6-3 終
再び地上に出たとき、夜は明けようとしていた。海から昇ってくる太陽は半分ほど顔を出しており、この森からは朝陽に照らされて美しく輝く黄金の王宮が見えるはずだった。
しかし、王宮自体は残っているものの、その姿は変わり果ててしまった。幾筋もの煙が立ちこめ、姿を保っている建物があるのかさえ、遠く離れた現在地からは見ることができなかった。
経済大国として名を馳せたはずだったが、一夜にして変わり果ててしまうのか、と起きたことをうまく受け止めきれなかった。
「……本当に、亡びるものなんだな」
ぽつり、とエルヴィスが言う。思わずオーエンはエルヴィスの顔を見る。地下街を抜けてきたエルヴィスの顔はほこりにまみれてところどころ黒くなっていた。濃いオリーブグリーンの目だけが朝陽に照らされて光っているように見えた。
「本当に亡びたのか、まだわからないんじゃないのか」
「?」
不思議そうにエルヴィスがオーエンを見た。
「俺たちが生きていて、故郷のことを覚えているうちは亡びることはないと思う。俺たちが死ぬまでに記録でも残したらなんとかなるんじゃないのか」
「なんとかなるものだろうか」
「それに、俺たち以外にも生きてる人間はたくさんいるはずだ。彼らが死ぬまではこの国が完全に亡びることはないだろ」
森から見下ろす国は王宮こそ壊されているが、多くの民が暮らす地区に攻撃がしかけられている様子はない。たとえそれが、今後の利益を考えて避けられたものだとしても、一般市民が生きていれば記憶の風化は先になる。
「……すまない」
エルヴィスの唐突な謝罪にオーエンはなにが、と訊ねた。
「わたしが首を突っこんだばかりに、この国にいられなくしてしまって」
帝国をものにした隣国の人間は、企てに気づいていたエルヴィスの存在を許すことはない。おそらく伴侶であるオーエンの存在も同様だろう。
もう少し愚鈍であれば、気づかないふりをしたまま帝国の領地内にいることができたかもしれない、とエルヴィスは思う。少なくともこのように逃亡をする必要はなかったはずだ。
「その謝罪は受け取れないな。最初に言っただろうが。俺にも背負わせろって。それなのにお前、陛下の前で俺を貶してまで庇っただろう。あれは結構堪えた」
「それもすまなかった。共倒れすることだけはどうしても避けたかった」
「わかってる。おかげで今こうして二人とも生きてるわけだから、お前の行動は間違ってなかった。俺まで捕まってたら、二人そろってあの部屋で蒸し焼きになってただろうしな。俺が折り合いをつけられなかっただけだ」
オーエンの言葉は穏やかだった。エルヴィスはさらに話を続ける。
「以前のことも、謝りたい。おまえがわたしのことを気にかけてくれているのはずっとわかっていた。それを蔑ろにするようなことを言って申し訳なかった」
エルヴィスはそう言ってオーエンに向かって頭を下げた。
オーエンはしばらく黙ってエルヴィスのつむじを見つめていたが、その頭にぽん、と手を乗せた。
「あのときは俺も言いすぎた。悪かった」
顔を上げたエルヴィスはホッとした顔をしていた。互いに刺さった棘をようやく抜くことができた、と二人ともが思っていた。
すっきりとした顔をしたエルヴィスは
「これからどうする?」
とオーエンに訊ねた。地位も仕事も何もかもに縛られない状態であるのは、生まれて初めてのことであり、今までに味わったことのない解放感があった。おそらく人はこれを自由と呼ぶのだろう。
「しばらくは国境の小屋に間借りをするとして、そのあとだ」
「そうだな、俺は山を越えた先の隣国に行ってみたい。ここまでは来たことがあっても、それより先は行けなかったから、子ども心に物足りなかった」
「うん、わかった。そうだな。一か所に留まる必要もないだろうし、あちこちを転々としてもいい」
楽しそうだ、と笑うエルヴィスにオーエンは言う。
「お前も一緒に来てくれるってことでいいんだな」
無意識にそのつもりでいたエルヴィスは慌てて言い訳を探したが、すぐには見つからず、途方に暮れた顔をした。その様子を見てオーエンは笑った。
「悪い、そんなに困らせるつもりはなかったんだが」
「……意地の悪い言い方をするな」
「嬉しくてつい」
そう言ってオーエンは防具と服の間に手を入れて、何かを取り出した。朝陽を受けてきらり、と輝くそれは指環だった。
「それは?」
「いつか受け取ってもらおうと思って作らせておいたものだ。お前、チョーカーもいらないって俺の提案を蹴っただろう」
番になる二人のうちオメガには一般的にチョーカーが贈られる。王族であれば純金製の非常に高価なものを身に着けることもあった。このチョーカーはうなじを噛むことで成立する番関係を守ることを象徴したものだ。しかし、エルヴィスは「そんな大仰なものはいらない。邪魔だ」と受け取りを拒んでおり、考えあぐねたオーエンが市井のベータ同士の婚姻関係にならって作ってもらったのが指環だ。
「これから二人で、ともに人生を歩む出発を祝してもらってくれ」
オーエンの言葉にエルヴィスは黙ってうなずいた。何か言葉にすれば、きっと涙とともにこぼれ落ちてしまうだろうから。おそらく以前であれば、実験に邪魔だから、と言って受け取らなかっただろう、とエルヴィスは思う。
オーエンはエルヴィスの左手をそっと手に取った。その薬指に指環はぴったりとはまった。装飾として宝石が飾られることもなく、ただ純金でできた丸く細い輪だったが、エルヴィスの手と調和して、燦然と輝いていた。
「きれいだ」
頬を紅潮させて自らの手を眺めるエルヴィスをオーエンは穏やかな気持ちで見ていた。二人の新しい門出を祝うかのように、爽やかな風が吹いた。
「行こうか」
随分日も高くなっていた。新しい人生を始める前に少しだけ休憩をする場までは歩いてすぐだ。
「ああ」
守りたかった国は壊されてしまったが、大切にしたい相手はまだ隣にいる。
愛する気持ちを忘れないよう誓いをこめ、どちらからともなく互いの手を取って二人は歩き始めた。
CALL NO ONE DESTINY 朝香トオル @oz_bq
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