「録り鉄」の僕は後輩の女の子にからまれてもドキドキしてはいけない

C@CO

前編

 ガタンゴトン ガタンゴトン


 電車の走行音が聞こえる。


 レールの継ぎ目を車輪が通りすぎるたびに音程が代わり、カーブに入ると車輪とレールの摩擦音が入る。上り坂に入ったのか、加速するためにモーターが唸る音が聞こえ、登り切ったのか、惰行に入るとモーター音は消える。代わりに、鉄橋を渡る音がする。


 ガタンガタン ガタンガタン


 旅情とどこか懐かしささえ感じさせる。


 自分で録ってきたこの音を聞く時間が最高のひととき。心安らぐ癒しのひととき。


 その音が永遠に続く……。


「せ~んぱいっ!」


 音が消えた。後ろから、身に着けていたヘッドホンが外されたせいだ。


 代わりに、彼女の声が聞こえてきた。いつも明るく快活で、綺麗で可愛くて、胸も大きくて魅力的で、そして、どこか距離感がバグっている。


 僕の前に回ってきた彼女との距離は今日も近い。


 いつも、彼女はシャツの一番上のボタンが外しているため、彼女の豊かな胸の谷間と下着がシャツの隙間から時折チラッと見えてしまう。


 そこに視線をやらないようにするのが、相当の苦行。


 他にも苦行がある。


 彼女の香りを嗅いでもドキドキしてはいけない。


 彼女の瞳を見てもドキドキしてはいけない。


 彼女の声を聞いてもドキドキしてはいけない。


 それなのに、彼女はいつも僕にからんでくる。バグった距離感さえなければ、彼女との関係を勘違いすることもないのに……。


 勘違いしないように、自分を戒めなければいけない。


 ――彼女を好きになってはいけない。


 と。


 今日も、彼女に見つからないように、講義に使われていないこの教室に潜んでいた。


 先週は見つからなかったから、大丈夫だろうと考えたのだが、見つかってしまった。


 ……でも、嬉しいと思ってしまう自分もいる。


 今日も苦行の時間が始まる。


 同時に、かけがえのない大切なひとときでもある。


 でも、彼女がこのことに気に留める様子は欠片はない。


 こちらは椅子に座っているから、彼女は少し前かがみになっている。そのせいで……。


「もう! ずっと先輩のこと呼んでいたんですよ! ちゃんと返事をしてください!」


 視線よりも聴覚に注意を向ける。


 かすかな走行音が、外されたヘッドホンから漏れ聞こえてくる。


「大体、何を聞いていたんですか?」


 彼女がヘッドホンを装着したために、走行音は聞こえなくなる。


「……う~ん。電車の走行音? あ! 分かりました。先輩って、録り鉄だったんですね。カメラで写真を撮る『撮り鉄』ではなくて、音を録音する『録り鉄』。 うん? なんで、知っているのかって? それはヒミツです! 知りたければ、アタシとお話ししましょう!」


 最後は、彼女はドヤ顔でのたまう。


 その顔と声は、僕にSッ気を少し湧かせた。だから、わざと横柄にジェスチャーだけで反応を返す。


 ……そういえば、この趣味のことを彼女に知られたのは、今日が初めてだ。


「え? いやだ? ヘッドホンを返せ?」


 彼女の声のテンションが下がる。その瞳も寂しそうに陰る。


 声を聞いて瞳を見ると、少し後悔する。胸が痛む。


「ふ~ん。そんな意地悪な先輩にはヘッドホン没収です!」


 テンションは再び元に戻る。ただし、少し無理やり感がある。


「返してほしければ、こっちまで来てくださ~い」


 足音と共に彼女は僕から遠ざかる。ヘッドホンを人質にする作戦だ。瞳は見えなくなるが、声には悪戯っ気が満載。


 けれど、その行動は想定内。ガサゴソ。


 彼女とはいつもこんな感じのやりとりだ。電車の走行音を聞くのと変わらないくらい、大切なひととき。


 さっきのような僕の塩対応は珍しいことではない。こんなことを繰り返していると、そのうち、ではなく、近いうちに、彼女から愛想をつかされるのは分かっている。でも、塩対応しなくても、僕から彼女が離れていくのは、確定された近くの未来。


 というのも、彼女には本命がいるから。


 小学校の時からの幼馴染。彼女は「あいつ」と呼んでいるが、その時だけ声のニュアンスが少しだけ違う。それが切ない。


 二人のことを知っている僕の周りの人間は、みんな、二人が付き合っていると思っているし、付き合っていないと知っている人も「時間の問題だ」と言う。


 僕もそう思う。とても悲しい。


 だからと言って、二人が本当に恋人同士になる前に割って入るつもりは欠片もない。確実に負ける戦いはやるだけ無駄。


 幼馴染として共有している時間は圧倒的に長い。おまけに、長身でイケメン。頭もよく、成績優秀。身体も筋肉質。スポーツマンらしい爽やかさもある。声も同性の男でも聞きほれてしまうような低音イケボだ。


 どこに勝てる要素がある?


