第11話

 そうして本当に始まった浮気ごっこ一日目。

 朝七時四十分時。

 柚子が家まで迎えに来た。

「おっはー」

「うい」

 玄関の前でところで待ち構えていた柚子。合鍵の場所を変えてたのでさすがに侵入はされなかった。

「ふぁあああ。ねむ」

「あくびしてないで、早く行くよ」

 食パンをかじりながら、一緒に駅に向かう。

「もっといつもぎりぎりまで寝てんだけど」

 あと二十分は寝られたぜ。

「ぎりぎりじゃなくていっつも遅刻してるでしょ。みんなが登校するときに、見せつけないと意味ないでしょ」

 そっか。今日から、マジでやんのか。

 昨日、おれは柚子に浮気役を演じるよう命令された。各方面からヘイトを買うこと間違いなし。こんなに憂鬱な登校はない。

「いい? 拓人先輩────じゃなくて川島とは極力遭遇しないように。あくまで噂が広がって、それが川島の耳に入るってのがベストだから」

「おれも修羅場はごめんだ」

 柚子が他の男といちゃついている。そんな情報がやつの耳に入れば。自尊心の高そうなあいつのことだ。柚子をほかの男に渡すまいと動くに違いない。そして、柚子にデートの誘いが来たところを、柚子がぶった切る。そういう手筈だ。

 家から最寄り駅までは、いつも通りの距離感で歩く。電車に乗ってからが勝負だ。池袋までの東上線は、池袋から学校までの山の手線に比べれば、うちの生徒はまだまだ少ないが、それでも少なからずいる。

「いい? あからさまにいちゃつくのはだめ。『え、最近柚子って西谷と仲良くない? 柚子って川島先輩と付き合っているんだよね』ってみんなに思われるくらいがちょうどいいの」

「へいへい」

 まあ、あんまり露骨にやりすぎたら、川島にむしろ浮気だなんやらいちゃもんつけられて、気を引くどころかむしろ願い下げされてしまうかもしれないからな。そうなれば、この計画は失敗。浮気かちょっと仲のいい友達か。判別つかないくらいがいいだろう。なかなか綱渡りだ。

 柚子は道すがら自販機を見つけると、コーヒーを二本買ってきた。

「はい、今日のお礼」

 柚子に渡されたコーヒー缶はやけどしそうなくらい熱かった。でも、あったまる。

「え、サンキュ」

 おれとしては、お尻フリフリのほうが嬉しいんですけどね。

 コーヒーをちびちびやりながら、おれは柚子に素朴な疑問をぶつけてみた。

「てか、そもそもおれでいいのか?」

「え?」

「絶対に交わらないはずの世界線っつうかさ」

 おれと柚子が一緒に歩いていてそれが恋仲と写るやつは、果たして何人いるのか。下世話なおれと優等生の柚子。教室では絶対に話さない二人。

 そう思ってたのに、柚子は首を振った。

「大丈夫だよ。たしかに、高校入ってから教室では全然話してないけどさ。でも、聞くところによると、英二って意外とモテるタイプらしいし。聞くところによると」

「へ?」

 おれが? 

「これはあくまで聞いた話だけどね、顔そこそこいいっていうか可愛いし」

 可愛いってなんだよ。

「子供っぽいところを除けば、性格もね」

 幼稚でわるぅございましたね。

 褒められてんのか、けなされているのか。

「それと、やっぱり優しいし」

 最後、なぜか柚子は照れ気味にそういった。

「そうっすかね」

 ガハハ。いやぁ、やっぱりおれはモテちゃうか。

「あ、でもマニアック好き界隈限定の話だよ?」

「マニアック?」

「ん。マニアック」

 マニアック好きってなんだよ。


 駅に着き、東上線に乗り込む。柚子とは、帰りの電車では、たまに同じになることはある。でも、柚子と高校まで一緒に登校するのはなにげに初めてかもしれない。無論、最寄り駅が同じなんだから、被ってもおかしくはないんだけど、だれかさんが遅刻魔なせいでね。おれだよ。

 朝の通勤時間なので、電車は満員とは言わないでも、結構な乗車率だった。おれと柚子はならんで座席の前に立つ。まあ、今んところたまたま通学中出会ったクラスメイトといった感じ。特段話すことなく、おれたちは車窓の外を見ていた。

 乗って十五分ほどで池袋まで、あと半分。ここまではだれとも遭遇しなかった。それでも、池袋に近づけば

「……うわ」

 うちの制服のやつが乗り込んできた。こちらには、気づいていない。おれはたまたま居合わせただけですよとアピールするために柚子からちょっと距離を取ろうと試みる。すると、柚子もおれのほうに身を寄せてくる。

