第26話 初代勇者の末裔
おっかなびっくりといった様子で前に出された少女を見やる。
俺が血のように重たい赤髪に対して、彼女のものは日のように明るい赤だ。瞳も同じように明るめの赤。
しかし表情というか、全体的な彼女の雰囲気は暗め。若干の釣り目と重たい前髪で影ができた顔は、冷徹な印象さえ他者に与える。
だが今は、年相応の少女のように目を白黒とさせていた。
まあ突然母親に旅に出ろと言われればそれも当然か。しかも見ず知らずの男について行けなど。
可愛い子には旅をさせろ、とか昔オルカが言っていたが、これではただただ可哀想な子だ。アクレミアなら今頃きっぱりとお断りしていることだろう。実の娘に断固拒否されて涙目になるミアが頭に浮かぶ。
「あ、あの……お母さま?」
「何ですか?」
これまで頑なに総隊長としか呼んでいなかったアナークが、初めてお母様と口にする。とうとう隊長としての顔を取り繕えなくなったようだ。
しかしそんな健気な娘を、ニッコリと微笑んで黙らせる世界最強の母親。まるで「文句でもあるのか? ないよな?」と言っているようだった。そしてたぶん言ってる。
「い、いえ……」
言葉を飲み込んで顔を伏せるアナークの姿を見て、同情というか、共感する。俺も世界最強の両親を持って生まれた。その苦労の一端を共有できた気がして(一方的)。
「アナークのレベルは25です。決して足手まといにはならないと思います。それに防御系統の中でも移動阻害、行動阻害に特化した魔術師。そちらのお嬢さんがもし再び操られても、彼女なら即座に拘束できますよ」
まるで商品を買わせようとする、やり手の商人のようだと思った。こちらが欲しいものをよく分かっている。
そしてレベルはまさかの予想ドンピシャ。
自画自賛したいが、これは本当にたまたまだろう。朝起きた時、今何時か予想してみて当たったみたいな感じだ。俺そういうの結構当たるタイプだし。
申告(本人ではないが)が正しければ、アナークは冒険者でいうところの中級に足を踏み入れたあたり。
この辺のレベル帯はもう熟練の戦士といっていい。14歳でこのレベルなら才能も伸びしろも十分。確かに足手まといにはならないだろう。
それにしても、ぶっちゃけ過ぎだ。
己の決して漏れてはならない類の情報を喋られ、オロオロすることしかできないアナークに、今度ばかりははっきりと同情の念を抱く。
俺が全く同じことをアワンにされて、笑顔で許せる自信がない。たぶん一日くらいは怒りでまともに喋れないと思う。
とはいえ、拘束系に特化しているという情報は聞き逃せない。アワンの対策は、俺の中で最優先事項だったからだ。しかし――。
「あなたの娘さんの優秀さはよくわかりましたが、だからこそあまり長期間ここを離れるのは不味いのでは? アナーク殿はこの最重要拠点の隊長を預かる身。世界的防衛に損失を出すのは私の本意ではありません」
ここの防衛に関しては、複数の国家が絡んだ問題だ。
現にここにいる兵士は、周辺国家からエリート中のエリートが集っている。
人類側の防衛ライン、大陸横断線の守護者。そんな重要拠点の隊長を引き抜くには、それはもう様々な条件をクリアし、複数の権利関係の網を搔い潜っていく必要があるはず。考えただけで頭が痛い。少なくとも決して、ポンと気軽に人に渡していいような人材ではない。
そして仮にそれら条件を全てクリアした上で渡されてもだ、俺にそんな責任は持てない。
もしアナークが死んだら、一体誰がこの責任を取るというのか。
「そんなの責任取れるわけねえだろ! ふざけんなよ! 出張の疲れが頭にきてんじゃねえか!?」と叫びたいところを、丁重にお断りする。
しかし俺の抵抗などなんのその。世界最強の女は物怖じもしない。
「勘違いしているようですが、アナークは私直属の特別部隊の部隊長です。彼女に拠点防衛の経験を積ませるために、便宜上与えたものに過ぎません。ここに国家間の意志や権利は介入していないのです。この子は私の一存で、すぐにでもこの立場から降ろすことができます」
「っ!」
この場所に来た時の、最初の邂逅を思い出す。
隊長と呼ばれたアナークが一兵士の後ろに立っていたのは、確かにおかしいと思った。しかしそれは誰がこの拠点の重要人物か悟らせないようにするための措置だと、勝手に納得していたのだが――。
(あっちの方が偉いのかよ!)
