6. Looking down on the Nation of Gold from the hill/〈金の国〉を見下ろして

6-1

 オーエンが進言した国境警備は中々強化されなかった。それどころか強化されたのはオーエンの監視の目の方であり、苛立ちを噛みしめるはめになった。

 ――もう、王は俺の進言を聞く気はないのだろうな。

 やるせなさを抱きながら、オーエンはエレノアから託された装置をもてあそんだ。

 エルヴィスが幽閉されている塔までの道は、途中から一本道になる。したがって、監視の目を欺いたとしても、最後の道に差し掛かるところで待ち伏せされてしまっては、オーエンも捕らえられてしまう。共倒れは何としても避けようと力を尽くしてくれたエルヴィスの行動をすべて無駄にすることだけはできなかった

 唯一捕らえられる心配のなかったエラも、ついにエルヴィスから暇を出されてしまい、塔に近づくことは叶わなくなった。他の侍従は、エルヴィスが幽閉された日に既に金子きんすとともに暇を与えられていた。

「私ではもうお力添えできず、申し訳ございません」

 そう言ってオーエンの前で静かに頭を下げた彼女は、ずっと大事に持っていたエルヴィスのアンクレットを差し出した。

「私は暇をいただく身でございますので、これはオーエン様にお預けいたします」

 そう言われてオーエンは慌ててアンクレットと同じだけの質量の金をエラに渡した。おそらくエルヴィスはそうしようと思っていたはずだ、と直感してのことだった。

「こんなにいただけません」

「いや、俺とエルヴィスと二人からだと思って受け取ってくれ。お前には随分世話になった」

「しかし……」

 なおも渋るエラにオーエンはこれからの国の行く末を話した。金の価値は近隣や遠方どこに亡命したとしても、普遍的に使用できることにある。貨幣が紙くずになる前に備えておくならば金だった。

「私だけ、助かるというのは……」

「だめだ、これから先は自分の命のことだけを考えてくれ。ここを出たら、ひとまずここに行くといい」

 オーエンはエラに住所が書かれた小さな紙を渡した。

「ここは?」

「先の王弟の妻が運営している施設だ。児童養護とは別に宮廷を去る侍従の受け入れ先としても機能している。悪いようにはされない」

 元々最悪の予想が当たったときに備えて、侍従を逃がす算段はエルヴィスと整えていた。エルヴィスにとっては浅からぬ縁のある人間が運営している場所ではあったが、それもすべてエルヴィスは了承していた。

「エルヴィスも納得していたことだ」

 だからどうか従ってほしい、と言えば、ようやくエラは首を縦に振った。

「……それが、最後のご指示ですね」

「そうだ。どうか、息災でいてくれ」

 エラはオーエンに深々と頭を下げると、小さな荷物を持って宮廷を出て行った。それを見送るのはオーエンだけだった。

「とうとう彼女も辞めちゃうんですね」

 オーエンの背後から声をかけたのはジーンだった。国境警備からの帰還後、しばらく休暇が与えられていたが、それも既に明けていた。普段はオーエンと仕事のサイクルがかぶらないはずだが、何かあっただろうか、と考えていると彼の後ろから番が姿を現した。

「付き添いか」

「はい」

 帝国に住まうオメガは例外なく、定期的に〈人〉の宮廷魔術師によって心身の健康を確認される。これまではエルヴィスが担っていたが、今は〈人〉の宮廷魔術師の座についた産業大臣の息子が担っていた。

「初めての人のところにひとりでは行かせられないですし……まあ、付き添って正解でしたね」

 産業大臣の息子はベータの男性である。学者としても医術の心得がある者としても優秀ではあるが、オメガではない、という一点に彼の限界があった。

「あの人、全然オメガのこと知らないんですもん。義務じゃなかったら二度と行きたくないです」

 ジーンの言葉にオーエンはドキリ、とする。以前自分がエルヴィスに言われたことを思い出し、再び指摘されたような感覚だった。指先がわずかに冷たくなる。

「ジーン、言いすぎだ」

 憤慨するジーンをたしなめたのは番だった。抑揚は小さいが、深い森を連想させるような低い声が穏やかに響いた。以前は番との関係性に悩んでいたようだが、随分改善されたらしい。