「……くっ」

 柚子は焦るおれを見て、クスクス笑っている。

「英二、大丈夫? 汗かいてる」

「うっせ」

 さらに、数駅進むと、うちの高校の制服の生徒が目立ってきた。

「……まじで、学校まで一緒に行くつもりなのか?」

「当たり前じゃん」

 決して満員というわけでもないのに、乗り込んできた客に押された風を装って柚子はさらにおれとの距離をつめてきた。肩と肩が触れあう。

「……うっ」

 おれは思わず回避行動を取る。痴漢を疑われまいとするおっさんの気持ちがよくわわかるぜ。おれは、いま、サラリーマンだ。痴漢を恐れる通勤戦士だ。

「……おい」

 ひょいと右に身を引くも、柚子もひっついてくる。

「そこまでしなくても」

「これくらいでなんでもないじゃん」

 おれにとっては大問題。そろそろ周りのうちの高校のやつらの視線が気になりだした。 

「離れないでね」

 なんなんですか。この羞恥プレイ。

『まもなく○○、○○』

 停車を知らせるアナウンス。

『○○、○○』

 電車が停止し、ドアが開いた。乗客が乗ってくる。

「……うっ」

 まずい。

「あれ、北野さん」

 うちのクラスの女子が乗り込んできた。佐藤紫苑。柚子に川島の浮気を直接密告しちゃった、ちょっと鈍感な子。

「あ、おはよー。紫苑ちゃん」

 柚子は普段通り、挨拶を交わそうとする。

「ええっと、西谷くんも一緒なんですね」

「うん、たまたま電車が一緒だったの。たまたま。ね、英二?」

 そういいながら、柚子はさりげなくおれの腕に自分の腕を握った。

「お、おう」

 英二って。いっつも学校じゃ西谷くんって呼ぶくせに。てか、腕を握るな!

 佐藤は柚子とおれの距離が明らかにおかしいことにすぐさま気づいた様子だ。

「あ、あれ? お二人って仲よかったんですか」

「うん、あれ、言ってなかったっけ? 西谷くんと私、同じ中学だったんだ」

「へ、へえ、そうだったんですね。あんまり二人が話してるとこ見たことなかったから」

 ああもうひいちゃってる。佐藤、引いちゃってるぜ。

「じゃあ、学校で……」

 そういいながら、佐藤は徐々に後ずさりをはじめ、雑踏の中へとフェードアウトしていった。混乱している。佐藤、完全に混乱しちゃってるよ。

「おまえ、飛ばしすぎじゃね? 距離近すぎだし」

「これくらいしないと、噂になんないでしょ」

「そこまでしなくても」

 おれがそういったとき、突如電車が右に揺れた。

「きゃっ!」

 バランスを崩した柚子がとっさおれの身体に両腕にしがみついた。半ば抱きつかれたような姿勢になる。

「ご、ごめん」

 それは、まるで付き合いたての初々しいカップル。

 少し大きかった声で、車内にいたうちに高校のやつらから注目が集まる。怪訝な視線。え、あれって北野柚子だよねって。目線がそう言っている気がする。

「気ぃ付けろよ」

「う、うん」

 柚子は、ほんのりと顔を赤く染めていた。

「手」

「あ、うん」

 おれがそういうまで、柚子はなぜか身体にしがみついたままだった。あわてておれから離れる柚子。やっぱり顔が赤い。あ、そっか。演技か。めちゃめちゃ演技上手いな。こいつ。照れ具合といい、顔のほてり具合といい、ほんとのカップルを思わせる。

「……」

 柚子が離れてもまだ車内から視線を感じる。まじで、なんなんですか。この羞恥プレイ。

「おまえ、めちゃめちゃ演技うまいな」

「演技?」

「え、あえて転びそうになったりり、顔赤くしたり」

「あ、え、うん。演技。そ、そうでしょ? 天才でしょ。柚子ちゃん」

 たかだか、数人に見られているだけなのに、すでに精神的にしんどい。学校に行ったら、どうなるのか想像もつかない。


 駅から学校までの道のりは本当に地獄だった。先日の体育大会でもあんだけ注目を集めた柚子と並んで歩いているのだ。手をつないでいるわけではないけど、みんなが思うこと同じだろう。『え、なんでほかの男といるの? てか、あいつだれ』と。視線が痛いね。

