【ショート】掌編ごった煮~だいたい暗いやつ~

桜野うさ

その男、墓穴を掘る

 午前四時半。


 自殺の名所の森までやって来た。ほどほどに死にたかったからだ。

 僕みたいにカジュアルに死を望む人間は世界にごまんといる。さっきインターネットで検索したらごまんと出てきたから間違いない。


 きのう仕事でミスをした。重要書類をシュレッダーにかけてしまうなんて、新人でもやらないようなひどいミスだ。六年目でこのミスは恥ずかしい。

 入れ替わりの激しいうちの会社では、十年勤務の社員ですら大ベテラン扱いだ。本来僕は、中堅社員としてしっかりとしないといけない立場だった。

 上司には呆れられた。二年前に主任に昇進した同期には気を使われた。普段馬鹿にしている仕事のできない後輩には苦笑いされた。これが一番堪えた。

 うちの会社では六年目の社員なら、一度は昇進しているのが普通だった。僕は平のままだ。頑張っているのに正当な評価をされていない、と、噛みつくことすらできない。別に頑張っていなかったし、実際より自己評価を高く保てる幸せな人間でもなかった。


 仕事が駄目でもプライベートが充実していればいい。だけど僕には最高の友だちも、夢中になれる趣味も、愛する恋人もいない。何もない空っぽで、何者でもない。何者になる予定もなかった。


 敷きっぱなしのベッドに数時間寝そべっていたが、一向に眠れない。枕元にあるスマートフォンを手に取って時間を見ると、午前四時を過ぎていた。

眠るのを諦めてchatter《チャッター》を立ち上げる。みんなが好き勝手にお喋りできる― ― 誰かと、或いは一人で― ― アプリだ。検索すれば、自分の求めている話題を閲覧できる。

 僕は知らない誰かが知らない所で呟いた「死にたい」を求めていた。カジュアルな「死にたい」をわかち合いたかった。

 現実世界の人間と感情をわかち合うのは面倒だ。好きな時にだけ繋がっていられるバーチャルな相手だからこそ気楽なのだ。

 chatter《チャッター》の検索ボックスに「♯死にたい子は繋がろう」と入力し、検索ボタンを押した。求めていた話題が洪水のようにディスプレイに押し寄せる。

 画面をスクロールすると、睡眠薬や自殺マニュアル本の写真をアップロードしている人、リスカしたと書いている人、その他いろんな人が通り過ぎて行った。僕もこのなかのありふれた一人にすぎない。そう思うと虚しくなってアプリを閉じた。


 僕は簡単に死にたくなる。いいなと思っていた女の子に彼氏がいると知った日。友だちだと思っていた人間が陰口を叩いているのに気づいた日。頑張って描いた渾身のイラストを投稿サイトにアップロードしたけど誰も反応をくれなかった日。その

絵を一週間ぶりに見返したらデッサンがひどく歪んでいて、よくこんな下手くそな絵を他人に晒したなと絶望した日。


 僕はスマートフォンを操作し、インターネットブラウザを立ち上げた。検索ボックスに「死にたい」と入力し、検索ボタンを押す。検索結果が現れる。

 一ページ目は厚生労働省のホームページや、カウンセリングルームの広告で埋まっていた。僕は死にたい人間を引き止める「わかってない奴ら」や「金を絞り取ろうとしている奴ら」には興味がなかった。

 十ページ目に行ったところで、自殺の名所をまとめたサイトを見つけた。そのサイトの黒い背景に赤い文字というデザインは、ひと昔前のキを彷彿とさせるチープさだった。

 ほんもののアングラサイトは検索除けを入れてい

るだろうから、簡単に閲覧できるはずがない。ほんものの自殺志願者になれない僕にはの方がよっぽどお似合いだった。


 サイトには名所の名前と紹介文、写真とマップまで掲載されていた。有名な心霊スポットと、まったく聞いたことのない場所が列を成していた。名所の参列に加わっている森に、僕の視線はくぎづけとなった。

 近所の森じゃないか。

 かすかに胸に温もりが宿った。好奇心をくすぐられたのだ。久しぶりに生きて

いる感じがする。その森に行けばなにかが変わってくれるような期待があった。


 僕はベッドから起き上がると、出かける準備をした。


 森の近くを通る時はいつも昼間なので不気味さを感じなかったが、今は夜明け前で辺りに誰もいない上、自殺の名所だと知ったせいで薄気味悪さを覚えてしまう。得体のしれない何かが潜んでそうで背中がぞくぞくした。

 おととい大雨が降ったため、地面はぬかるんでいた。湿った土のにおいと、名前も知らない植物たちが腐りかけているにおいが混じったものが、鼻の奥から脳へと突き刺さった。もしかすると別のにおいも混じっているかもしれない。