「事実だってば」

ジーンは不服そうに番に言い返した。

「同意はするが、ここでわざわざ声高に言う必要はない」

 ジーンの立場に対する心配半分、オーエンに対する気遣い半分であることを感じ取って、オーエンは苦笑した。

 ジーンの番は騒がしくして申し訳ない、とオーエンに向き直って、エルヴィスに礼を言いたかったのだと言った。

「礼?」

「以前、ジーンに菓子をくださったのを覚えておいででしょうか。あのときいただいたものはおれの好物だとお話したことがありましたので、わざわざご用意いただいたのだろうと」

 そう言われてオーエンは思い出した。素っ気ないように見えるが、自分と同じ立場のオメガには濃やかすぎるほどの気配りを見せていたエルヴィスのことを。

「思い出した。そうだ、あれは……うん、そうだな」

 幽閉されるような事態になっても、エルヴィスの厚意を誰かが覚えて大事に抱えてくれていることに目頭が熱くなった。

「オーエン様、」

 名を呼ぶ声にオーエンは目尻に溜まった涙を手のひらで乱暴にぬぐった。

「おれは、エルヴィス様のことをずっと尊敬していますから、覚えていてください」

「僕もです。何かできることがあったらいつでも言ってください」

 二人はそう言って、かわるがわるオーエンを抱きしめたあと、仲良く手を繋いで家へと帰っていった。その後ろ姿が小さくなるまで見送り、オーエンは少し軽くなった足で自室へと戻った。



 月が冴えて美しい夜だった。

 エルヴィスが幽閉された塔の上の部屋には窓が二か所ある。しかし、どちらもはめ殺しであり、外に出ることは叶わない。天井にある丸いはめ殺しの窓から部屋の中に月光が降り注ぐのをエルヴィスはぼんやりと見つめていた。

(……眠れない)

 普段なら気にならない程度の明るさだが、妙に気が昂って眠れなかった。横になっても仕方ない、と割り切ってエルヴィスは身体を起こした。

 少し細くなった自分の腕を見る。

 出される食事を前に『これを食べたら自分は死ぬのではないか』という恐怖と戦うのが億劫になり、食べられる量は非常に少なくなった。エラが差し入れていれた保存食を少しずつ消費する日々だった。

 すでにこれからのことを考える元気はなくなっていた。

(……わたしは、ゆっくり死んでいくのかもしれないな)

 すでに侍従たちの後のことは面倒も見た。自分の後釜になった人間もいる。番にとっても、もう自分は必要ではないのだろうと諦めもついた。この世にこのまま留まる意味も見いだせないが、急いで死ぬ理由もなく、なんとも中途半端だ、とエルヴィスはため息を吐いた。

(あれは……?)

 ふと壁にはめこまれた窓から外を見ると、誰かが屋根に上っているのが見えた。エルヴィスがいる場所からは随分低い屋根だが、こんな夜中に一体誰だろうか、と考えていると、爆発音が聞こえ――数秒遅れて塔全体が揺れた。

「うわっ……!」

 思わず頭を抱えて姿勢を低くする。しばらくして、揺れが収まったことを確認し、エルヴィスは再び外を見た。

 まだ勢いは弱いが、宮廷に火が放たれた様子が確認できた。爆発音に似たそれは、おそらく宮廷全体にかけられている防護魔術を崩壊させるためのものであり、おそれていた事態が起ころうとしていた。

 ついに隣国から戦をしかけられたのだ、と状況を理解したエルヴィスは、今この部屋に置かれている衣服の中で一番身動きしやすいものを選んで着替えた。先ほどのまでの無気力が嘘のように動いていた。

 いつ死んでもいいと思っていたはずだが、いざ死が近づいてくるとまだ死ぬことはできない、と思った。少なくとも、オーエンと仲違いをし、互いにすれ違ったままでは死んでも死にきれない。

 着替え終わったエルヴィスは、無造作に放っておいた髪を束ねようとしたが、この部屋には髪紐が置かれていなかった。

(肝心なときに肝心なものが足りない……!)

