第27話 まごうことなき勇者


「本当に良かったんでしょうか」


「何が?」


 俺は馬車の床に背を預けながら、視線だけを向ける。

 そこには落ち着かなそうにソワソワしているアワンがいた。

 彼女が落ち着かない理由など、俺にはとうに分かり切っている。


「何がって、この馬車とか。それに……」


 アワンの視線が、前方――御者へと向けられる。

 そこには会話など聞こえていないとばかりに、こちらへ完全に背を向ける赤髪の少女の姿。

 彼女は要塞時の鎧や兜は着用しておらず、遥か北の大国ピュグマイオイの民族衣装と思われる服を着ていた。


 現在俺たち――俺と、アワンと、そしてアナークは、ロータル大谷を越え、グランド要塞から出立。旧人領域――大陸北の領域へと足を踏み入れていた。

 昨日のエバとの話し合いからまだ一日のことだ。

 商品として勧められてから翌日に出荷されたアナークのことを考えれば、流石に可哀そうに思う。旅支度に追われて別れの時間などきっと作れなかったはずだ。


 俺はアワンの濁した言葉には気づかないふりをする。

 それは言っても仕方がないからだ。だから触れられるところにだけ触れた。


「これでも遠慮した方だろ? 当初はもっと凄い奴だった」


 俺は今自分が乗っている馬車を見渡す。

 積荷のスペースを除外しても、3人がゆとりをもって寝転べるような広さ。使われている木材もしっかりしているし、追突しても簡単には壊れ無いだろう。一見普通の幌馬車のように見えるが、細部まで見れば決して安物ではないと分かる。

 極めつけは、この馬車を牽引する存在。<蒸気馬セントサイモン>。

 通常の馬よりも体躯が大きく、筋力、走力、持久力に優れた最高位種の魔獣。その移動能力は鍛錬された軍馬10頭に匹敵すると言われているほどで、当然価格もそれに匹敵する。たった三人の人間の旅路に使われるには明らかに役不足だ。


 これでも、遠慮した方。この言葉に偽りはない。

 機能性を追求した、6人が乗ってもまだゆとりがあるような馬鹿でかい豪華な馬車。最初に用意されたのはそれだ。しかもその馬車の前に四頭の<蒸気馬セントサイモン>がいた。

 一体何十トンの物を運ぶというのか。というかこんな危ない拠点に高級馬を置いとくな。常軌を逸している。蒸気馬だけに。


 曲がりなりにも国王だった俺なら分かるが、あれは王族とかが乗る奴だ。決してこんな旅の若僧共に与えていいようなものではない。

 ここに揃っている三人の出自が特殊過ぎて時々勘違いを起こしそうになるが、俺たちは社会的にはただの若者旅人集団なのだ。アナークがいるとはいえ、その辺は慎重に立ち回らなければならない。変なやっかみや面倒事は御免だ。


 というわけで、丁重にお断りした。

 当然「いらんわ、あほか!」などと言えるはずもないので、完全な密室では奇襲への対応が、とか、4頭もいては小回りが利かない、とか、世話が、とか、考えつく限りの様々な理由で反論してこれに落ち着いた。


 これでもただの親切にしては受け過ぎなほどの支援だ。

 未だに落ち着かない様子のアワンの気持ちも分かるというもの。優しくされ過ぎれば何か裏があるのではと不安になるのが人情だ。


(裏……か)


