第2話

 彼女の家には両親がおらず、残された唯一の存在、祖母だけが彼女のすべてだった。彼女は祖母を敬愛しており、極力、彼女は祖母に対しては笑顔を絶やさずにしていた。そして、そんな態度はおおむね、ほとんどの人に対してもとられていて、彼女は僕の会社においても、人気者といっても差し支えない存在だった。そんな彼女の在り方は、彼女なりの祖母への愛情表現そのものだったと僕は思う。あなたの孫は立派な人間なのだと言わんばかりに、彼女は完璧であり続けた。だから、彼女が自殺したいと僕に相談してきたとき、僕は本当に驚いてしまった。


「ごめんね、私、自殺してもいいかなあ」


 彼女が僕の目をまっすぐ見てそう言ったとき、僕は文字通り言葉を失ってしまった。そして、しばらくしてやっと僕が口にできた言葉が、うん、という情けない言葉だけだった。

 当たり前のことながら、本音を言うならば僕だって彼女には生きていてほしいと思った。それでも、彼女が口にした言葉が冗談や現実逃避のものではなく、心からの願いだと直感的に気づいてしまったことで、僕はそんな僕の本音を隠すことしか出来なかった。きっと、僕がここで止めようものなら、彼女はきっともっと辛い人生を歩むことになると、僕には痛いほどわかっていた。だから、彼女の馬鹿な願いすら、肯定することしか出来なかった。

 だが、そんな僕の心中を知らない彼女は、僕が了承したことで、笑っていた顔を少しずつ引き攣らせて、泣き出してしまった。それから、続けざまにありがとう、と繰り返した。僕は結局のところ、彼女のためになれることなんて何一つとしてできなかった。それが、そのまま、この結末を招いたのだろう。だから、僕は最期に、彼女の思いにせめてでも寄り添いたいと思った。彼女が自ら命を終えることを、受け入れることしか出来なかったのだ。

 思えば、それが初めて見た彼女の泣き顔だった。


 僕が彼女のほうを振り向くと、いつの間にか、彼女は身を起こしていた。そして、ぐっと伸びをして大きな欠伸をしている。自殺を考えている素振りなんて見せずに、猫のように彼女は欠伸をする。僕は、彼女につられて一緒に欠伸をした。

 「そうだね、一日が終わってしまうのはやっぱり寂しい」

 それに、明日からは君がいなくなる、と僕は言いかけて言葉を飲み込んだ。そのことを考えるだけでも僕という人間の軸が折れてしまうような気がした。考えるだけでも、こうなのだ。僕はそのことを、絶対に口にできないとも思う。口にしたが最後、僕はきっと、彼女を失うという事実に耐えられなくなるだろう。だから、僕は彼女を肯定することしかできない。

 「あ、でも私、これが最後に見るお日様なんだ」

 カラカラと笑いながら、彼女は僕のほうを向く。そして、僕の表情がよほどひどかったのか、作り笑いをすぐに収めて、僕の額に手を当てた。じんわりと、彼女の体温が広がっていく。そして、手を離したとたんに熱が霧散していった。

 「本当にごめんね。もし辛かったら、もう家に帰ってもいいんだよ。そうしたら、明日も変わらない日が来るんだから」

 「いいよ、ちゃんとやるさ。いまさら逃げたりはしない」

 彼女は自らの命を今晩、終わらせると固く決めている。最期のお願いとして僕に言ってきたことは、祖母が息を引き取るその日まで、彼女の死体を隠すということだった。それが現実的じゃないことくらい、彼女だって僕だって分かっていたけれども。

 「でも、ありがとう。君のことと、お祖母ちゃんに対して、本当に申し訳なく思ってるけど、君に対しては感謝もしてるんだ」

 そんな感謝よりも、もっと長い間、傍に居てほしいと僕は思う。それでも、そんな思考は声帯を震わせることができずゆっくりと僕の身体に沈んでいく。そしてきっと、二度と発することができなくなってしまう。

 「じゃあ、そろそろ帰ろうか。晩御飯、何が食べたい?」

 「君の作ったハンバーグ」

 いままでも、沢山焼いてもらったことがあるハンバーグを指定した僕に、彼女は微笑む。一陣の風が吹いて、彼女の髪が柔らかく揺れ、形を変える。彼女の影が頼りなく、薄明りに立ち上がる。

 「じゃあ、スーパーに寄って帰ろう。あ、これがあれだね。まさに最後の晩餐だ」

 彼女はそう笑ったが、やはり僕は笑えなかった。

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ドッグウォーク・キャットダイ 蓬田雄 @Yomogi_1213

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