第28話 狙われの身
「よろしかったんですか? アナーク様を行かせて」
「あら? あなたが自分から喋りかけてくるなんて、珍しいですね」
旅立つ娘と友人の子を見送り、その足で執務室に戻った途端に声をかけてくる部下の姿に、エバは目を丸くする。
この部屋には現在、総隊長であるエバと、この要塞で実際に指揮をとる中ではトップであるキャニオンがいた。
カインが一兵士だと誤認していた彼こそが、この場所のナンバー2。エバがここにくるまでは、ナンバー1だった男。積み重ねてきた実績と、与えられた勲章や権威などを鑑みれば、アナークとは比べ物にならない程の大物である。
「左様でしょうか?」
「左様ですとも。置物みたいで怖いってアナが前にぼやいてました」
本人は慕われていたとでも思っていたのか、少し肩を落とす。
エバとキャニオンの年齢差は10も離れていないが、それでもキャニオンの方が年上だ。にも関わらず彼がエバに丁寧な言葉を用いるのは、エバの世界的立場が要因というよりも、只単純に彼の性質故だろう。少なくともエバはそう思っている。
彼は重要拠点を預かる重役とは思えないほど、物腰が柔らかく、かつ礼儀正しい。
知崇礼卑とは彼のことを指す言葉だと、本気で思うほどだ。
そんな男は旅立ったアナークとの関係を思い返しているのか、頭をかく。
それから言い訳のように言い繕った。
「年上の男に気安く話しかけられるというのは、あの年ごろは嫌がるかと思いまして。昨今はそういった問題への規制も厳しい時世ですし……」
本当に、権力とは縁遠いタイプだ。これほどのキャリアと立場を持っている男が、部下一人との関係に頭を悩ませていたとは。
彼の場合は口だけではなく、本気で思っていそうだから呆れてしまう。そんなことは彼ほどの男が頭を悩ませる問題でないと。
小心者、ともまた違う。なんと表現するのが妥当か、エバをして頭を悩ませた。
「そばにいる上司から全く声をかけられないというのも、それはそれで嫌だと思いますけど……。話が逸れましたね。アナのことでしたか?」
「ええ」
アナークを行かせた理由は様々あるが、エバには先に聞いておきたいことがあった。人類にとっての重要拠点の一つを任される男の意見を。
「その前に、キャニオンさん。あなたの目から見て彼はどうでしたか?」
キャニオンはこの拠点にカインたちがいる間、ずっと彼らのお付きをしていた。
本来この立場の人間にそんなことをさせるものではないが、他ならぬ彼からの要望。心苦しくはあったが、エバもカインという人間を正鵠に測るために首を縦に振った。キャニオンの人を見る、確かな目を信頼して。
「17歳になったばかりとは思えない程に、思慮深い青年でした。実力も確か。名に恥じぬとは、まさに彼のような人を言うのでしょうな」
本心だろう。お世辞を言うようなタイプではない。
まあ、このあたりは誰もが思うことか。
カイン・オルキヌスの名を知らぬ者など、この世にはいない。
その最たる要因が、やはりその両親。
世界を救った男と、三代目勇者の女が結ばれて生まれ落ちた子。
世界最強の男と、世界最強の女の、第一子。それだけで世界が注目するには十分。
さらに7歳という幼さで世界最大の国家の王に即位し、以来10年近く大戦後の不安定な国を統治してきた賢王。
動向は常に世界の注目を集め、彼を一目見たいがためにロータル大谷を越えて国を目指した者までいるくらいだ。
「それに、王家の出とは思えないほどに気さくな方でした。驕り高ぶった様子もなく、悪戯に力を誇示することもない。こういう言い方は失礼かもしれませんが……弁えていますね。あのくらいの若さであれば、もっと調子に乗っていてもおかしくはないと思います」
カインは失礼な態度をとっていたと内心思っていたが、当のキャニオンからはそんな評価ではなかった。むしろ出自や血統を考慮すれば、カインは礼儀正しすぎると思っていたくらいだ。そしてその評価は、決してキャニオンだけのものではない。ここに詰めている兵士のほとんどが、カインの立ち振る舞いを好意的に認識していた。
「当然でしょうね。あれは……地を舐めています」
