第20話 元天使な甥が今日もプロポーズしてくる

「えーっと……あ、分かった! これ、プロポーズの予行練習ね!」

「違う、本番だ」

「え、いや、あはは……冗談でしょう?」

「こういうジョークはだめだと、昔から言っていただろう? だからこれは本気だ」

「え、えと……これ、いつの間に買ったの?」

「今日、レイチェルと別れてから」

「お仕事をしに戻ったんじゃなかったの!?」

「休暇申請をしに戻って、その後は指輪の準備と新しいドレスや靴の注文とかをしてきた」


 フィデルは淡々と、だが丁寧に答えてから、指輪入りの箱を少し前に押しやった。


「子どもの頃から何度も、プロポーズしたよね? それでレイチェルは、『うん、いいよ』って言ってくれただろう?」

「言っ……たっけ?」

「言った。絶対に言った。間違いなく言った」


 たたみかけるように力強く言ってから、フィデルは真剣な青色の目でレイチェルを見つめた。


「子どもの頃の僕は確かに、憧れの延長みたいな感じであなたにプロポーズしたんだろう。……でも十五年前にフランクに嫉妬するくらいには、本気だった。そしてあなたがいなくなり……今は僕と同じ年頃の、それももう『叔母上』ではない女性として再会することができた。僕が十五年間想い続けていたそのままの姿で現れたあなたに、恋をしないはずがないだろう」

「え、えええ……?」


 流れるように口説かれて、やっとレイチェルの頬にじわじわと熱が集まってきた。

 これはどう見ても、冗談ではない。本気だ。


 ……子どもの頃に年上の異性に憧れることは、よくあるという。フィデルも、当初は同じ感じだったのだろう。


 だがたいていの場合、お互い年を取るにつれてその憧れは消えていく。それが本来のあるべき姿なのだろうが、フィデルとレイチェルの場合は違う。


 レイチェルが不在の十五年間フィデルはレイチェルのことを想い続けただけでなく、再会したときのレイチェルは全く年を取っていなくて、自分と同世代になっている。


 二十五歳と三十九歳ではあり得なかったことが、二十五歳と二十四歳だからあり得てしまう。……そういうものなのではないか。


(えええっ……!? で、でもこれって、いいの!?)


 冷や汗だらだらのレイチェルは視線を逸らそうとしたが、フィデルが空いている方の手でレイチェルの頬をそっと押さえ、無理矢理視点を固定してきた。


「目を逸らさないで、僕を見て」

「ひぇっ」

「ねえ、レイチェルの中での僕はまだ、小さな子どものまま? セロリが食べられない、朝一人で起きられない、頼りない子どもにしか思えない?」

「い、いや、さすがにそんなことはないけれど」


 これほどまで凜々しく成長した姿を見て、十歳の頃と同じ扱いをするはずがない。

 なお、先ほどのディナーにセロリが出ていたがフィデルがそれをペロリと平らげているのを、レイチェルはちゃんと見ていた。


「それとも、罪悪感とかがある?」

「……あ、ああー、それはあるわね。なんだかこう、すごくいけないことをしている気分になって……」

「ふうん? ……僕は、いけないことをしているって考えて恥じらうレイチェルの姿、見たいと思うけれど?」

「なっ……!」


 なかなかきわどい発言にレイチェルの頬が爆発しそうなほど熱くなるが、それを言った本人の方は薄く微笑んでいるだけだ。


「法律上のことなら、大丈夫。僕の叔母だったレイチェルは既に亡く、今のあなたはただのレイチェルだ。そもそも血縁上僕たちは結婚できるのだし、何も問題ない。僕たちのことを悪く言う人なんて、誰もいないさ」

「そ、それはそうかもしれないけれど……私の心の問題で……」

「……僕のこと、嫌い?」

「まさか! 好きよ!」


 慌てて言うと、フィデルは笑みを深くした。


「それなら問題ないね。……レイチェル、僕と結婚して僕の家族になって」

「……でも」

「……僕、レイチェルと本当の家族になりたいってずっと思っていたんだ」


 どこか寂しげな口調で言うフィデルを、レイチェルは見つめた。


「僕に優しくしてくれるレイチェルだけど、どこかに行っていなくなってしまっても、他の男に奪われてもおかしくない。どこにも行ってほしくない。ずっとそばにいてほしい。……そう思っていたんだ」