 仕方ない、とエルヴィスは髪をそのままに、どうすればこの部屋から無理にでも抜け出せるかを考え始めた。そして、この騒動をオーエンも無事に乗り切ってくれることを強く願った。



 宮廷全体が揺れたとき、寝所にいた王もその隣で眠っていた側室のオメガも目を覚ました。何が起きたのかを確認します、と言って、不寝番をしていた近衛兵二人はその場を離れた。人が離れたのを確認して王は側室に語りかける。

「大したことはない。そのうちまた眠れるはずだ」

 いつもならばそこで彼はただうなずくだけだが、今日は違った。

「甘いと思っていましたけど、随分楽観的な見方をされますね、陛下」

 話せないと思っていた側室が突然声を発したため、王は腰を抜かさんばかりに驚いた。

「な、な、なぜ……」

「なぜ話せないふりをしていたのか、ですか? その方が何かと便利だったからですよ。お話をしたら、私の言葉に隣国の訛りがあるのがわかってしまうでしょう? まあ、以前の〈人〉の宮廷魔術師には感づかれていましたので、お話しましたけど」

 彼はそう言って王を魅了した美しい顔で微笑んだ。

「ねえ陛下。この国の資源も人も、とても魅力的ですね。隣国から始めて国境を超えたときに一目で好きになりました。私の祖国とは大違いです。皆、ただ広いだけの荒野には飽きてしまったんです」

 当然ですよね、金が採取できる国はどこもキラキラしていてきれいだから、と彼はうっとりとして言う。

「私、陛下にお話してもらったこの国の内政状況や地理、防御魔術のお話が大好きでしたよ。たくさんお話してくださって本当に感謝しています」

 おかげで簡単に陥落させる作戦を考えることができました、と彼は王に礼を言った。皮肉でしかないその礼に、王は何も言い返せなかった。

 だからね、と言って彼は王の頬に手を添えた。白魚のような手は冷たかった。緊張しているわけではなく、ただ単純に彼の体温が低いのだとわかる冷たさだった。

「――〈金の国〉、私たちが頂戴いたしますね」

 彼はそう言うと王の顔を引き寄せて触れるだけの口づけをした。ちゅ、と軽い音を立てて、くちびるが離れていく。

「ま、まってくれ……余は、まだ……!」

 引き留める王の手を躱して、彼はするり、とベッドを抜け出した。さようなら、と言って軽やかに駆けていく後姿を為すすべもなく王は見送っていた。

「陛下」

 呆然とする王の背後から女が声をかけた。声の主に心当たりのある王は振り返る。

「エレノア……」

 王の正室でもあり、〈天〉の宮廷魔術師でもある女。王にとってはもっとも頼るべき相手だが、この数か月で随分関係は希薄になっていた。予知の魔術をその身に宿した彼女が、国を崩す原因となった人間を招いた王に何を言うのか、と王は身構える。

 彼女はベッドに腰掛けると、王を正面に見つめて言う。

「お辛いですね」

 叱責でも、怒りでもない言葉に、王は聡明な女の言葉に耳を傾けなかった自らを呪った。

「すまない……余が、そちの言葉を信じなかったばかりに、こんなことに」

 王の謝罪に彼女は首を横に振った。

「謝っていただく段階はとっくに過ぎていますが、私個人としては陛下の謝罪を受け入れます」

 謝罪によってやり直せる期間はとうに過ぎた。エルヴィスを捕らえ、エレノアを疑い、オーエンを遠ざけた時点でこの国の負けは確定していたのだから。先ほどまで王の寝所に控えていた近衛兵もすでに側室の――つまり隣国の――息がかかっている者だ。状況を確認するだけならば一人で行くはずだが、彼らは二人そろって出て行った。状況を確認するふりをして、逃亡したと考えるのが妥当だ。

「余は、どこで間違えたのだろうか」

 力なくつぶやく王に、女は何も言わない。今さら過去の選択を悔やんでも、やり直せる段階に戻れるはずもなかった。

「今の陛下にできることは、この状況を受け入れて、国と共に亡ぶことです。隣国の訓練された魔術使いに、我が国の術者では太刀打ちはできません」

「……余は愚帝として、歴史に刻まれるということか」

 後世の心配をする王に対して女は苦笑する。金の産出国として名を馳せた大国が亡んだことは吟遊詩人の恰好の題材になるはずだ。そこで、最後の王がどのように語られるのかは想像に難くない。しかし、

「歴史に残るかどうか私にはわかりませんが」

 と言って女は王を抱きしめた。王の鼻腔は柔らかく甘い花の匂いで満たされる。

「私は、あなたの最期までずっとここにいて、きちんと見届けて差し上げますわ」

 女の言葉は甘く、王に響いた。王も女を抱きしめ返す。

「――さようなら、〈金の国〉の最後の王様」

 女の瞳から涙がこぼれて、頬にひと筋のあとを残す。誰も戻ってこない王の寝所に炎が迫るまであと少しだった。

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