「……苦労してきたと? それはまあ、当然でしょうな。大戦中に即位し、その後始末が王としての最初の仕事。私が同じ年であれば、きっと脇目も振らずに逃げ出していることでしょう。環境が人を作ると言いますが、彼は同時に環境も作らねばならなかった。子供ながらに抱えてきた心労を思うと背筋が伸びる」
カインもゆくゆくは自分が国を背負わなければならない立場にあることは、漠然と分かっていたことだろう。しかし想定を遥かに上回る早さで出番が回ってきた。7歳という年齢は世界的に見ても、歴史的に見ても、異例中の異例。
それも戦時中、それもあの傑物オルカ・オルキヌスの次代。プレッシャーは計り知れなかったと思われる。凡人ではまず不可能だ。
しかし、エバが言いたかったことはそれではない。
「いえ、違います」
「……違う?」
「物心ついたカインに初めて会った時から、彼は既にあんな感じでした。子供ながらに聡明さが感じられ、その立ち振る舞いは常人とは一線を画す。真面目で優しく、勤勉で優秀、絵に描いたような神童」
キャニオンがそんな子供が実在するのか、と懐疑の視線を送って来るが、無視する。まごうことなき事実なのだから。むしろかなり表現は抑えたほうだ。
エバの第一子、ルルワ・アリエス。
彼女も幼い頃から賢く、優秀であり、誰もがその将来に太鼓判を押す程の大器だった。しかしそんなルルワをして、カインと並べば霞んだ。
カインの方が一歳年上という事実を差し引いたとしても、天秤の対にすらなり得ない。それほどの器。オルカもそう遠くないうち、自分など超えてしまうだろうと口にしていた。
しかしだからこそ、近づきにくい神聖さが幼少期のカインにはあった。
本当に人間かと思えるほどに、大人顔負けに優秀な子供。周囲が不気味に思うのは当然だ。加えて王族としての美麗な立ち振る舞い、完璧な礼節、礼儀作法。気軽に関われという方が土台無理な話。
しかし、カインは変わっていた。
「あの感じは、王の生活から離れ、民と同じ世界を見ています。こういう言い方は良くないかもしれませんが……それこそ、最底辺の」
「まさか!!」
キャニオンが驚くのも無理はない。
普通はあり得ない。常識で語れば、そんな王が存在するはずが無い。
エバも最初はそう思った。しかしあそこまで平民の心を読めるのは、それだけ関りを持ってきたからだと直感した。
いくら優秀といっても、知らなければ何もできない。住む世界が全く違えば、あそこまで巧くとけ込めるはずが無い。つい最近まで玉座に座していた男が、他者に配慮し、頭を下げることができるはずがない。
そのあたりの立ち回りは、カインに付き従っていた女アワンよりも遥かに上手いと感じたほどだ。言葉を選ばなければ、はっきり言ってアワンは周囲から浮いてしまっていた。
まあ、彼女自体がカイン以外の目など、至極どうでもいいと思っていそうな節はあるが。
「私の記憶よりも、今のカインは野趣に富んでいました。生来の真面目さは隠せていませんでしたが、何らかの環境の変化があったのは間違いありません」
「もしやそれには……かの一族が絡んでいるのでは?」
ベンサハル一族。
先日、オルカ・オルキヌスが建国した大国を、二代目カインから奪い取った一族。
なぜエバがそれを知っているかというと、他ならぬ新王が各国へと声明を出したためだ。王が変わり、新しい体制へと移行した、と。
それに伴い前国王カインと、宰相アワンに国外永久追放の処分を下した、とも。
世界が揺れた事件だった。
かの勇者の血が、敗北を喫したというのだから。
「……分かりません」
こればかりは、本当に分からない。
カインが自発的にそういう生活に身を置いたのか。ならば理由は何なのか。全く想像できない。
かといってベンサハル一族がカインを追いやったというのか。それもしっくりこない。
あの一族がカインを恨むのは最もと言えば最もなのだが、そのあたりをあのオルカが考えてないはずが無い。きっと国に取り込む際になんらかの契約を結んでいるはず。ならばオルカの死で暴走したのか。だがやはり、オルカが自身が死んだ後のことをフォローしていないとも考えにくかった。
「彼の連れていた女性は…………一体何が起こったのでしょう?」