 なにしろ、こちらは、身体はヒョロガリ、スポーツ経験ゼロ。だから、当然、爽やかさもゼロ。顔は童顔だから、ショタ好きの年上女性からは受けがいいかもしれないが、求めていない。


 そして、声が嫌いだ。カウンターテナーとまではいかないが、声が高い。電話越しのような顔を合わせていない声だけだと、高確率で女性と勘違いされる。名前も男性とも女性とも取れるものだから、なおさら。


 なにより、初告白した女性から「もっと低音の声の男が好き」「あなたの高い声が嫌い」と言われたことがトラウマになっている。


 だから、僕は自分の声が嫌いだ。


 極力、声は出さない。出すときは最低限にごく小さく。筆談も使う。むしろ、筆談を使ってやり取りすることの方が多い。


 後輩の彼女は、僕の声を「好き」と言ってくれる。僕らしい優しい声だ、とも言ってくれる。 でも、近い将来離れていく彼女から、そんなことを言われても嬉しくない。逆に、言葉を発したくなくなる。


 ガキっぽいのは十二分に分かっている。それでも、止められない。


 前回、彼女にからまれた時の終わりも「あいつ」が迎えに来たからだった。今日もそうなるだろう。


 ……やっぱり、ガキっぽい行動を止められない。彼女へのこの気持ちを心の奥底に深く深く沈みこませるために。


「あー! 予備のイヤホンを取り出すなんてズルいです!」


 足音とともに彼女が戻ってくる。イヤホンと一緒に取り出したノートに「返せ」と書いて、彼女に向けて掲げる。


「ヘッドホンを返せ? イヤです! こんな意地悪をする先輩には返しません! 代わりに……」


 彼女は自分のスマホを操作して、


「むふふ~。これで、先輩のヘッドホンはアタシの物です!」


と得意げな笑みを浮かべた。可愛い。


 でも、そう宣言すると、有無を言わせずヘッドホンを僕の頭に装着させた。ヘッドホンの接続を僕のスマホから彼女のスマホに切り替えたのだろう。


 その行動は分かったが、意図が分からない。


 音が消える。代わりに、彼女が使っているコスメかシャンプーかからの移り香がする。


 悟られたのか、ヘッドホンが外されてしまう。


「あ! もしかして、先輩、アタシの香り、嗅いでました?」


 彼女がニヤニヤ笑っている。瞳も笑っている。そして、


「先輩の変態」


 近づかれて、耳元で甘く囁かれる。


 こういうところが、本当に彼女の距離感がバグっている。


 彼女の声でドキドキしないように懸命にこらえる。


 と、再びヘッドホンがつけられる。彼女の香りがする。


 そして、彼女は得意げな笑みを浮かべたままスマホを操作すると、


 ガタンゴトン ガタンゴトン


 ヘッドホンから、先程まで聞いていたのとは別の列車の走行音が聞こえてきた。


 音がクリアだ。僕が使っている安い録音機材より良いものを使っているのか、こだわりを持った音作りを感じる。いつまでも聞いていられる。


 電車のモーター音は入っていない。気動車のディーゼルエンジンの唸り声が混じっている。そして、駅が近いのか、


 キンコン キンコン


 ATS(自動列車停止装置)のチャイム音が重なる。ポイント転轍機を通過する衝撃音も加わり……。


 ヘッドホンが外されてしまった。


 外されたヘッドホンからかすかに音が聞こえる。その音をかき消すように、


「どうです! 続きを聞きたいでしょ? 聞きたいなら『どうか続きを聞かせてください』とお願いしましょう」


 彼女が得意げに言うから、ノートに言葉を書きつける。


「え? なぜ、持っているのか? どっかのWebサイトからパクってきた? 違いますよ。オリジナルです。まあ、アタシのではありませんが」


 最後の調子はやさぐれ気味になる。


「大体! 聞いてくださいよ、先輩! この音源、アタシのお父さんのものなんですけど。ひどいんですよ、アタシのお父さん。旅行であちこち連れて行ってくれるのは、百歩譲っていいんですが、電車に乗ったら、『しゃべるな、騒ぐな、音を立てるな』なんですよ。先輩と同じ、アタシのお父さんも録り鉄なので、電車の音以外の音が入らないようにアタシに言うんです。ヒドイと思いません? 今度の連休だって、九州の島原鉄道に行くって言っているんですよ。たまには、アタシを遊園地とかに連れて行ってくれてもいいと思うんです。そう思いません、先輩?」


 立て板に水。息つく間もなく、彼女はまくし立てていたのだが、ここで途切れる。音源の再生が終わったのか、ヘッドホンからかすかに聞こえていた音もいつのまにか無くなっている。