 ざっ、ざりっ。


 おっかなびっくり足を進める。足元は暗くてよく見えない。何かを踏むたびに心臓がはねた。


 ざっ、ざくっ。


 十五分ほど歩いたころ、僕の足音ではないものが、一定のリズムを保って響いているのを耳にした。誰かいるのか。僕は辺りを見回した。

 十分もしないうちに、音の主がわかった。巨大なシャベルを持った中年男が土を掘り起こしているのを発見したのだ。

 男の掘った穴は、子どもがひとりすっぽりと収まるくらいの大きさをしていた。男はわき目も振らずにシャベルを動かしている。動きに乱れはなかった。定められた単調な動きしかできない工業機械のようにも見えた。かなり集中しているのか、僕

に気づいていない様子だった。

 一体なんのために穴を掘っているのだろうか。まさか死体を埋めようとしているのではないか。

 自殺の名所であればここにはすでにいくつもの死体が埋まっている。ひとつ増えたところで誰も気づかないだろう。― ― さらにひとつ死体が増えたとして、気がつく人間はいるまい。そう思って怖くなった。


 僕は来た道を引き返すことにした。死にたくてここまで来たくせに、いざ命が危うくなると逃げようとするのだから矛盾している。

 ― ― ぱきっ。

 小枝を踏みしめた音が大きく響いた。男にも聞こえたはずだ。

 冷や汗がこめかみから顔の輪郭を伝った。

 男はぴくりとも動揺せず、作業を続けていた。穴を掘ることが人生で一番大切なことだと言わんばかりに愚直な態度だった。

 死体を埋めているのなら物音に敏感になるはずだ。

 僕は思い切って男に話しかけることにした。


「どうして穴を掘っているんですか」


 僕の声に反応して、男ははじめて手を止めた。


「埋まるためさ」


 穴があったら入りたいとはよく言うが、実際に自分用の穴を

掘っている人間ははじめて見た。


「俺はずっと他人様の家を作って飯を食って来た。金が溜まったあとは自分の家も建てた。設計図を何度も練り直し、素材にもこだわったおかげで満足いく家ができたよ」


 誇らしげな声色だ。僕は自分の仕事についてこんな風には語

れない。


「だけどある日気づいちまったんだ。人間は死んでからの方が長い。自分の墓作りにこそ一番力を入れるべきだったんだ」

「じゃあ、今掘っているのは貴方のお墓なんですか」


 男は頷いた。


「自分の墓作りを他人に任せるわけにはいかねぇ。俺の理想は俺しか叶えられねぇからな」


 暗闇のなかでも男の瞳が輝いているのがわかった。


「いつごろ完成予定なんですか」

「さぁな」


 男の返事は素っ気なく聞こえた。


「もう五つも失敗している。そう簡単に理想の墓はできねぇよ」


男はじっと穴を見つめた。ぽっかりとひらいた空洞は、吸い込まれそうな魅力がある。


「物を完成させるのに一番大切なものはなにかわかるか」


 男は僕に問いかけた、考えてみたけど思いつかなかった。


「妥協だ。だが死んでからずっと入る墓に妥協なんかできるわけがねぇ」


 男はまた穴を掘りはじめた。僕はその様を見ていた。

 やがて日の出の時間になった。朝日に照らされて男の姿がはっきりと見て取れた。汗と泥にまみれているのに、美しいと感じた。


 六日後。

 僕はまたあの森へ訪れた。仕事でミスをしたからだ。あの男に会いたくなった。

 中年男はあいかわらず穴を掘っていた。以前とは違う場所でだ。あの穴は失敗したのか。

 黙々と穴を掘り続けている姿は失敗を気にしているようには思えなかった。理想だけを見つめている迷いのない動きだ。


「貴方は凄いですね。やりたいことが明確で」


 男は手を止めると、こちらを見た。


「お前はどうなんだよ」

「僕は何者にもなれそうにありません」

「何者かにならないといけないのか」


 男はこともなげに言った。


「俺はただ、理想の墓に入りたいだけだ」


 こういう人間が何者かになれるのだろう。

 僕は男を見習って、目の前のことに集中することにした。目

の前にあることを愚直にこなすことで、仕事でもミスが劇的に

減った。人生が少し変わりそうな予感がした。


 それから僕は半年間、男の元を訪れた。男が穴を掘る姿を見

て、二、三の他愛もない話をして帰る。男との会合は僕のなか

でお守りの役目を果たしていた。


 ある日男の元に行くと、いつも聞こえる音がやんでいた。不

安に駆られて男の名前を呼ぼうとしたが、呼べなかった。名前

を知らなかったのだ。

 どれだけ探しても男は見つからなかった。理想の墓を作るの

を諦めたのだろうか。いや、あんな男が志半ばで諦めるはずが

ない。

 きっと納得の墓ができたのだろう。それなら男がここに

いないのにも合点が行く。

 墓は、死体が入ってはじめて完成するのだから。

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