天使の輪

冷田かるぼ

黒髪



小学校に上がって三回目の夏休みだった。

みんみんと煩い虫達の声が路線バスの窓枠を乗り越えて廉の頭の中に入ってくる。


「もう三年生やっちゃから、一人でおばあちゃんち行けるやろ?」


少年はそんな母の言葉にまんまと釣られて祖父母の住む山奥の集落へ向かっている最中だった。


「べつに、楽勝やし」


呟く。強がったって彼は震えていた。

祖父母の家は同じ県内とはいえ少し遠いし、道中はいつも暗くて不気味だ。


行先が山奥だからかバスの車内にはたった一人。

狭い道、暗い木々、転がる砂利などのせいか時折がこん、と揺れる車体。



あと一時間とちょいくらいやろ。

廉は母から渡された子供用のケータイで時刻を見て思った。


がたん、とまた揺れた。


エアコンがついているはずではあるのだがやはり空気は生ぬるい。



うとうとしてきた。

背負わずに膝の上で抱えたリュックのストラップがゆらゆらと廉を催眠する。


こくり。


彼は眠りに落ちた。



がた。


がが、が。


がこん。




次は〜、黒背台、黒背台〜


ぽーん。



そんな古びた機械音で目が覚めた。頭を上げるとバスは停まっているようだった。


ぷしゅー、という音とともにドアが開く。一人の女性が乗ってきた。

少年でも分かった。こんなところで乗ってくる人は変だ。


周りは鬱蒼とした林だし、バス停だって表示はぼろぼろだ。

申し訳程度に置かれたベンチだって座りたくないくらいにきたない。


それなのにこの女の人はちっとも汚れておらずまっさらに綺麗だった。


顔も見えないほど長い黒髪が腰まであって、夏場なのにも関わらず長袖の黒いワンピースにタイツ。肌はどこからも見えやしない。


廉は目を奪われた。

彼女の髪は異常に綺麗で、黒の奥に紅があり、蒼があり、そして虹のような色彩があったからだ。

その髪の映す天使の輪はほんとうに誰かを天使にしてしまえるのではないか、というほど。


彼女はバス内を見渡して、そうして廉に近寄り、隣に座った。


ひんやりした。


まるで死人に囲まれているような冷たさだった。

どうしてこんなに空席があるのに自分の隣に座ったのか、とかそういうことを考える前に冷気が廉を包んだ。 しかし顔を見る勇気は少年にはなかった。

吸い込まれそうな黒がその肩から流れ落ちている。

彼女は膝の上で手のひらを重ね合わせ、そのままぴくりとも動かなくなった。

それを彼はただ見つめている。


「……死んでるみたい」


つい口に出た。

やべっ、と思うと共に、咄嗟にその表情を読み取ろうと廉は彼女の顔を見た。



彼女はこちらを見てうすく微笑んでいた。


うつくしかった。


血色のない唇や三日月のように細められた目や、ともかく、言葉にするのも惜しまれるほど彼女はうつくしかった。 ただ、人間のうつくしさとは訳が違った。


その瞳には捉えられない深淵と――――数え切れないほど溢れる死体のようなおぞましさ。 滲み出た冷たさは彼の身体にも染み込んでゆく。


しかし小学三年生の廉にはそれがわからなかった。


きれいだなあと眺めているうち、くすくすと笑い彼女がその口を開く。


「死んでるのは貴方の方よ」


「え」


彼女の声のやわらかく微かな響きに驚いて、反射的に廉は自分の身体を見た。


そこにはもうなにもなかった。







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