透明な花を。

鮎田 凪

日々を満たすように。

 波が押し寄せる。僕のつま先にやさしく触れた泡はあるべき場所へ戻る。

 6月の七里ヶ浜は暗く、初心者の写すフィルムのようだ。

「暗いねーシューゲイザーって感じの日だ」

 飄々とした声。隣を見ると、決して高くはない僕と同じくらいの背丈で制服を着た女性が立っていた。

「暗いって?」

「君も、空も」

 彼女は僕と空を順番に指さして言った。

 どこの誰なのか。なぜ話しかけてきたのか。疑問をぶつけようとした瞬間、黒髪がたなびき視界から消えた。

 6月25日。七里ヶ浜の海はひどく濁っていた。



 朝、半分も開かない目で江ノ電に乗り込む。

 海沿いを走る姿が観光客から人気ではあるのだが、僕は庭木がすれすれまで伸びて手を伸ばせば届いてしまいそうな風景が好きでたまらない。

 高校がある七里ヶ浜駅に着くまでの間、一人目をつむる。

 友達と呼べる人も、恋人もいない。学校に行く意味すら無くしそうになっているのが情けない。

 唯一好きだったフィルムカメラも2か月前に何となくやめてしまった。

 駅に着いて高校まで歩く。騒がしい声が鬱陶しい。

 卑屈になりすぎているのは理解している。でも、人をこころの中で呪わないと自分を保てない。そこまで堕ちてしまっているのだ。



 相も変わらず授業は退屈で、気が付いたら昼休みになった。

 居心地の悪い教室から出て廊下から外を眺める。

 海が見えるのとは逆のほう。校舎の特別棟に「彼女」がいた。

 これを逃したら会えない気がした。白い肌と黒髪に惹かれた。柄にもなく足が動き、自動販売機に群がる女子生徒をかき分けて進む。

「あの!」

 音楽室の扉を開き、息を切らしながら呼びかける。

「君はジャズマスターとジャガー、どっちがいいとおもう?」

「え?いや、あったことありますよね」

 話がかみ合わないが、彼女で間違いなかった。

「あれ、音楽とか興味ない感じ?」

「興味あってもギターの種類の話しができる人は少数派だと思いますけど」

「じゃあ君は物知りだ」

 やっと話がかみ合った。求めていた話題ではないが。

「君、目死んでるね」

「失礼ですね僕が先輩だったらどうするんです?」

 この人と話すとなぜか流れを持っていかれる。

「大丈夫、私3年生だから」

「そうですか....」

 おちゃらけたように見える彼女に半分呆れ始めていた。

「チャイム、鳴るよ」

 彼女はいつの間にかドアからひょこっと顔を出していた。

 誰もいない音楽室から逃げるように教室に戻り、もうあまり関わらないでおこうと決めた。

 あの日とは違い、暑く彩度の高い日だった。



 あれから4日がたった。うちの高校の生徒数は他と比べて少ないほうであるはずなのだが、1度も会うことはなかった。

 中庭で食べる購買のパンは日々の癒しで、普段の嫌な声もよいBGMに思える。

「少年、私は決めたよ」

 どう頑張ってもBGMになり得ない声とともに彼女の影で視界が暗くなる。

「何をですか?」

「私は田渕になる。ギターの方の。」

「会話できないんですか」

 コントに思えてきた。

「そうと決まれば行くぞ」

「えっ?」

 彼女は僕の手を引いた。

 校門を出たとき、駅まで小走りで向かっているとき、電車に乗り込んだとき、その華奢な手を振りほどくタイミングはいくらでもあったはずなのに抗えなかった。

 話したくないと思わせる不思議な力が働いているようだった。

「午後の授業、出れなくなったじゃないですか」

「私は選択授業で午後ないからいいの」

「自分勝手な....」

 ペースを崩してくる彼女の話し方はどこか心地よい。

「校則にさ、高校生らしい生活を心がけましょうってあるじゃん」

 その言葉は確かに僕に向けられたものだが、目線は電車の広告に向いていた。

「あれって結局は昔を懐かしむ大人たちのための文言でむかつくからさ、たまに授業さぼるんだー」

「やっぱりあなたも授業あるじゃん」

 ボケとツッコミみたいなやりとりなのにどこか考えさせられる。

 このひとはずっとそうだ。腹の内が知れなくてすこし不思議。



 予想の倍ほどの時間をかけて連れてこられたのは楽器店だった。大型のショッピングモールに入ってるタイプだ。

 ジャズマスターやジャガーがギターの種類であることぐらいしか知らない僕を放置して彼女はギターを物色し始めた。

 ここまで好きになって、目を輝かせられるものがある人生というのはさぞ楽しいのだろう。

「いい買い物をしたなー」

「これ、僕いりました?」

 ほくほく顔でギターを背負う彼女に言ったが誤魔化されてしまった。



「少年は趣味とかないの?」

 帰りに七里ヶ浜によって彼女の新しいギターを抱えながら海を眺めた。

 もうすでにうっすらと満月が姿を現している。

「何をしても誰かのまがいもののような気がして、だから趣味も特技も特にないんです」

 カメラをやめたのも、たまたま見た数年前のフォトエッセイに自分と同じような作風の人が居たからだった。

「見えないものを見ようとした瞬間、それは本物になるんだよ」

 どこかで聞いたような言葉だ。

「真剣に悩めた時点でそれは少年だけのものだ」

 あたたかい。そして、芯のある声だ。

「その焦燥感は海にぶつけろ!」

「うわあぁ!」

 思わず変な声が出た。

 彼女は僕の手を引く。

 着崩された制服のまま、後先も考えずに。

 6月の海はまだ冷たくて、彼女の肌があたたかい。

 僕の中には確かに、懐古的な夏に満ちていた。



 あれから彼女に会うことはなかった。

 3年の教室も、軽音楽部も見に行ったが会うことはできなかった。

 僕はジャガーを買った。


 自分を見つめたかったから。


 忘れたくなかったから。


 6月25日、七里ヶ浜の海は澄み渡っていた。

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