6-2
「ああもう、なんだってここはこんなに頑丈なんだ」
幽閉された部屋からの逃亡を試みるエルヴィスだったが、唯一の出入口であるドアは何をしても堅く閉ざされている。爆撃でうまく壁が壊れてくれればそちらからの逃走を試みようと考えていたが、高さがありすぎるこの建物は逆に狙われづらく、状況は先ほどと大きく変わっていなかった。
「こんなことなら魔術解除の手ほどきくらい受けておくべきだったな……」
魔力を持たないエルヴィスは魔術を使うことはできないが、簡単な魔術であれば手順にそって解除をすることができる。興味がない、とエレノアの誘いを断っていたが、今になって彼女の誘いを受けておけばよかった、と後悔する。
食事を運搬する小さな昇降機にがんばれば入れるだろうか、とエルヴィスが真剣に考えていると、来客を告げるランプが点灯した。
「……⁈」
すでに自分を訪ねてくる人間はいないはずだ、と思いながら顔を上げると、ドアの向こうには、目元以外を布で隠したオーエンがいた。暗闇の中のわずかな光で輝く琥珀色の瞳をエルヴィスはオーエン以外に知らない。
あまりに自分に都合のいい状況に、エルヴィスは自分の目を疑った。
「どうして、」
もうとっくに愛想を尽かされたのだと思っていた。だから、ここで自分は誰にも知られずゆっくり朽ちていくのだと。それを覆すべく奮闘していたが、まさか外から状況を打開しに誰かが来るとは思わず、理解が追い付かなかった。
「話はあとだ、急いでここから出るぞ」
離れてくれ、と言われて素直にエルヴィスはドアから距離を取った。次の瞬間、魔術が解除されるのと同時にドアも吹き飛んだ。距離を取ったつもりだったが、木っ端微塵になったドアの一部がエルヴィスの方へ飛んできて、わずかに頬をかすめた。すさまじい勢いで破壊されたドアをものともせず、オーエンは部屋に踏み込む。
「離れとけって言ったろ?」
ドアの破片で頬に擦り傷を作っているエルヴィスに向かってオーエンは呆れたように言い、応急処置用のキットを手渡した。それをありがたく受け取ってエルヴィスは傷の上に絆創膏を貼った。
「……こんなに派手に壊されるとは思わないだろう」
オーエンの第一声につられてエルヴィスも思わず言い返す。言おうとした礼も、謝罪もどこかに飛んで行ってしまった。
「それは悪かった。
「そうだったのか……」
理由が自分ではなく、他にあったのだと知ってエルヴィスは安堵した。それと同時に、このような事態になっても愛想を尽かすことのないオーエンに深く感謝した。
「とはいえ、お前が思ったより早めにエラに暇を出すから苦労した」
「エラは、」
「ちゃんと暮らせるだけの
オーエンは近衛兵が身に着ける防具と覆面を差し出した。防具の内側には何か所も
「一体いつ準備したんだ……」
「お前が戦までの期間の見積りを口にしたあとからだな。こうなる可能性も見越して少しずつ俺の財産を
本来であれば有事の際、オーエンは王の身を守るべき人間だ。それを放棄すればどうなるかは想像に難くない。それでもオーエンはエルヴィスを優先した、ということになる。
(……おまえはどこまで篤い男なんだ)
ぐっと奥歯をかみしめながらエルヴィスは渡された防具を身に着けていく。
「ああ、忘れてた、これもだ」
そう言ってオーエンはエルヴィスに金のアンクレットを返した。
「エラが受け取れないって俺に渡してきたからお前に返す」
「まさか、返ってくるとは思わなかった……ありがとう」
エルヴィスはそう言ってオーエンが差し出したアンクレットを足首に着け直した。以前より少し緩さを感じ、たった数日で己がやつれたことを実感する。
「よし、いいな? 夜が明けるまでに宮廷を抜けて、森を目指す」
「わかった」
「なるべくがんばって走ってくれると俺も助かる」
「努力する」
エルヴィスの返答にオーエンは苦笑して、手をさしのべた。武骨な分厚い手であり、手のひらには剣と槍の訓練でできた硬いタコがあった。
「ほら、早く」
当たり前のように差し出される優しさに甘えてもいいものか、と逡巡しているとオーエンに急かされる。
「生きるんだろ」
