第7話 騎士の憂鬱 ④
「殿下。俺は男に脱がせられる趣味はありませんけど」
「僕もリリィ以外、脱がせる趣味はない」
アンソニーが嘆息すると、遠くで葉が揺れた。
誰かが駆けていく気配がする。
「追いかけますか?」
「いや、いい。これは餌だから」
フィンがニヤリと口の端を持ち上げる。
「極上の餌を与えておけば、ネズミは食いつきやすいだろう?」
「まあ、そうでしょうね」
アンソニーは立ち上がり、ぼろぼろになったシャツと騎士服を見た。
「服の代金は、殿下持ちですか?」
アンソニーの騎士服は見栄が良いオーダーメイドだ。いい値段がする。
「僕のポケットマネーから出してやる」
そういわれ、アンソニーは胸をなでおろす。
(ヴィーのドレスを来月にしなくてすんだな……)
「じゃあ、水をかぶるので待っててください」
アンソニーは噴水に飛び込んだ。
水も滴るいい男 兼 ニャンデレの出来上がりだ。
フィンはアンソニーを見て、呆れた顔をする。
「なんで飛び込んだ?」
アンソニーはうっとうしそうに長い髪の毛をかきあげて、平然と言う。
「こうすれば、俺がただ池に落ちただけになるでしょう? 俺の騎士服がボロボロだと襲撃と勘違いされますから」
フィンは深いため息をつく。
「お前……馬鹿だね。濡れたお前のそんな姿を見る方が、よっぽど刺激を与えるんだよ」
「そういうものですか?」
「お前は自分のことをよく知れ。全く……だから、僕が受けなんて……」
フィンはぶつぶつと文句を言った。
険しい表情を見て、アンソニーは小さく笑う。
(殿下はリリィ様と同じ背丈なのをコンプレックスに感じていたからな……受けに描かれて、よっぽど嫌だったんだな)
ではフィンが攻めならOKか?と問われたら、それはそれでお断りだ。
アンソニーは水が滴る服を手で絞りながら、フィンに尋ねた。
「ネズミ狩りはいつやるんですか?」
「本が出てからだね。二週間ぐらいかな。今は夜会シーズンだし、みすみすチャンスを逃さないだろう」
「俺が集めた証拠がいよいよ活用できるわけですね」
「まあね。僕とリリィを辱めた報いは受けてもらうよ」
フィンは黒い笑みをもらす。
(……俺はどうでもいいのか?)
そう思ったのは一瞬。まあ、いっかとアンソニーはボロボロの騎士服を着替えることにした。
***
その頃、屋敷では。
ベアトリスがため息をついていた。
(暇だわ……)
公爵家に居た頃は、メイドはいなかった。料理も洗濯も風呂も、着替えも、何もかも自分たちでやっていた。音楽を楽しだり、お茶菓子をつまんだり、ダンスを嗜んだりしたことはない。まき割りする方が楽しかった。爪もとげるし。
(することがないと、アンソニー様のことばかり考えてしまう……)
それはそれで大問題だ。
アンソニーのことを想像するだけで、鼻がむずむずして変幻しそうになるのだから。
ベアトリスはメイドキャップをかぶり、いつ変幻してもよいように、目の下から顎まで隠した布をつけることにした。
これなら、扇子を出す手間が省ける。
ベアトリスは何かできないかと、屋敷を歩いた。
メイドたちとすれ違っても、にこやかに礼をされるだけで不審に思われない。この変装はよかったと安堵していると、不意に視線を感じた。
(猫……?)