宰相アワン。昔、エバも何度か見かけたことがある。
内務能力を買われて一族から取り立てられたという娘。
確か、新国王アズラの姉。なぜ妹は王位を奪い、姉は追放されたのか。
「…………分かりません」
やはり、分からない。
現状推測の域を出ない。情報が無さ過ぎる。
他国の問題だけに、気安く触れることができなかった。そもそも人間的な常識の面でも、他人の不幸をまだ傷も癒えぬうちに突っつくのはマナー違反だ。
あれだけ探りと揺さぶりをかけておいてどの口が言うのかと自分でも思うが、あの程度ならば許容範囲とカインなら受け取ったはずだ。
「無粋ですが、あの二人の関係は?」
「……」
確かに無粋だが、一笑に付せるような問題でもない。
エバの女の勘では、アワンはカインに惚れていると思う。
それが長年の物なのか、はたまた最近の物なのかまでは分からないが、確かな深い愛情は感じた。そもそも愛に時間は関係ない。女という生き物は特にそれが顕著だ。
一方のカインもアワンの身を第一に考えている様子だった。憎からず思っているのは間違いない。
しかし彼女を妻として扱うかという点については、頭を悩ませる。
器量十分の女に見受けられたが、だからこそ釣り合わないとアワン側が身を引くのではないか。あの思慮深さなら、生粋の身分の違い、そして生物としての格の違いまで正確に理解していることだろう。
天上の男を手に入れて優越感に浸るような安っぽい女にも見えなかった。それどころかついていけるだけで幸せだと言わんばかりの、理解ある女の姿がそこにはあった気がした。エバが若い頃ならきっと見習っていたことだろう。教鞭すら乞うていたかもしれない。
あの娘ならカインの心を射止めていてもなんらおかしくはないと思わされた。
恋人関係か、はたまた肉体だけの関係か。いずれにしろ意味合い的には大した違いはないか。
「……アナークにチャンスがあればいいのだけど」
「っ!!」
エバのその言葉だけで、意味をくみ取ったであろうキャニオンが絶句する。
しかし、こちらも冗談で口にしたわけではない。
これがまさにキャニオンの知りたかった、エバがアナークを同行させよう考えた理由の一つなのだから。
本来は、それはルルワの役目だった。
しかしオルカとミアの死がきっかけとなり、その未来は消えた。
前述の言葉に矛盾するようだが、ルルワならば立場も、器量も、そして力量も、カインと釣り合うとエバは自負している。これは身贔屓などではなく、純然たる事実。彼女が妻ならば、誰もが納得するはずだ。
しかしカインにその気がない。エバは当然ルルワのいるトロイ連合国へ行くことを勧めたかったが、カインの目的地は既に決まっているようだった。
詩文を読み解けば、目的地にも察しはつく。急いでいる理由にも。
いずれにしろ、ルルワのことなど眼中に無いと言わんばかりの態度。あれではちゃんと覚えているかすらも怪しい。もちろん冗談だが、完全な冗談とも言えないほどに、今のカインの心は一人の女に独占されているようだった。そして問題が問題だけに、これを止められる筈もない。
つまり、アナークは代案。急ごしらえの代打だ。
エバも、彼女にそういった適性があるとは思っていない。
性格はねじくれてはいないが、些か真っ直ぐすぎるきらいがあり、付き合う人間次第でどんな色にも染まる。つまりは、中身はどこにでもいるようなごくごく普通の少女だ。
非凡な容姿とひたむきな性格は刺さる可能性もあるが、母親であるエバが最大限贔屓目に見ても、女としては平凡と評価せざるを得ない。アワンと並べられれば、その差はさらに浮き彫りとなることだろう。
ましてやカインほどの男が、アナークという少女に女を見出すかと言われれば、やはり自信はなかった。
年齢的にではなく、彼女はまだ人間的に若すぎる。はっきり言って器量が釣り合っていない。
カインは少し会話をしただけでも、教養の深さが感じられた。アナークでは下手をすれば、会話にすらついていけないということも考えられる。
(カインが最も近い境遇のアナークに親近感を抱いてくれれば……。あの子が自分の気持ちに素直になってくれさえすれば……あるいは)
分の悪い賭けだ。
