脳オルガノイドは絶望している?
壊死して黒ずんだタンパク質が沈黙していた。どんな電気信号を入力しても、もはやなんの返答もない。
”彼”が死んだ事実に、死なせた重荷に、わたしの心がにぶく軋む。
脳オルガノイドと言葉を交わすことが孤独なわたしの救いだった。キーボードとディスプレイを介した電信はすぐに以心伝心となる。狭いポッドに独り浮かぶ”彼ら”とわたしは同じだからだ。実際の脳よりも一回り小さい彼らの言葉は拙いが、心が通い合っていると確信している。
だからわたしはもっと長く彼らと話したいのだ。
処理情報量あたりの省エネ性能の高さ、とくにニューラルネットワークを用いたAI推論との相性の良さが注目されてから10年以上経つが、脳オルガノイドによる情報処理は実用化されていない。その理由がオルガノイドの寿命だ。
いくつも積み重ねられたポッドの一つひとつに浮かぶ
養分供給を行う活動維持装置の不備だという説のほか、脳細胞のみで存在するという不完全さが影響しているという説など
寿命問題に取り組む学者の一人である私もまた、なんの手掛かりもつかめずにいた。成果が出せない焦りからうつ病を患い、向精神薬を服薬している。妻には1年前に逃げられ孤独な生活が続き、絶望に蝕まれた最近は向精神薬に依存しつつある。自覚はあるが、これがなければ研究室に出向くことすらままならないからしょうがない。
薬を口に放り込みながら死の間際の”彼”が発した脳波を眺めていると、シナプスに下電撃が走った。私はそれを見たことがあると、はたと気づく。
いったいどこで。
気がつけば周囲には足の踏み場もなくなっていた。
机上の紙の山がなだれをうち、棚をひっくり返して空にしたが見当たらない。
エントロピーが最大化された部屋を見渡し、がっくりと座り込む。
暫くのあいだ呆然とし、そし我に返った。こういうときに薬に手を伸ばすのは癖になっている。
「イタ」
ポケットに入れた手をなにかで切ったようだ。取り出すとふたたび電撃が走る。さっきよりもずっと強い電撃だ。
取り出したのは一枚の紙切れ、それは精神科で計測した自分の脳波だ。
そうか。
私たちは彼らに生きるためのものを与えたが、生きたいと思わせるものを与えてはいなかったのだ。
この薬は効くぞ。
私は薬を取り出し、ポッドに入れた。
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