第6話 騎士の憂鬱 ③
フィンの執務室で護衛の仕事をしながらも、アンソニーの頭は今朝のベアトリスのやりとりでいっぱいだった。
(あんなに必死に隠して、ヴィーは可愛いな)
そう。アンソニーはベアトリスの秘密に気づいていた。彼女の体に変化がでていると気づいたのは、扇子で顔を隠していたときだ。白くピンとしたヒゲがはみ出ていた。
それでピンときた。あのヒゲは猫特有のものだ。猫のヒゲは犬に比べたら感情豊かに動く。
何よりフィンが〝泣いて喜ぶ相手〟と言っていたので、ベアトリスの秘密は推察がつきやすかった。
ベアトリスが部屋に籠った後、すぐに彼女に関する情報を得るために、アンソニーは早馬に乗り、彼女の実家まで行った。
朝に彼女が来てくれてよかった。馬を飛ばせば、夜までにはベアトリスの実家にたどり着ける。
そこでベアトリスの父親と母親に面会して、詳しい事情を聞いて、ベアトリスの悩みを察した。ベアトリスの両親には「絶対、幸せにする」と約束して、一晩泊まった後、また一日かけて帰って来た。3日間、不在の理由は、ベアトリスの実家に挨拶に行っていたからだった。
(早くヴィーの本当の姿を見てみたい。だが、あの警戒するような目も見ていて興奮するんだよな……)
アンソニーが思わず息を吐く。すると、執務室で書類にペンを走らせていたフィンが冷えた声をだした。
「アンソニー。笑顔が気持ち悪い」
「失礼しました。俺の妻が可愛すぎまして」
「泣いて喜んだか?」
「えぇ、とっても」
「なら、さっさと教会に行って婚姻の書類にサインしてきなよ。僕の方で君の結婚は広めておいたから」
フィンはアンソニーを見ず、書類に判を押していく。
「なら、二週間ほど休暇をください」
「却下。なんで?」
「ヴィーと結婚して彼女のすべてを見たら、俺は理性が飛びます」
アンソニーは真顔で答えた。フィンは真顔でアンソニーを見返した。
「却下。お前以外に僕を守りきれる奴はいないんだよ。働け」
「では、一週間では?」
「却下。一日で我慢して」
「……殿下は俺に狂えというんですか」
「先の人生は長いんだ。別に急ぐこともないでしょ」
平然と答えたフィンにそれもそうかと、アンソニーは納得した。この先の人生はベアトリスと共にある。さっさと結婚して、彼女の逃げ場を失わせ、恥じらう彼女をゆっくり剥いていくのもいいかもしれない。彼女はアンソニーにとって、ファム・ファタール。運命の人だから。
それに、アンソニーの推察では、ベアトリスは自分のことを嫌がってはいない。
(ヒゲがピンっとしていたな。しっぽも立っていたし、あれは構ってほしいときの猫の態度そのものだ。くっ……可愛すぎるだろ)
視界の端で捕らえたベアトリスのスカートの持ち上がりかたを思い出して、アンソニーは頬をゆるませた。
「アンソニー。笑うな。吐き気がする」
「失礼しました」
「お前が泣いて喜ぶとは思ったけど、こうもあっさりなんてね……愛しのスティラはいいの?」
冷たい眼差しで言われて、アンソニーはふっと笑って、はめていた黒い手袋を脱いだ。手の甲には、しっかりと爪痕があった。
「嫉妬されて今朝は大変でした」
「嬉しそうに言うことなの? 変態だね」
「どうとでも。スティラと付き合いは長いですからね。彼女は怒りの眼差しをするときが一番、美しい」
「病気だね。病院には行かないでよ? つける薬なんてないんだから」
「分かっていますよ」
アンソニーが口笛を吹く。それを顔をひきつらせながら、フィンは見た。
「ったく。お前はいいよね。僕はリリィに、全然、会えていないのに」
リリィとは、フィンの妻のことだ。
フィンは公務を最小限にするほど、リリィを溺愛していた。
童顔に見られる顔立ちのフィンだったが、リリィの前では、夜の帝王となる。
とんでもなく愛妻家の彼は、妻に会えないとイライラしがちであった。
そして、フィンが忙しいのは、社交界で出回っているボーイとボーイがいちゃいちゃする本のせいだ。あれを取り締まるための策にフィンは奔走し、アンソニーは裏付けとなる証拠を集めていた。
「休憩する。アンソニー、付いてこい」
「御意」
フィンが歩きだすと、執務机の上に積まれた本がズザザザッっと落ちた。雪崩れを起こしたように落ちて、アンソニーが両肩をすくめる。本を拾い上げながら、アンソニーはフィンに言う。
「部屋、片付けたらどうですか?」
「却下。どこにあるのかは僕が把握してるからいいんだ。それに、自分の持ち物を他人に触られるのは気持ち悪い」
アンソニーは雪崩れが起きないように本を積み上げた。
(神経質なお方だ……まあ、毒入りの本とかあったから、無理もないか)
フィンが王太子となってから、彼が暗殺されることはなくなった。
その代わり、控えめなリリィに対して、ねちっこい嫌がらせが続いている。
(御子が産まれないことをとやかく言う手紙が、リリィ様宛てに来ているしな……ったく、お二人のことなんだから、そっとしておけばよいものを)
一部の貴族の間で、リリィに対する風当たりは冷たい。
そんなことをしたら、フィンの怒りをかうだけだと分からないのだろうか。
分からないから、やるのだろうが。
(殿下は法の改正案を出しているし、こそこそ嫌がらせをしているネズミは社会的に死ぬだろうな)
アンソニーにとっても、リリィがとやかく言われるのは不快だ。
フィンが相手を殺せというなら、喜んで剣を持つ。
今回は血を流すことなく、フィンは場をおさめようとしているらしいが、何をする気なのかは不明だった。
(まあ、殿下が何をするにしても、俺は付いていくだけだがな)
そう考えを巡らせながら、フィンに後をついていく。
フィンは中庭に出た。
ここは王族しか立ち入れないプライベート空間。噴水があり、ここでしかない薔薇の花が咲き乱れている。
(散歩なんて珍しいな……最近は気持ち悪い視線を感じるからって、出歩かなかったのに……)
訝しげに思っていると、フィンが立ち止まる。
「アンソニー。そこに座って」
草の上を指定されて、アンソニーは座った。フィンは首まできっちりしまったアンソニーの上着に手をかけると、がばっと脱がせた。あまりの勢いよく脱がせたので、服のボタンが飛んでいく。
アンソニーは目を据わらせた。フィンの目も据わっている。
「殿下?」
「いーから、黙ってろ」
フィンはあらわになったアンソニーの白いシャツをぶちぶちっとボタンを飛ばしながら剥いた。鍛え上げられたアンソニーの逞しい体が、太陽の下に晒される。
アンソニーが見上げると、城内にいた何人かが窓越しに、二人の様子を凝視していた。んまあ!と言いかねない顔で。
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