そう言われてようやくエルヴィスはオーエンの手を取った。その瞬間、オーエンは走り出す。ぐい、と力強く手を引かれて、あっという間に幽閉されていた部屋が遠くなる。
エルヴィスはぎゅっとくちびるをかみしめた。そうでもしないと、こみ上げるものを抑えることができそうになかった。
夜の宮廷は昼とは打って変わって静かだった。石造りの床を走る足音が二人分響く。
「……こんなに派手な音をさせながら動いて大丈夫なのか」
「問題ない。宮廷の敷地内にはたくさん人がいるが、内部まで入り込んでくる者はいなかった……っとこっちだ」
曲がり角を曲がりかけたオーエンは急に足を止めた。一部の床の色が他とは異なっており、オーエンはその床の石を外した。
「ここから地下に下りられる。そのままずっと歩いていくと国境付近の森に出る」
「こんなところがあったのか」
生まれてからずっと宮廷に住んでいたが、まだ知らないところがあったのだな、とエルヴィスが感心しているとオーエンが情報を付け加えた。
「ああ、国境付近の森には王族の別邸があるから、そこに向けて、秘密裏に行くための地下道だ。先王のころはよく使われていて、俺も数回行ったことがある。道が変わっていなければ、無事に着くはずだ」
「……初耳だ」
国境付近の森に別邸があるということは知っていたが、オーエンが行ったことがあるとは知らなかった。王族の別邸、というもののエルヴィスは連れていかれたことも、誰かのともとして行くこともなかった。もし仮に父母と行ったとしても、あまり楽しい記憶になることはない、と容易に想像はついたが。
「ただし、別邸自体には行かない。有事の際に国境の監視に使われる山小屋を目指すつもりだ」
「わかった」
地下に下りるための鉄製の梯子は錆びていなかった。オーエンとエルヴィスは慎重に地下へと下りて行った。
地下道は暗く、道がどこへ続いているのかよく見えなかった。オーエンはポケットから魔力のこめられた簡易照明を取り出す。魔力のない者でも扱いやすく、操作者に自動で追従するため、夜道を歩くときによく使われるものだった。
宮廷内よりさらに足音の響く地下は、黙って歩いていても気まずさを感じなかった。しかし、気になることがあったエルヴィスはオーエンに話しかけた。
「オーエン、一つだけ訊きたいことがある」
「? なんだ?」
「――エレノアは、何を選んだ?」
さっきの魔術解除装置を渡されたときに話をしたのだろう、とエルヴィスは付け加えた。
その言葉には責める意図も、悲しむ響きもなかった。だが、オーエンは答えてやるべきか迷った。
「……本当に、知りたいか?」
知ればエルヴィスは後悔するのではないか、と考えたオーエンは念を押す。エルヴィスは問いかけに首を縦に振った。
「ああ。知っておきたい」
意思は固いと見たオーエンはようやく、エルヴィスに伝えることを決断した。彼女の意思を訊ね、聞いたものとして話ができるのはオーエンだけだ。
「わかった。……彼女は〈天〉の宮廷魔術師の言葉を蔑ろにした報いがこの国に降りかかる様を王の正室として見届ける選択をした。今ごろは陛下の傍にいるはずだ」
逃げるという選択は彼女の中にはなかった、とオーエンが言えば、エルヴィスは「教えてくれてありがとう」と礼を言った。
「責めないのか」
「おまえを責めてどうする。エレノアが自分で選んだことに口を出す必要はない。むしろ意思を確認した上で尊重してくれてよかった。止めようとは思えなかったのだろう?」
問われてオーエンはうなずいた。エレノアの意思は固く、オーエンでは止められないと感じた。エルヴィスであれば止められたのか、と思うときもあったが、きっと誰も止められなかったのだろう。
「エレノアが自らの意思で選択をしたことを覚えていればいい」
「難しいことを平気で言うな、お前は」
呆れたように言うオーエンにエルヴィスは肩をすくめた。
黙ったまま、二人は再び歩き出す。わずかな光に照らされる暗い地下道に二人分の足音が規則正しく響いていた。
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