後編

「結局、先輩ってアタシのこと、どう思っているんですか」


 その疑問に答える。彼女の幼馴染で、スポーツマンなイケメンの存在によって用意されていた言葉をノートに初めて書きつける。


 書きつけていくにつれて、彼女の瞳が冷たいものに変わっていくことに、僕は気付かなかった。


「……は? あいつへの当てつけ役? 見せつけることで、あいつの気をひくため?」


 声がそれまでとは真逆の冷たいものに変わった。


 ノートに落としていた視線を上げると、彼女の瞳が凍えたものになっていて、彼女の地雷を踏み抜いたことを伝えてくる。


「先輩、マジでそんなことを考えてたんですか?」


 これまで一度も無かった、上から見下ろすように言ってくる。そして、


「マジ、最低っ」


 耳元で蔑まれる。


 そのまま彼女が身をひるがえして、去っていく。


 ――……こんな別れ方は望んでいない。


 また明日になればいつもと同じように明るくからんでくる。そんなことは明らかに僕のわがままで身勝手な願望だ。


 声を出せば、届くか?


 ほとんど使わないこの喉で彼女に届く声を出せるか?


 ああ、ダメだ。心の奥底に沈めたはずの彼女への気持ちも溢れてくる。抑えられない。


 でも、そんなことで悩んだりする猶予はない。


「……!」


 開いた窓から入ってくる電車が走る音が、僕の声にかぶってしまった。


 どうしてこんな時に、と恨めしく思う。


 これで彼女に声が届いていなければ、僕は電車を呪うだろう。録り鉄を止めるだろう。


 でも、彼女の足が止まった。


 いや、教室の扉を開けるために止まっただけだ。その証拠に、彼女の手は扉にかかっている。


 僕の声は届かなかった。


 扉が開けば、彼女の姿は消える。


 僕の心が暗闇に覆われ……。


「待てってなんですか。アタシのこと邪魔なんでしょ」


 彼女が扉に手をかけたまま、振り返った。


「はあ? なんなんですか、今さら。……う、久しぶ……聞け……の声が……な形……、本……最悪(もう、久しぶりに聞けた先輩の声がこんな形なんて、本当に最悪)」


 後半、彼女が呟いていたのは半分以上聞き取れなかったが、気にしない。気にする余裕はない。


 急いで、彼女に伝えたいことをノートに書きつける。


 彼女に見えるように字は大きく。彼女に去られないように早く。


 もしも、ここで何も伝えなければ、彼女が二度と僕の前に姿を現さないことは直感的に分かっている。彼女と過ごす、このひとときが永遠に失われることが。


「……は? 美人で可愛いって、急に何なんですか!?」


 投げやりになっていた彼女の言葉が赤く変わる。顔も赤くなる。怒りではないことに、少し安堵するが、彼女の気が変わらないうちに、さらにまたノートに書きつける。何度も何度も。字がドンドン雑になっていくが、読めるなら問題ない。


「髪も艶やかで綺麗? 肌も白くて綺麗? 目も大きくて可愛い? 胸も大きい? だけど、上のボタンを外して谷間が見えるのはちょっと止めてほしい? って急に何なんですか!? 本当にもう! ちょっと止めてください!」


 彼女が近くまで戻ってきて、ノートが抑えられる。


 けれど、彼女にこの気持ちを伝える手段は他にもある。


 ここまで近ければ、電車が走る音で遮られることはない。


 彼女を好きになってはいけない、と心の奥底に抑え込んでいたこの本当の気持ちを伝えよう。


「だから、君のことを好きになってはいけないと思っていた」


「……え?」


「君の幼馴染の彼には決してかなわないと思っていた。彼と比べると自分が惨めだった。彼の横にいる君は、僕の近くにいる時よりも輝いて見えた。だから、この気持ちを抑え込んできた」


