朝露

 それから、五年の時が過ぎた。

 

早瀬実果

「ありがとうございましたー! ただいまお送りした曲は、『Dayflower』と『ちゃんと笑えてるかな』でしたー!」

 地面が割れるほど大きな歓声と、万雷の拍手が降ってくる。ステージから周りを見渡すと、果てがないほど人と光の海が広がっていた。

 これだけの人が、わたしたちの歌を聴いてくれているんだ……。その事実はいくら実感してもしきれない。何度でも胸がいっぱいになる。

 朱里は前でMCをしている。高校生のときとは別人のように堂々とした姿だった。その背中を見ると、いつも遠くへ行ってしまいそうに感じてしまう。

 いや、もうすでにわたしたちは、こんな遠いところまで来てしまったんだ。

「……というわけで、次が最後の曲になります。最後はHamicaのギターと一緒に歌おうと思います」

 朱里がこちらを振り向いて、目が合った。

 わたしはアコギを持って、朱里の隣へと歩いて行った。

 段違いに強いスポットライトを浴びた。セッティングをしながら、隣に立つ朱里を見やる。

 そこにはもう、自分の歌に無頓着で、自己肯定感が低い臆病な少女はいなかった。

 あのときより五年を経て少し大人びた、誇り高きアーティストがいた。

 

高宮朱里

 大勢の観客を前にすると、毎回少し足がすくむ。大きな期待を感じて、反射的に逃げ出してしまいそうになる。

 でも大丈夫だ。私はもう、あの日を境に少しずつ変わっていった。私は、私の歌が大好きだと、胸を張って言えるようになった。

 それに、隣には実果がいる。

 隣にいる実果の方を向いた。そこにはもう、欲望にのまれて自分を見失っていた少女はいなかった。

 自分の進むべき道をまっすぐに見つめる、誉れ高い姿が見えた。


早瀬実果

「こんにちは、露草の作詞作曲担当をしています、Hamicaです。わたしからも少し、挨拶をさせてください。改めまして、今日は露草のライブに来てくれてありがとうございます。みんながわたしたちの歌を聴いてくれるおかげで、今も音楽を続けられています。本当にありがとう」

 わたしたちは今、きらびやかなステージに立って、たくさんの人たちの前で感謝を伝えられている。あのとき、そのままわたしが大事なものを見失い続けていたら。別れを告げられたとき、そのまま終わっていたら。朱里がもう一度やり直そうと言ってくれなかったら。あれから、たくさんあった嫌な出来事に心が折れていたら。

 この景色は、見ることができなかった。

 ……あぁ、本当に、ここまで頑張ってきてよかったな。

 わたしたちは、夢をこの手でつかんだんだ。

「わたしたちのユニット名である『露草』ですが……これはわたしが考えたもので、花言葉が由来になっています。露草の花言葉は、『尊敬』『なつかしい関係』です。お互いへのリスペクトと、高校生のとき、数年ぶりに再会したときの気持ちから名付けました」

 朱里は「そうだったんだ!」みたいな顔でこっちを見ている。いや、自分で調べたりしなかったんだ……呆れて少し笑ってしまう。

「みなさんのおかげで、わたしたちはなつかしい青春の思い出で終わることなく、今も一緒に音楽をやり続けられています」

 なつかしいと感じる暇もなかった。あのときの延長線上に、今のわたしたちはいるから。

「わたしたちの歌が、これからもあなたに届き続けてほしいと思います。……それでは聴いてください。『朝露』」

 あの日、きらめく朝日を浴びて歌った、思い出の曲。

 朝露のように、儚く消えてしまいそうだったわたしたちの関係をつなぎとめた、再出発の曲。


高宮朱里

 実果がギターを弾く。私が歌う。朝日のようなスポットライトが私たちを照らす。客席の光がきらきらと輝く。

 これだけ多くの人がいるのに、二人だけで歌っているようだった。

 この空間が、私たちの歌で満たされていく。

 君だけにこの曲が届けばいい。

 君のためだけに歌えればいい。

 やっぱり今でも、そう思い続けているのかもしれない。

 だから私たちは、これまでも、これからも、何度でもやり直せる。

 空白を、静寂を、音で埋めるように。

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朝露 ひつゆ @hitsuyu

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