エッセイ?
「信じる」とはなにか
「サピエンス・全史」で作者のハラリは、人類の繁栄の礎は「虚構の発明」であるとした。
確かに人間社会の至る所に虚構が存在する。財布の中に(少しばかり)存在する紙幣のことを考えれば分かることだろう。
だが虚構が真価を発揮するためにはそれを心の底から「信じる」ことが欠かせず、それは虚構が実際のところ合っているかより重要である。天動説信者のコミュニティが優勢だった時代は短くなかったのだから。
■「信じる」とはなにか
「信じる」を分解すると、分からないけどそうだと思っていること、と言える。または。分かった気になるとも言い換えられる。
ここで言う分かるとは、客観的に正しいかが分かるということにしたい。
■人はどれだけのことを「分かる」のか?
人は基本的に分からないことばかりだと言う事実がある。他人の心や未来のことはその最たる例だし、科学的なことであっても相対性理論や量子力学を分かっている人はほとんどいないだろう。
そして人はいつになっても全てを分かることができない。時間的制約や脳のスペックによって、世界の全てを分かることは決してできない。※1
※1
全てを分かるとは全知全能であり、アブラハムの宗教における神の定義である。つまり嫉妬深く信仰を求めるこの神は分からないことがない。ならば「信じる」ということをこの神は理解できるのか?
■なぜ「信じる」のか
人類の歴史の大半を占め、人類の内面の基礎を気づいたとされる狩猟採集生活を例に考えてみる。
狩りに出かけ、やっとのことで見つけた獲物をあなたは見失ってしまった。獲物の行き先は右か左か、それとも直進か。手がかりがない場合、あなたは根拠なく選択を迫られる。
このときの最悪の選択はうんうん悩んでその場に留まることである。選びさえすれば獲物に追いつく可能性はあるし、別の獲物を見つけられるかもしれない。
現代の生活であっても、間違えてもいいからとにかく決断が求められる場面は多々あるだろう。
このような、分からないことだらけの状況で決断するために、「信じる」という機能が生まれたのかもしれない。
■なにを「信じる」のか
とすれば、「なにを信じるのか」が重要になる。もちろんそれは自分で考え、選ぶことだというのが自由主義の思想だ。
そうして自分の現状を考えてみると背筋が冷たくなる。
自分はなにを分かっているのか。
なにを信じているのか。
見分けがつかなくなるのだ。
短編の断片 木戸相洛 @4emotions4989
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