最初に話しかけてきた壮年の兵士。
特別部隊とはいえ、一部隊の隊長に過ぎないアナークより上という事は、彼も隊を率いる身であることは勿論のこと、かなりの高官だと予測できる。
邂逅の場面で見事な整列を見せていた兵士たち、そして裏で迎撃の準備をしていた兵士たちが全て彼の部下だとすれば、少なくとも中隊長、大隊長クラス。下手をすれば連隊長であるという可能性も考えられる。
あの男が俺たちを部屋まで案内し、さらに緊急時迎えにも来たことから、ただの下っ端だと思っていた。まさかそこまで偉い人間だったとは。
(すまん)
心の中でおっさん兵士に詫びる。この時ばかりは本気で申し訳ないと思った。失礼なのは俺の方だった。
礼を尽くすべき人間に対し、位の高い人間を充ててご機嫌を窺うのはよくあることだが、まさか没落した王家の人間にそこまで配慮しているとも思わない。
見た感じだとまだ40代ほどだろう。若いが、だからといって軽んじれるはずが無い。むしろ逆だ。あの若さで既にこの立場は、優秀過ぎる人材だ。思い返すとやっぱり俺と、ついでにアワンは滅茶苦茶失礼だった。あのおっさんは普通にキレていい。
「……権利的に問題ないとしても、戦力的に問題なのでは?」
絶対に論破できると確信していた材料が一蹴されたことで、逃げ道がなくなる。というよりも、自分から道を狭めてしまった感じだった。この言い分も、苦しいと自分で分かってしまうのだから。
「戦力的というのがここの戦力のことを指しているのであれば、全く問題ありませんよ。これはアナークの力量を低く見積もっているわけではありませんが、はっきり言って誤差です」
まあ、そうだろうな。
こんな化け物が横にいれば俺だって誤差だ。
「本当に亡き魔王が関係しているとしたら、現存している勇者の血を引く人間がその現場に立ち会うことには大きな意味がありますし、先も言ったように彼女のこともあります。あなたにデメリットはないのでは?」
確かに、エバの指示の元アナークが同行してくれれば、様々な場面で利がある。
戦闘一つとっても、例えば建築物を破壊したり、果ては重要文化財を破壊したりしても、責任を個人で追う必要がない。彼女を同行させろとは、そういう提案だ。このエバ・アリエスが行動を保証すると。俺個人の戦いを正義の戦いとすると。
それに最も大きいのがアワンの安全。彼女の能力が十分だと確認できれば、悪くない提案な気がした。本人の意思を度外視すれば、だが。
「能力の確認を。試しに、私の行動を阻害してみてくれますか?」
現在のアワンを拘束できても意味がない。
俺の腕力を完全に封じ込められるくらいでないと、連れて行くには不足だ。
エバの目配せで、アナークが動き出す。
「<
詠唱が聞こえた瞬間、目に見えない束縛感が全身にかかる。
まるで見えない鎖に巻かれて、全身を拘束されたように。
俺は肉体能力だけで、動こうとする。
具体的には両手を動かし、己の首を絞めようとした。
「えっ!?」
両腕が首元を目指して動き出した瞬間、悲鳴のような声があがる。
俺の肉体は鎖に縛られたような抵抗感を見せたが、それでも動きはする。普段の動きからすれば欠伸の出るような遅さだが、全く動かないという事はなかった。
驚愕の声をあげたアナークは、すぐさま次なる詠唱を繰り出した。
「<
比較的スムーズに動いていた両腕が、鈍重なものへと化す。
体感としては、一気に変わった。先ほどよりもさらに動きが取りづらい。
なおも動かそうとした腕は、ほんの数センチほどしか動かなかった。ここから首まで到達させるには、きっと数十秒はかかることだろう。辿り着いたとしても、首を絞めれるのかどうかも分からない。
ただ分かることは、肉体能力だけでこの拘束を完全に解くのは、非常に難しそうだということ。
「……ありがとうございます」
俺の合図で、束縛感は完全に消え去る。
解除も任意で行えるようだ。
俺を見て歯噛みしているアナークと、そんな娘を見てニコニコと微笑んでいる親子を視界から追い出しながら、俺は先ほどの感覚を振り返って値踏みする。
これは、特化型というのは嘘ではない。このレベル差を考えれば、信じがたい練度だ。
(俺が完全な魔術師とはいえ……)
俺の身体能力は同レベル帯の、それも本職の戦士と比べても決して見劣りしない。つまり彼女は、40レベル帯の前衛をも数十秒は行動不能にできるということ。
精神支配されたアワンの肉体能力は俺を越えてはいなかった。同等と仮定しても、数十秒も動きを止められればその間に俺がなんとかできる。
遠隔でアワンの身体を使って魔術を発動できるのなら、あの時そうしなかった理由がないし、その当のアワンは魔術師ではない。
対Aにはこれ以上にないほど有用な力。
威力はもちろん、射程距離と発動速度も申し分ない。
(これは……使えるな)
「お気に召したようですね」
娘を戦地に送るというのに、何が嬉しいのか。考えの読めない女だ。
などと思っていたら、俺に対してニコニコと微笑んでいた女が、急に表情を変える。
それは思わず唾を飲み込んでしまいそうなほどの、急激な変化だった。
「アナーク」
「はい」
母親と娘が、向かい合う。
身長も同じくらいで、年齢もそう違って見えない。一見すれば姉妹のような二人。しかし、その表情は確かに、母と娘の姿だ。
そこに笑みはなかった。あるのは張り詰めたような緊張だけ。
「あなたの役割の重要性は理解しましたね? 命を賭して、己が役目を全うしなさい」
些か性急すぎないか、と確かに思った。
しかし同時に、茶化せるような空気ではなかった。俺が入ってはいけない、入りたくないような空間が、眼前に展開される。
そしてその時ばかりは、この女が世界を救った勇者の一人なのだと、納得せざるを得なかった。それだけの確かな威厳を、この時の俺は感じた。
だが、それはアナークが納得する理由にはならない。
彼女からしてみれば、よく分からない問題に唐突に巻き込まれ、そして勝手に役割を押し付けられた。まだ14歳の子供が、急激に変化する状況に対応できるはずが無い。そんなにすぐについていけるはずが無い。
だがそれも、俺の見誤りだった。
俺はこの親子を、見誤ってばかり。
勇者の血筋は、気高く、尊く、そして何より、力強かった。
「分かりました。行って参ります」
赤髪が揺れ、同じく赤い瞳が高貴な絢爛を見せる。
彼女こそ、真の中の真とも言える――勇者。
未だ数十年ほどしか受け継がれてはいない俺の血とは異なる、およそ八百年前から脈々と受け継がれてきた――英雄の血。
初代勇者の末裔――アナーク・アリエス。
止まった歴史が今、再び動き出そうとしていた。
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