真っ白な猫が、ベアトリスを見ていた。
***
(今日はひどい目にあった……)
仕事を終えたアンソニーはため息をついた。騎士服は代えがあり、今朝の出で立ちと替わらない。
ベアトリスのことは気になったが、今朝、使用人たちには彼女が何をしても普通でいろと言ってある。もともとアンソニーの猫好きを見てきた彼らは、当然のようにそれを受け入れた。
「アンソニー様が、やっと、ようやく、ほんとうにやっと! ……迎えられる奥様です。心地よく過ごしてもらいます。えぇ、絶対に逃しません……」
家令は目頭を熱くして、燃えていた。
ということがあるので、ベアトリスを悲しませる出来事はないと思う。しかし、彼女は生い立ちから頑なになっている。なんとかならないものだろうか。
(今朝はうっかり尋問にするときの態度をしてしまったからな……余裕がなさすぎだ)
ベアトリスに焦れて、第一王子の背後についていた婦人を落としたときの方法を使ってしまった。
アメとムチ。苦痛と快楽。それを交互に与えながら、しぐさ、言葉、目線、声色で落としていくやりかただ。古典的だが、女性は薬よりもこの方がよく効く。
そして、声に魔力をまぜて、ささやくと相手は従順になる。
あの時ほど苛烈なやり方ではないが、異性慣れしていないベアトリスは、アンソニーの思惑通りに最後には素直になった。
だが、好ましいやり方ではない。できれば彼女自ら、アンソニーを慕うように仕向けたい。
(加減が難しいな……ヴィーを見ると理性が飛ぶ)
また嘆息して、屋敷に入ったときだった。
とある光景を見て、アンソニーは雷を打たれたような衝撃を受けた。
(嘘だろ……)
アンソニーは手で口元をおさえ、小刻みに体を震わせる。
「ふふっ。本当に可愛いわ」
「ごろごろ」
スティラがベアトリスに抱かれて首にすり寄っている。スティラはアンソニーには決して見せないなついた視線を送り、喉まで鳴らしていそうだ。
「ひゃっ……くすぐったいわ……」
スティラは頭をぐりぐりと押し付けられ、ベアトリスは声をだした。
彼女の顔は布が覆っているが、ピンっと張ったヒゲが布を押し上げている。スカートも尻尾でもちあがり、メイドキャップはもぞもぞなにかが動いている。
「ダメよ。わたくし、そこは弱いの。ごめんなさいね」
うっとりと見つめあうふたりにアンソニーは胸苦しさを覚え、理性は崩壊寸前だ。
「にゃんっ」
「あっ」
(なっ……?!)
トドメと言わんばかりに、スティラがベアトリスのメイドキャップをとってしまった。
ベアトリスの頭には黒い猫耳がぴょこんと立っている。
「おいたはダメよ。返してっ」
「にゃあっ」
「もぉ……」
ベアトリスは黄金の目を細めて、頬を膨らませた。
アンソニーはあまりの光景に、薄く口を開く。
(愛猫と猫耳妻がじゃれ合っている……俺を尊死させるつもりか?)
今すぐ間に入って両方の花を存分に愛でたい。だが、そうすると尊い光景も見れなくなるわけで。
(くそっ……俺はどうすればいいんだ!)
アンソニーは頭を抱えて、一時間ほどその場に留まっていた。その間に、ベアトリスはスティラからメイドキャップを取り上げ、被りなおす。
結局、アンソニーは我慢できずにふたりの間に割り込んだ。スティラから盛大な猫パンチを送られ、ベアトリスには恥じらわれてしまい、口を聞いてもらえなくなってしまった。
ふたりにフラれて、部屋にもどったアンソニーは憂鬱だった。
(愛しいものが二つある生活というのは危険すぎるものなんだな……)
深く息を吐いて、アンソニーは決意した。
(明日は仕事が休みだ。教会へ行こう。仕立て屋にいき、ヴィーのドレスを注文しよう)
結婚すれば彼女は逃げ場を失うし、ドレス姿も見てみたい。できれば、メイドキャップも口元の布もない状態で。
(早くヴィーの本当の姿を見たいな……)
だが、ちらっと見えた猫耳姿であんなに可愛いのに、全部見たら意識を失うかもしれない。
でも、見たい。
アンソニーは口元を抑えて苦悶する。
(ヴィーの真実の姿を見て、俺は耐えられるのだろうか……)
悶々と考えすぎて、アンソニーは眠るのを忘れた。
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ニャンデレ! ~猫好き騎士は、妻が可愛すぎて憂鬱になる りすこ @risuko777
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