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黒井しろくま
第一冊 私のファン
「ここであってる…よね?」
とろろは担当編集から送られてきた地図を頼りに、レーベル主催の新人賞受賞記念パーティーの会場の目の前に来ていた。
「とろろ先生。来てくださったんですね、どうぞこちらです」
時間を見計らった様にホテルからでてきた担当編集である中川つゆりに手を引かれ会場へと案内される。
「時間になったら編集長からお話があるので、あとは自由に飲んで食べてください。また後で来ますね」
どうしよう…私こんな所に一人で…皆キラキラしてるし私なんかがいていいのかな。
うろうろしていると不自然に思われるよね、私は雑踏の一人なんだ。
とろろは自分にそう言い聞かせ目の前のテーブルにあったローストビーフを数切れ皿に盛り、バルサミコ酢ソースを一回ししてほおばる。
「ん…!これ…おいしい」
根暗で引きこもり気味のとろろはスーパーに行くこともできていなく、普段はAmazonで買いだめしたカップ麺ばかりを食べていた。
皿に盛っていた分を食べきり、次はどれを食べようかと悩んでいると会場の照明が消え、壇上にのみ光が当たる。
「この度はアルトレーベル主催の新人賞受賞記念パーティーにご参加いただきありがとうございます」
そういえば私、レーベルの社長さんみるの初めてかも。
某最速の公式サイト開ける人に似てるかも…。
「堅苦しい話は抜きにして早速受賞者の方にお話をいただきましょう」
社長は手に持っていたマイクを受賞者に渡す。
新人賞っていうからもっと若い人ばっかりだと思っていたけど私より全然年上の人もいるんだ。
佳作受賞者から順にP.Nと作品名、意気込みが語られ最後に最優秀賞を受賞した女の子がマイクを手にする。
「涼風栞です。受賞作品は『シノビズム』。今この会場にいる誰にも負けるつもりはありません、私が一番になります」
涼風栞ちゃんか。
見た目は高校生って言っても疑わないし、真面目そう…ちょっと苦手かも。
以降社長からの簡単な言葉と共にパーティー再び開催された。
とろろは何事もなかったように、食事を再開し杏仁豆腐を口に運んでいた。
「あの!」
「ごふっ…!え…はい…ごめんなさい」
「涼風栞です。突然お声がけして申し訳ございません、先生のお名前聞かせていただいてもいいですか?」
「あ…えと…とろろです…」
栞は名前を聞くとメモ帳を取り出しペラペラとめくり始める。
「波動転生の先生だったんですね!よければサインいただいてもいいですか?」
栞は大きなカバンから『波動転生』の一巻を取り出し、まるでラブレターを渡すかの様に本を差し出す。
とろろは戸惑いながら表紙にサインを書き、栞に戻す。
「ありがとうございます!」
「さ…最優秀賞なんて凄いね。が…頑張ってね」
涼風栞ちゃん、真面目で怖そうな子だと思ってたけど笑った顔小動物みたいで可愛いな…。
「はい!でもとろろ先生にも負ける気はありません!では失礼します」
「とろろ先生、よく対応できましたね。栞先生ずっと、とろろ先生の事探していたんですよ」
「つ…つゆりさん」
「あのリュックの中過去にとろろ先生が書き上げた作品全部入ってるみたいで」
「だ…大ファン!わ…私にファン…アンチじゃなくてファン…!」
とろろは目を輝かせ、”ファン”という言葉を何度もかみしめる。
「担当も私なのでこれから顔合わせる機会増えるかもですね。頑張らなきゃですよ、とろろ先輩」
そこから数日間、とろろは何度もファンという言葉を思い出しては口角を緩め、部屋で一人ニヤニヤしていた。
―—ピンポーン。
「Amazonかな」
とろろは執筆を止めて玄関先に向かう。
「初めまして、隣に引っ越してきた涼風と申します…ってとろろ先生!?」
首元ダルダルの部屋着に高校生時代のジャージのズボン姿で出てしまい、脳内がフリーズする。
「あ…とろろです…栞ちゃん久しぶり…」
「まさか憧れの先生がお隣なんて…!授賞式では言えなかったんですけど、私、先生のファンなんです!」
「私、顔出ししてないけど…なんでわかったの…?」
「編集さんが教えてくれました。白っぽい髪に根暗で猫背って!」
うぅ…私そんな風に思われてたんだ…間違ってないけど。
「あの…!今度先生のお部屋にお邪魔させていただくことって…」
「うぇっ…!私の部屋…!?」
やばい…カップ麺の段ボールだらけの部屋なんて見せられない…。
「急に迷惑でしたよね…ファンじゃなくて一人の作家として気になって」
「今度なら…」
「本当ですか!じゃあお邪魔させていただける時に連絡ください!」
栞はポケットからメモ帳を取り出し、LINEのIDを書いた紙をとろろに差し出す。
「失礼します」
軍隊の敬礼のようなポーズを取り、栞はとろろの家を後にする。
「あぁぁぁぁ…見栄なんて張らなきゃよかった…でも、あんな子犬みたいな目裏切れない」
自分の行動を嘆きつつ、打ち切りが決まった作品『波動転生』の執筆に戻る。
疲れてきたら脳に糖分を補給するためにラムネやタブレットを口に放り込み、拙い文章で急ピッチで物語を終わりへと導く。
8割ほど完成していた原稿を完成させ、「ありがとね」と呟き保存する。
同じ体制で固まっていた筋肉を開放するように背伸びをする。
気分を変えるためにベランダに向かい、澄み切った空気を体内に取り込む。
一つの物語を不本意な形であれ紡ぎ終え満足感とさみしさが入り混じる。
―—あ…栞ちゃん…私の作品のファンって言ってくれてたけど…なんて言えば…。
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