 俺は出立前、アワンやアナークが旅の支度をしている間に、エバに呼び出された時間を思い出す。あの時ほど、俺が衝撃を受けた時間も中々ないだろう。

 俺はあの一時、ただ世界一強いだけだと思っていた女の――裏の姿を見せられた。




***




「あなた、実戦は初めてですね?」


 部屋に招かれた瞬間、開口一番に告げられる。

 肉体が一瞬硬直する程の驚愕。なぜ見破られたのかと、様々な理由を考察するが、これといった答えがすぐには出てこない。どこで、何がそう思わせたのか。

 エバは特に俺の反応を窺う訳でもなく、それを確信しているように続けた。


「いえ、正しくは初めてだった、でしょうか」


 昨日の、魔獣騒動のことを言っているのだろう。

 であれば、正解だ。俺はあの日が初めての実戦だった。


 もちろん訓練や、多少の戦闘なら行ったことはある。

 クーデターの際に兵士たちとも戦っているし、ここに来るまでにロータル大谷で魔獣なども狩っている。

 しかし彼女が言いたいのはそういうことではないだろう。


 実戦とは、明確に命を取りに来る相手との戦い。

 命がかかった戦いと、そうでないものとでは、語り尽くせないような大きな違いがある。隔絶といってもいい。それを俺は昨日実感した。

 昨日の魔獣騒動は、背後に術者がいることを想定して戦った。あの夜アワンを操って明確な敵意を残していった、Aという存在を。

 実際にその場にいたのかどうかは定かではないか、術者が操ったと思われる傀儡と戦ったのだからそれはもう実戦だ。

 精神的重圧、肉体の動き、頭の回転、視野、精神状態、緊張、その全てが異なった。

 あれは魔獣との戦いではなく、敵との戦いだった。


 はっきりと確信している者に対し、誤魔化すのは滑稽だ。俺は素直にその事実を認めることにする。


「何かヘマをしたでしょうか?」


「していません」


「…………は?」

 

 思わず、呆けたような面を晒してしまう。

 何を言っているのか。俺が何かミスをしたから、彼女はその事実に辿り着いたのではないのか。


「あなたの実戦不足に気が付いたのは、おそらく私だけです。ここにいる兵士たちは皆優秀な者たちばかりだと自負していますが、それでも些細な違和感にさえ気が付けた者は皆無だと思います。それだけカイン――あなたの才能は突出していた。力、器、そして頭脳で、致命的な経験不足を欠片も悟らせなかった」


 これまで関わった時のような笑顔は見えない。

 どこまでも真剣に、そこには後輩に教育を施す指導者のような気配すらある。俺はこちらの彼女が本来の姿なのだと、直感的に察した。


「しかし、それだけです。あの時代を超えて生き残った者に、その程度の――人間の中で一番の才能を持つくらいでは、特に意味はありません」


「っ!!」


 磔にされたような拘束感。そして、打ちのめされたような敗北感。

 完全に、言い負かされている。彼女の言い分に、脳ではなく、心が納得してしまっている。

 しかし、不快感はなかった。

 なぜなら、これが忠言だと分かっていたから。俺は今、大人から優しさを受けている。


「とはいえ、多少なりとも証拠を提示しなければ深慮の末の納得とはならないことでしょう」


 全くそんなことはなかったが、俺は彼女の続く言葉を聞いてみたいと思った。

 だから口を噤んで聞き入る姿勢を作る。


「まず、あなたは天術師ではなく魔術師です。それも勘が正しければ、私と同じ根源魔術師アルケイスト。決して前線で戦うタイプではありません」


 やはり、同じ魔術師の最高峰の目は騙せなかったか。

 ピタリと見抜かれても、意外感よりも納得感の方が大きい。


 この世の力は大きく二つに分類される。それが天術と魔術。

 天術師は前線で戦うような肉体能力の高い職業が多く、魔術師は後方で戦うような知能の高い職業が多い。大雑把に言えばそんな感じだ。

 当然その枠組みの中には例外もあるし、俺のように肉体能力の高い魔術師もいないということはない。本当にそういう存在は希少だが。


 それにしても、この程度は想定はしていたが、やはりこうも力強く断言されると何か致命的なミスをしてしまったのではないかと勘繰ってしまう。特に根源魔術師アルケイストと当てられた事実は大きい。


「あなたが申告したレベルに嘘はないと思います。私は納得しましたし、嘘をつく理由もありません。身体能力は同レベル帯の戦士を軽く越えているので、普通の者には魔術師であるとはとても分からないでしょう。ですが動きが経験を積んだ天術師のものではありません。長く、そして最高峰の戦士をその目で見てきた者であれば、すぐに技量不足に気が付きます」


 俺は自身の肉体能力を、同レベル帯の戦士職と同等と見積もっていたが、どうやらエバの目からしてみれば、俺の身体能力は全線で戦う戦士の中でも頭抜けているらしい。この情報はかなり有益だった。

 俺とレベルの近いアズラと比べていたのだが、ということは自動的に彼女も同レベル帯の天術師よりも身体能力が遥かに高いという計算になる。


「魔術師と分かったのは、距離の取り方と間合いです。巧妙に誤魔化してはいましたが、剣などの得物を普段手にしている者の間合いではありませんでした。それでようやく確信しました。あなたは私と同じ土俵で競っては勝てないと思い、肉体能力だけで戦おうと思ったのだと」