アナークは娘たちの中で、最も過去のエバに似ている。プライドが邪魔をして、中々素直な想いを伝えられない姿が、容易に想像できてしまう。
しかし適性の無い者であっても、送り込むほかなかった。
それが最も矛盾なく同行させられる術だったから。
カインの種は、今の世でそれだけの価値がある。決して適当な場所に、意に添わぬ場所にばら撒くわけにはいかない。
(彼女は、それを正しく理解していた)
カインの付き人、アワン。油断ならない女だ。
勇者の血。それも勇者と勇者が結ばれて生まれてきた子。
ルルワやアナークもそういう意味ではカインと全く同じ立場ではあるが、それでも二人は女。カインは男だ。
文字通り母数が違う。引き継ぐことができる数が、違い過ぎる。他の勇者の子に男は一人もいない。男は唯一、カインだけ。
そして、史上最強の魔王を単独で撃破したオルカと、三代目勇者ミアの子というのは、やはりこの世界では特別な意味を持つ。
各国が、追放され、自由の身となったカインを狙う。
己が国にその血と力を引き入れんと。
アワンは、それを正しく認識していた。エバがアナークを同行させた意味も、正確に。
しかしもちろん、それだけが理由の全てという訳ではない。
そちらも憂慮すべき事態ではあるが、差し迫った脅威への対策は急務だ。
カインから提示された情報、エバは大事だと即座に直感した。
歴史が再び、動き出そうとしていると。
(…………本当に、これで)
これでよかったのか。この判断は正しかったのか。自分が出張る必要性があったのではないか。
結論を出したはずなのに、未だに揺れ続ける。
ロータル大谷の重要性を説き、エバは同行を拒否したが、無理をすれば短時間なら動けた。エバが動けば、解決も早かったはず。
しかし――
(…………)
エバは旧時代の遺物。運よく残っただけに過ぎない。
そんな女の力に頼るようでは、この先の時代を任せられない。
エバは、カインという男に賭けた。
あのオルカとミアの血を引く、次世代の申し子の背中に。
(大丈夫)
様々な逸脱した強者たちを目にしてきたエバをして、カインの才能は舌を巻くレベルだった。現時点での強さはあの時代には全く及ばないだろうが、それこそ若い頃のオルカやオヴィスに匹敵するほどの大器を感じさせた。
カインが戦いを全く知らなかったのは、おそらく父オルカの影響だと思われる。
オルカは軍縮を進めていた。人の力の縮小を。
力が力を呼び、その力が膨れ上がって行けば、大きな破壊を生む。どんどんと戦いの規模が大きくなる。反って犠牲は増える。
だからこそ、その最たる可能性を持つ息子に力を扱う術を教えなかったのだろう。オルカはそれがこの先の人間のためだと信じていた。
しかし、もはやそんなことを言っていられる状況ではない。それは脅威が消えたからこその話だったのだから。再び脅威が差し迫れば、人は武器を取るしかないのが道理。
軍縮を進めていたオルカには申し訳ないが、力には力で対抗するしかないというのがエバの持論だ。生きるためには、戦うしかない。
カインには、力を持たせるべきだ。この先の世界のためにも。
「…………それにしても、あれほどの男をこうも簡単に追いやれるベンサハル一族とは――」
それは、この微妙な空気を変えようとした故の言葉だろう。
しかし、全くの嘘とも思えなかった。これは本気の憂慮。彼はかの一族について知らない。というよりも、その事実を知っているのは今や本人たちと、エバくらいではないだろうか。
あのカインをたった一夜で追放したという、新国王を恐れた不安の吐露。
エバは本気で可笑しくて笑う。その時ばかりは、彼女は本当の素を見せた。
「馬鹿ですね。あの一族でも殺せなかった、ということですよ」
殺せるなら、殺さない理由がない。
つまりカインと戦えば、少なくない犠牲が出るという判断。実戦の経験もない、身に余るような才能だけを弄ばせている男に。
世界最強の一族、ベンサハル。
その総力が敵に回ったとしても、生き残れる男。
無血革命は、血を捧げた人間がいたからこそ成ったのだ。
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