 話すことがほとんどないから、次第に喉が辛くなってきた。声も掠れてきた。


 でも、最後に、これだけは伝えたい。たとえ、嫌われて彼女が二度と目の前に現れなくなることになっても。


「好きだ。君のことが大好きだ」


 彼女の目が見開いた。彼女の瞳に僕は心奪われる。


 ドン


 抱き着かれた。


 それを理解するより前に、勢いで後ろに倒れそうになったから、必死になって踏ん張る。


 何とか踏ん張りに成功して、ホッと安堵しようとしたら、


「……先輩のバカ」


 耳元で甘く囁かれた。これまでにも耳元で甘く囁かれたことはあったが、今回のはひとつもふたつもそれ以上に違う。


 でも、そこに彼女の涙も感じられて、心が痛いと僕に伝えてくる。


「本当にバカ。アタシ、先輩が好きだって、ずっとアピールしていたんですよ。恥ずかしくても我慢して、ずっとずっとず~っとアピールしていたんです。それをあいつへの当てつけと勘違いするなんて、本当の本当の本当に先輩はバカです」


「……ごめん」


 思わず、謝ってしまったが、どうして謝らないといけないか分からない。言われていることは分かる。でも、理解ができない。


 ――彼女は僕のことが好き?

 ――本当に?


 また窓の外から電車の走る音が聞こえる。でも、今回の音に耳を傾ける余裕はない。


 ――本当の本当に?

 ――もしかして、演技じゃないのか? 嘘告じゃないのか?


 この可能性に思い当たると、僕の心は冷えてくる。


 電車の音が遠くなって聞こえなくなる。


 彼女が身体を少し離して、彼女の顔が僕の視界に一杯に映ってくる。


 彼女の表情は茶目っ気たっぷり。でも、顔は真っ赤で、目も少し潤んでいる。


 少し前までのと比べると、より魅力的に、愛おしく見える。僕の冷えたはずの心に熱が入る。


「……先輩、謝りましたね。なら、お詫びとして、今度アタシと一緒にデートしてください。いいですね?」


 僕の心の熱した部分は、首を縦に振ろうとする。


 僕の心の冷たい部分は、首を横に振ろうとする。


 それとは別に、また何か言葉にすると、さっきのように彼女に去られるかもしれない。それは避けたい。


 だから、こう言うしか思い浮かばなかった。


「……デート」


「そう、デートです。……あ、もしかして、先輩、疑っています?」


 僕の顔を見た彼女がズバリ踏み込んできた。


 彼女の問いかけに、僕は首を縦にも横に振ることは出来ない。


 でも、僕の顔を見つめ続ける彼女は僕の心を見抜いてくる。


「疑っていますね。だったら、先輩のためにちゃんと言ってあげます」


 彼女の顔が近づいてくる。そして、耳元で、


「アタシも先輩のことが大好きです」


 囁かれる。


 僕の心の冷たい部分は灼熱によって蒸発した。


 彼女の顔が耳元から離れ、正面に戻る。


「分かりました? 聞こえました?」


 身体の火照りを感じながら、僕は首を縦に動かす。


「ふふっ。もし、聞こえてなかったり、もう一度聞きたくなったら、言ってください。何度でも、囁いてあげます。だけど、その時は先輩もアタシの耳元で囁いてくださいね」


 もう首を縦に振ることしかできない。


「それと……」


 彼女の表情が悪戯っ気に変わる。


「先輩がアタシの胸元を見ているのはずっと前から気が付いていましたよ」


 そう言うと、再び耳元で甘く囁かれる。ついさっきも囁かれた同じセリフなのだが、耳に届いた声音は全く違う。照れが無くなり、本当に甘いその声は、彼女の心が開かれたような……。


 ドキドキが止められない。でも、


「先輩のH」


 これからはドキドキを我慢しなくてもいいかもしれない。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

「録り鉄」の僕は後輩の女の子にからまれてもドキドキしてはいけない C@CO @twicchi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画