「フィデル……」

「でも、僕はレイチェルを困らせたいわけでも、退路を断って追い詰めたいわけでもない。できるならレイチェルの方から前向きに僕のプロポーズを受けて、笑顔で僕のお嫁さんになってもらいたい」


 だから、と言ってフィデルはそれまで差し出したままだった箱の蓋を閉じ、ポケットに戻した。


「レイチェルが罪悪感を抱くことなく僕のプロポーズを受けてくれるようになるまで、僕は頑張るよ。無理矢理迫って得られる関係なんて、僕はほしくない。……レイチェル、あなたが自ら僕のもとに飛んできて僕のそばにいたいと思ってくれるように、努力する。それだけは、受け入れてほしいんだ」

「フィデル……。……ありがとう、そう言ってくれると助かるわ」


 フィデルの思いやりと遠慮が嬉しくて、レイチェルはほっとして自分の頬に手を当てた。


「あ、あのね、私も決して、あなたと結婚するのがすごく嫌というわけじゃないの。でも……私からするとつい最近まであなたは小さな男の子だったし……お祖父様のこととか、十五年間のこととか、いろいろ考えることもあって」

「うん、そうだよね」

「でも、私だってフィデルと一緒にいたいし……十八歳になるまでの後見人としてじゃなくて、ずっと支えたいと思っている。だから、その……ご検討、お願いします……」


 自分でもだんだんよく分からなくなって変な締め方をしてしまったが、フィデルはくすっと笑った。


「了解だよ。……ああ、だめだな。こうやってあなたを見ていれば見ているほど、どんどん好きになってしまう」

「……あー、じゃあちょっと距離を置きますかね?」

「それはだめだ! ……僕はレイチェルの返事を待つとは言ったけれど、そのための用意は抜かりなくするからね。だからしばらくは、この屋敷で過ごしてもらう」

「本当に、ちゃっかりしているわね」


 レイチェルがくすっと笑うと、フィデルも笑みを深くしてから身をかがめ、レイチェルの髪の房を手に取ってキスを落とした。


「そう、あなたの知っているように僕は、ちゃっかりしていて抜け目のない男なんだ」

「……お手柔らかにね?」

「それはどうかな」

「もうっ! あんまり意地悪をするのなら、子どもの頃におにわほりほりをしていて自分が作った穴に落ちた話を皆にばらすわよ!」

「そ、それはさすがにやめてほしい!」


 ぷんっとむくれてレイチェルが言うと、初めてフィデルは動揺した。セロリなどの苦手は克服できても、子どもの頃の失敗談を出されるのは勘弁してもらいたいようだ。


(……まあ、それはさすがに大人げないから最終手段にするけれど)


 楽しそうに笑いあう二人を、テーブルに飾られた花だけが静かに見守っていた。










 フィデルは、レイチェルの返事を待つと言った。そのことに、レイチェルは安堵し満足していた。


 ……だが、レイチェルは知らない。


 例えば、自分にあてがわれた私室は本来女主人用の部屋であることとか。

 例えば、明日になったら山ほどのドレスが届くこととか。

 例えば、フィデルのおまけで社交界に出てみれば「ああ、あなたが例の、フィデルの大切な女性ですか!」と既に噂になっていることとか。


 彼女は自分がどれほどフィデルに執着されているか、まだ気づいていない。

 だがかといってやられっぱなしでは気が済まないたちの彼女はそのたびにフィデルにやり返し、何だかんだ言いながら最後には彼のプロポーズを受ける。


 そして最終的に、空っぽの棺に刻まれたのと同じ「レイチェル・ロレンソ」と名乗ることになるのだと……まだ、知らなかった。 

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元天使な甥が今日もプロポーズしてくる 瀬尾優梨 @Yuriseo

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