積読屋

 わたしの趣味は本を買うことだ。読むことではないのか、だって? たいがいは買って満足する。趣味は「積読つんどく」と言ってもいい。


 街をぶらぶら歩いているときに、不思議な本屋に出会った。看板に「積読専門店」と書かれている。一体どういうことだ? 非日常のにおいに心を躍らせながら、足を踏み入れた。

 店はコンビニの半分くらいの規模だった。壁や通路にみっちりと書棚が並んでいる。


「いらっしゃい」


 やる気のなさそうな店員の声が響く。お客をほうっておいてくれそうでよかった。

 店内を見回しながらゆっくりと歩く。

 すべての本が面出しされている。おかげで店内は華やかだった。

 聞いたこともないタイトルや、作者名の作品ばかり並んでいる。変わっているのはそれくらいで、あとはありふれた本屋だ。がっかりしたが、気を取り直し、目についた書棚から順番に吟味していった。

 面白そうなタイトルや、うつくしい、あるいは変わったデザインの表紙がいくつもある。どうして本は、自分の家ではなく本屋の書棚に収まっているときの方が魅力的に写るのだろうか。


 ゆるやかに動いていたわたしの視線は、ある本の前で停止した。モノクロの絵が描かれた表紙だ。性別不明の子どもが、瞳をひらいたまま棺桶のなかに横たわっている。頭から糸の生えた子どもは無表情で、流れている血液の温度を感じなかった。人形だろうか。

 気づけばその本を手に取り、ページをめくっていた。いや、めくろうとしたのにできなかった。

 わたしは本を手にレジに向かい、店員に話しかけた。

 店員は五十代半ばくらいの女性だった。彼女はわたしの声に反応し、読んでいた雑誌から気だるそうに顔を上げた。


「この本、ページがめくれないんですけど」

「ここは積読専門店だよ。読めないのは当たり前じゃないか」


 看板に偽りなしということか。読めないとなると読みたくなるのが人間だ。


「別の店で探します」


 すごすごと立ち去ろうとするわたしに、「その本はよそで売ってないよ」店員は間髪入れずに言った。


「ここにある本は全部そうだ。他で読めたら積読専門の本じゃないからね」


 書棚に、聞いたこともないタイトルや作者名の本ばかり並んでいたことを思い出した。


「どうしても読みたければ、あんたが書くしかないね」

「無理ですよ。小説なんて書いたことありません」

「なら読めないね」


 店員のもの言いはそっ気なかった。

 わたしはタイトルと表紙しかない本――中身がないのに本と呼んでもいいのだろうか?――を購入し、帰路についた。


 その夜。枕元に例の本を「積んで」布団に潜り込んだ。くり返し寝返りをうつ。寝つきはいい方なのに今夜は眠れそうもなかった。

 こうなれば、人生初の小説を書くぞ! わたしはパソコンの電源を入れ、ワープロソフトを立ち上げ、思いつく限りの文章を入力した。才能に目覚め、またたく間に文庫本一冊分の小説ができた!……わけもなく、五百文字を書いたところで筆が止まった。


 休憩がてらコーヒーを淹れ、あの本の表紙を眺めることにした。

 枕元に「積んで」あったはずの本が消えている。あわてて畳やパソコンデスクの上を探す。念のため本棚のなかも見た。六畳しかない部屋では、あの本がどこにもないことなんてすぐにわかってしまった。


 一睡もできないまま、次の日「積読専門店」へと足を踏み入れた。

 カウンターにはきのうと同じ、五十代くらいの女性がいた。


「買った本が消えてしまったんです!」


 狼狽しているわたしとは対照的に、店員は落ち着いた様子だった。


「中身を書いたのかい?」

「ほんの少しですが」

「だからだよ」


 当然だと言わんばかりの口調だった。


「中身が存在したら、積読専門の本は消えてしまうのさ」


 そんなことが現実に起きるのか? と思ったはものの、現実に起きているのだから仕方がない。


「最後まで読みたければ、あんたが書くしかないよ」


 この日はなにも買わずに帰路についた。あの小説の中身を一文字でも多く書くために。

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