 普段日常的に武器を手にしているが、あの場では武器がなかったので仕方なく素手で戦った戦士。

 そういう設定の距離の取り方ができていなかったと言いたいわけか。

 そんなのできるはずがない。剣なんて遠い昔に母親にちょっと習ったくらいだ。ミアの言では俺には剣の才能もあるにはあったのだが、生憎本当に興味が無かったので訓練を放棄した。棒を振らずに棒に振ったというわけだ。俺との訓練に精を出せなくてしょんぼりしていたミアの背中を思い出す。

 まあそのミアから伝授されたアワンの技で俺は今棒を振られて精を出されているのだ。なんだかんだミアもあの世で満足していることだろう。


「無論それだけではありません。わざわざ下まで降りたのは、あなたの能力の条件が関係しているのではないですか?」


「っ!!」


 馬鹿なことを考えていた脳に、冷や水がかけられる。

 まさか、たったあれだけのことでそこまで気が付かれてしまうのか。

 普通は接近戦のために敵に近づいたのだと思うだろう。遠距離攻撃の術がないから近づいたのだと。俺ならそう思う。


「敵との距離、高度、足を地につける、人の近くでは発動できない……条件型の技術スキルは威力が向上する分、比例して敵の警戒も高まります。たったあれだけの行動一つで、熟練者は違和感を感じ取ります。本当は魔術師だと見抜かれた後では、もはやその行動には違和感しか残りません」


 魔術師ならば、敵に自分から近づくのは明らかにおかしな行動だ。

 普通は率先して距離を取る。魔術師は天術師よりも肉体能力が低いと相場は決まっているのだから。だからこそ身体能力の高さを見せることでその辺は誤魔化せたと思っていた。だが、その程度の警戒では足りないということか。


「偉そうなことを言いましたが、私は決してチームの中では頭のキレる方でも、戦闘の組み立てがことさら巧い方でもありませんでした。むしろそのあたりはミアと下位を争っていたくらいです。短い会話でしたが、あなたの智謀が卓越していることはよくわかりました。が、あなたのお父上であるオルカや私の夫であるオヴィスであれば、戦闘時の対峙した短い間にあなたを丸裸にしていたことでしょう。仮に両者のレベルを揃えたとしても、勝負にもなりません。それだけ戦闘経験とは、命がけの戦いにおいて重要な要素です。思考を働かせながら、相手の能力を探りながら、自分の思い通りの行動を一つのミスなく行うというのは、それだけ難しいことなのです。こればかりは、頭脳や知識だけではどうにもなりません」


「…………」


「繰り返しますが、あなたの才能は今のこの世では並ぶ者がいない程でしょう。実際の強さでも、あなたに勝てる者はそうそういないかと思います。しかし、実戦で今のあなたが脅威かと言われれば――そうでもありません」


「…………」


「カイン、自身の才能に胡坐をかいてはなりませんよ。敵が本当に20年前の亡霊なのであれば、敵の力はあなたの想像を遥かに凌ぐかもしれません」


 無言で、見つめ合う。

 一瞥も視線を逸らさない。全てを余すことなく受け取る。

 旧時代から、次世代への、勇者のバトン。

 そんなものは受け取る気にもなれないが、人が人を思う純粋な心を蔑ろにしては、人の強さは無くなる。

 俺はエバの言葉の全てを、自分の中にしまい込んだ。


「金言を賜りましたこと、深く感謝いたします」


 深く、深く頭を下げる。

 ポーズではなかった。俺は心の底から、感謝の念を抱いた。


 この隔絶した強さを持つ十数人の集団の中、生き残ったのはただ一人。

 それほどの敵だった。今の俺では、足りないものが多すぎる。

 それを伝えてくれた。頂上の世界に住むような強者が、たった一人の取るに足らない男に対して、ここまで言葉を尽くしてくれた事実。

 適当に受け止めていいはずが無い。

 俺は言葉の全てを記憶し、心に留め、深く頭を下げたのだった。


 ただ世界一強いだけだと思っていた女は――


 まごうことなき、”勇者”だった。

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