「ねえ、英二、それでね、それでね、今日お母さんがね──」

 それなのに、柚子が堂々とおれに話し続けるから、たまったもんじゃない。おれは襲い来る羞恥心に耐え続ける必要があった。

 あらためて柚子の知名度に気づかされる。

 校門にたどり着くと、向こうから三上がやってくるのが見えた。

「よぉ、英二。今日早ぇじゃん。それと……え?」

 三上は目を丸くした。

 そうなりますよね。

「おはよ! 三上君」

 柚子は、あくまでおれといるのが当然と言わんばかりに、普通に挨拶をした。

「お、おう……」

 そして、やつは、「おれ寝ぼけてんのかなぁ。もう一回寝てくっか」と言いながら、踵を返していった。いや、帰んなよ。


 校舎に入ればますます視線を集める。靴箱でクラスの柚子の友達が二人声をかけてきた

「柚子ちゃん、おはよー。……え?」

「おっは。柚子っち。……あれ?」

 この調子だ。

 それに対しても柚子は何事もなかったかのように

「おはよー。桃ちゃん、南ちゃん」

 と笑顔で返した。

「え、なんで西谷と?」

「たまたま途中で会って」

「へ、へえ、そうなんだ」

 たまたま会っても一緒には来ねーよな。

「じゃ、じゃあ、教室で……」 

 二人は逃げるように、その場から離れていった。

「……おい」

「なに」

「大丈夫なの?」

「なにがー?」

「おまえの今後の学校生活」

 おれの学校生活も色々危ぶまれてるけどな!

「なんかすんげー勢いでいろいろ崩れていってる気がするんですけど」

 そういうと、柚子はニコっと不敵な笑みを浮かべた。

「今は、そんなことより復讐かな。結構順調じゃん」

 女ってこえー。


 教室に入ると、すでにさっきの二人が話を持ち込んでいたのか、おれと柚子の登場に、教室は一瞬シーンと、静まりかえった。

 柚子は、おれに

「じゃね」

 と手を振って、自分の席に行った。

 まるでカップルがそうするように。

 おれもクラス中の紳士諸君の視線を集めながら、自分の席に向かう。こいつらの視線はゴシップ好きなマスコミのそれではない。獣の目だ。しかし、紳士諸君はまだ出方をうかがっている様子。

 とにかく、クラスのみんなは少なからず、違和感を感じ取っただろう。

 そして、その違和感は徐々にはっきりとなっていく。

「ね、ね、英二」

「……うっ」

「今日ね、お母さんがさ、また英二の夕食作ってあげるって」

 やつは授業と授業の五分休みにすら、おれの元にわざわざやってきて声をかけてきた。

 顔をしかめるおれに、柚子は、小声で「そんなに露骨に嫌そうな顔しちゃ意味ないじゃん」と咎める。べつに周りの席の異性と話すなんてことはザラだけど、柚子とおれの席は、教室の右端と左端でかなり離れている。おれと柚子が中学からの知り合いと知らない大多数のクラスメイトにとっては、なぜ唐突にこの二人が話し始めたのか不可解に映ったに違いない。

 極めつきには、三限が始まる前の五分休み。柚子がまたおれの机にわざわざやってきて堂々と、

「ね、英二、実験室、一緒に行こ」

 なんて言ってきたときには、教室の空気が凍った。

「お、おう」

 おれは柚子に腕を引っ張られて、廊下に出た。とたん、教室のなかがざわつく。

「おーい、いくらなんでも飛ばしすぎじゃね?」

「いいじゃん、やるときは盛大に、だよ」

「……」

「ちっとは、おれの身になってくれ」

「ふふーん、柚子ちゃんに大切なこと秘密にしてた英二くんには、人権がないのです」

「ぐっ……」

 それを言われると弱い。


 さらにさらに、柚子の猛攻は続き、昼休みに、

「柚子ちゃん、ご飯行こー」

「ごめーん、今日英二と約束してるの!」

 と柚子が返したときには、クラスメイト全員が数秒固まった。

 いや、約束してねーよ!

 しかし、そんなこと言えるはずもなく。

「ほら、英二、お弁当持ってきたよ」

「お、おう……」

 なんだ。なんだ。

 ぎらり。

 今度は、教室中からおぞましい視線を感じる。見れば、クラス中の男子が猛獣よろしくおれを狂気の目でにらんでいた。

「行こ、英二!」

 どうなるの、おれ。どうなっちゃうの、おれ。

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お尻ふりふり不倫不倫! @shiromizakana0117

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