に理解しているはずだからだ。


 当の作者が作品に対しよほど不誠実であるならばいざ知らず、基本的に作者が、ことに感想欄で誹謗中傷されるいわれはない。ものを供給する側が受け取る側よりも偉いのは火を見るよりも明らかな話であり、対等な立場を要求するならまだしも、需要を出す側が上の立場であるかのように振る舞うのは言語道断である。ひざまずくのはどちらであるかというのを、今一度その取ってつけたような頭を使って考える必要があろう。

 一方で、読者が「クライアント」であるサービスも存在する。読者がこういうものが読みたい、見たいとリクエストし、作者がその要求に合う作品を提供する。紛れもなく読者の側がお客様扱いであり、立場が上であるように感じられる。しかしそこには、金銭が発生しているという、明確な違いがある。金銭が絡めば、それに合った正当な成果物を供給するという責任が発生するため、対等あるいは読者の方が立場が上であって然るべきなのだ。問題は、金銭の一切発生していない感想欄という場所で、まるで自分が上かのような振る舞いをしている頭の悪い人間が、残念ながら一定数存在しているという事実である。


 ここで気をつけなければならないのは、決して作者の側が泣き寝入りしてはならないということ。この話は作者の側に非がないことを前提にしているが、ものを供給できる側にいる作者が誹謗中傷に対し泣き寝入りをすれば、それは自分が悪かったと認めるも同義である。その例を作ること自体が、悪しき行為だと考えるべきだろう。むろん、泣き寝入りした本人は悲しい思いをするが、作者という属性を持つ者全員が、そのようなか弱い、攻撃しやすい人間だと認識されかねない。感想欄という場所で他人を攻撃するような人間は、基本的に社会で上手くやっていけていない、他人から何かしらの価値すら見出されていない可哀想な種であると考えるのが順当である。そのような者たちからの攻撃に対して泣き寝入りするというのは、自分たちがそれ以下と認めるようなものだ。泣き寝入りというのはそうやって、仲間に迷惑すらかけてしまう行為であるということを、まず初めに認識する必要がある。


 では過剰に反応するのがよいかというと、それもまた不正解だ。感想欄で誹謗中傷を平気でやってのける人間には、何らの価値もない。そこに過剰な反応を見せると、自分の攻撃には反応されるだけの価値がある、と認識させてしまう。これも他の作者へ同様の攻撃を仕掛けるきっかけになるのだ。


 元来、「他の作者」という存在はものづくりの苦労や楽しさを共有できる仲間である。営業マンのようにライバルを出し抜き、自分が一番になるためにはどうすればよいか考えるというのは、貪欲な商業作家ならば必要なことかもしれないが、趣味人として創作界隈で生きるつもりなのであればハナから不要だ。敵はあくまで、自身の作る気を失せさせるような、傲慢な読者であることを頭に置いておかなくてはならない。


 ちなみに、仲間というのはあくまで、長く活動し誰かにその存在を覚えられている作者を指す。悪辣な誹謗中傷に耐えかね、筆を折ってしまったら、そのうち誰からも忘れ去られてしまう。身の回りの、過去にこの界隈を去っていった作者たちの名前を自発的に思い出せるだろうか?よほど思い入れのある人でない限り、それは難しいだろう。何かの機会に偶然名前を見かければ、そういえばいたなとやっと思い出す程度である。作者どうしですらそうなのだから、いろいろな作品を見て回っている、作者でない人たちにとってはなおさら思い返せるものではない。我々は、常に「忘れられるかもしれない恐怖」と戦わねばならない。それも「作る側の苦労」に含まれていることだろう。


 結果として、「殴ろうと思えばいつでも殴れる」姿勢を取っておくのが肝要である。本当に殴るのではない。先制攻撃もおすすめしない。あくまで、高慢な態度を取ろうものなら容赦はしない、という威勢を見せておくべきという話だ。それをしてもよいくらいには、「作る側」のアドバンテージはあるし、あって然るべきなのだから。

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ファイティングポーズで創作界隈を生きる 奈良ひさぎ @RyotoNara

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