病院の中は空調が効いていて涼しい。教室みたいに効き過ぎもせず、かといって暑いわけでもない。まさに適温だった。売店で2人分のアイスを買って病室へと向かう。7階までエレベーターであっという間だった。プレートの名前を確認して、ノックをする。


「どうぞ」


彼女の声がした。ゆっくりとドアを引くと、ベッドの上に上体を起こした唯の姿があった。頭に巻かれた白い包帯が痛々しい。


「久しぶり」


彼女と喧嘩して以来、本当に久しぶりの対面だったので、なんだか余所余所しくなってしまう。


「遠いところまで、ありがとね」

彼女は申し訳なさそうに言って、ベッド横の椅子を勧めてくれた。

「ほんとよー。ていうかここ、1人部屋なの?贅沢ねぇ」

照れ隠しでついつい毒を吐く。彼女はそんな私を見て、くすくすと笑った。


 佐久間くんが連行されたその日の晩、彼女は意識を取り戻した。あまりにも長い間昏睡状態に陥っていたため、このまま目覚めないかもしれないとまで言われていたのだ。そんな彼女が奇跡を起こした。私はその夜、人生で初めて、嬉しくて泣いた。


 3年生の短い夏休みも終盤に差し掛かり、彼女の容態も安定してきたところをお見舞いに訪れたのだ。


「佐久間くん、どうなっちゃうのかな」

「警察に連れて行かれて、それっきりだよ。少なくとも推薦はパーだろうね」

「捕まっちゃったら退学だよね」

「まあ、それだけ最低なことしたんだからさ、相応の報いを受けるべきだよ」


「……馬鹿だよ、佐久間くん」

と、彼女はポツリと悲しげに呟く。

「たかだか一人の天才を潰すために人生棒に振っちゃうなんて」

「ほんと、大馬鹿野郎よ、あいつ。一発かましてせいせいした」

「それ、怒られなかったの」

「今のところ何も言われてないから……多分」

今頃冷や汗が伝う。それを誤魔化すように話を変えた。

「ていうか、自分で天才って認めてるじゃん」

「もういいのよ、開き直った。私は天才。努力型の天才ね」

「もう、調子いいんだから」


会話が途切れそうになったところで、私はとうとう腹を決めた。彼女に聞きたいことがあったのだ。


「あの日ね、佐久間くんから聞いたんだ。唯、県内の大学の推薦を頑なに譲らなかったって。もっと上の大学、都会の方にも行けたのにって」

「あそこが早く合格決まるからね」

「違うでしょ」

私は彼女の真意を知りたかった。


「ほんとは私のためなんでしょ。私が目指してるのが地元の公立だから。私と一緒にいようって」

「もう葵ったら、自意識過剰」

彼女は破顔する。それから、少し悲しげな顔になって、正解、と呟いた。

「でも、駄目になっちゃった。この手じゃ、推薦入試には間に合わない」

彼女は包帯の巻かれた腕を悲しげに見下ろす。

「大丈夫だよ、唯。まだ他の大学がある。少しレベルの高い大学なら、推薦が間に合うところもあるって」

アイスの蓋を取りながら、担当の先生に聞いたことを伝えた。彼女は手を使えないから、彼女の分まで取ってやる。


「私ね、唯を憎むの、疲れちゃったんだ。だから、もう一緒にいなくても、いいのかもって。こんなこと言える立場じゃないけどさ、自由に、どこへでも行きなよ」


都会の方とか、と笑って言った。それなのに


「いやだ」


彼女は強くそう言った。


「私は、葵に憎まれていたい。愛されていたいの。そんな捻れた感情で繋がってた関係が、とっても心地よかった。だからまだ、この遊びを続けていたい」

「もう、できないよ……それに、唯だってほんとは嫌だったんでしょ?あの日怒ってたじゃん」

「それはそっちが、天才とか才能とか、わざとムカつくようなこと言って煽ってくるからだよ。ただでさえ焦燥感半端なくって追い詰められてたってのにさ。ちょっとは察してよー」


ごめん、とつい呟いた。なんだか立場が逆転している気がする。いや、端からこうだったのかもしれない。彼女は、分かってっていたのかもしれない、なんてことを考えた。


「いいよ、別に」

彼女はからりと言った。それから、あのね、と続ける。


「私の可能性を見出してくれたのは、葵だよ。貴女が美術部に誘ってくれなかったら、私はこの道に進まなかった。今頃絵なんて描いていなかったと思う。総て、葵のおかげ。総て、葵のせい」


だからさ、と小悪魔のような微笑みを浮かべて唯は言った。


「責任、ちゃんと取ってよ」


「……好きにして」

 

 彼女は左手で器用にスプーンを使い、アイスを掬った。彼女の好きな、チョコアイスだ。私は勿論レモンシャーベット。サクサクと軽快な音を立ててシャーベットを掘りながら、最後に気になっていたことを聞いた。

「そういえばあの日、なんで手を振ってたの。あんな喧嘩をした後だったのに」


彼女は少しうーんと考えた。それから、

「条件反射みたいなものだよ」

と言った。


「葵が見えたから、手を振った。ただそれだけ。深い意味なんて何もないよ。私達、ずっとそういうくだらない関係でしょ」


そんなものか。なんだか拍子抜けした。くだらない関係。私が仰々しい名前をあてがっていただけで、所詮はその程度のものなのかも、なんて思いながら、シャーベットを口に含んだ。レモンの香りが鼻を抜ける。爽快な味わいだった。彼女は彼女で、チョコアイスを堪能している。美味しい、と呟いて彼女が花笑みを見せた。彼女は本当に、綺麗に笑う。私は、彼女の笑顔が、好きだ。


 窓の外を見やると、澄んだ青空が広がっていた。蝉の声が窓越しにも聞こえてくる。夏真っ只中。でも、この夏の間に、彼女が筆を持つことは叶わないだろう。素晴らしい才能は痛ましい事件のせいで咲かずじまいだ。でも、いつか彼女の花は咲く。夏が終わり、秋が来て、季節外れの花が咲くかもしれない、秋に咲かなくったって、冬がある。冬が駄目だって、春がある。


 きっと、彼女は咲く。


 彼女のことは相変わらず憎い。憎い、だけどそれ以上に、大切で、愛しい。混じり合う愛憎には、いまだに折り合いをつけられないでいる。だから、矛盾した思いを抱くこともある。


 今年の夏は、貴女の笑顔が咲くなら、それだけでいい。

 どうかずっと、私の隣で、咲き誇っていて――。


 そんな身勝手な願いを、蒼穹に託す――。


【了】





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今年の夏は、貴女が咲かない。 見咲影弥 @shadow128

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