「そうだ、先輩」


 良いことを思いついたと言わんばかりに。


「お父さん、アタシにも一緒に来ないか、って言っているんですが、先輩も一緒に来ません? お父さんとアタシと先輩と3人で行きません? 夜は結構高い温泉旅館に泊まるって言っているんです」


 彼女がゆっくりと後ろに回っていく。


「だから、夜、一緒に温泉に入りましょ。先輩の背中、流してあげます」


 後ろから耳に囁いてくる。とても色っぽく。淫らとも感じられるように。


 ドキドキを懸命に抑える。本当の本当に。


 でも、彼女は言い終ると、後ろから身を乗り出して、僕の顔を覗き込んでくる。その顔は悪戯っ気たっぷりだ。


「って嘘でーす。そんな男女混浴ができるところには泊まりません。期待しました? 期待しました?」


 こちらを煽るように言ってくる。けれど、その早口が彼女の照れを感じさせる。実際、彼女の顔は真っ赤にもなっている。それでも、


「期待していたなら……先輩のH」


 身体を戻して、後ろから、再び耳元に囁いてくる。


 照れるなら、そんなことしなければいいのに、と思う。


 と同時に、こちらは、ドキドキを懸命に抑え込んでいるのに煽ってくるから、苛立ちを覚えたのも事実。だから、


「えーー!! 行かないんですか?」


 煽られていなくても答えは決まっていた。決まりきっている。


「なぜ? なぜです? こんなにアタシが誘っているのに。なぜです?」


 彼女が大声で、しかも耳元で叫ぶから、鼓膜が少し痛い。


 痛さを我慢しながら、ノートに理由をシンプルに書く。


「……お金がない? そんなのお父さんに払わせればいいんです! ……それでも行かない。行けない」


 彼女の声が気落ちしたものになる。そもそも、家族旅行に赤の他人が参加してどうする?


「先輩の堅物。頑固者。折角、こんなにアタシが誘っているのに……」


 不貞腐れて小声でブツブツ呟きながら、正面に戻ってくる。


 と、おもむろに、部屋の開いている窓に向かって、


「お父さんのバカーー!!」


 大声で叫んだ。


 遠くから電車が走る音が聞こえてきた。通っている大学のキャンパスが高台にあるせいで、天気や風向きといった気象条件に左右されるが、時折、離れたところにあるJRの線路を走る電車の音が聞こえてくる。


 その音を気にすることも無く、彼女は「ふぅー」と大きくひとつ息を吐くと、再び、こちらを向いて、


「スッキリしました。それで、先輩。さっきの音源の続き聞きたいですか? 欲しかったら差し上げますよ。でも、『聞かせてください。お願いします』って丁寧に心を込めて言いましょう」


 最後はこちらを挑発するように言うから、返事を淡々とノートに書きつける。


「……え? 要らないんですか? なぜです? ……は? 自分で録音したものしか聞かない?……そんなぁ」


 彼女の言葉から力が抜ける。


「先輩の融通無し。イケず。折角、こんなにアタシが尽くしているのに。たまには先輩の声を聞かせてくれてもいいと思う。アタシにとってはご褒美なのに……」


 そして、不貞腐れるように小声でブツブツ呟いた後、再びさっきと同じ窓の方向を向いて、


「先輩のバカーー!!」


 遠くに向かって大声で叫んだ。


 また遠くの電車の音がする。さっきのは下り線で、今度は上り線。音が聞こえてくる方向が違う。


 でも、これにも彼女は気にすることなく、また「ふぅー」と大きくひとつ息を吐くと、こちらを向いて、爽やかな声で言葉を紡ぐ。


「スッキリしました。それなら、先輩。先輩がさっき聞いていた音源、アタシにも聞かせてください」


 この言葉に、僕は首を傾げる。だから、


「……え? なぜ聞くのかって?」


 今度は胸を張って、


「それはもちろん、聞きたいからです。なにを隠そう、アタシも録り鉄です。乗り鉄でもあります。もちろん、写真を撮る『撮り鉄』ではないですよ。先輩と同じ、音を録音する『録り鉄』です」


 言い切る。


 初めて知った。


「同じ趣味のアタシのお父さんに子供の頃から洗脳された? 調教された? まあ、言葉は悪いですが、間違ってはいないです。お父さんがこれで誤解されても自業自得です」


 最後の言葉には、半分以上自棄が入っている。


 ノートに言葉を書きつける。


「……初めて聞いた? もちろん、初めて言ったからです。大体、簡単に言えるわけないじゃないですか。普通の友達なら、良くて『ふーん』と聞き流されて、最悪、ドン引きされたうえに距離を取られます。縁を切られます」


 そこまで構える必要はあるのか、とも思うが、彼女の言葉には実体験があったかのような感情が込められていた。さらに、


「大体、最近は、写真を撮る『撮り鉄』がマナー違反で世間を騒がせることが多いせいで、こっちまで肩身の狭さを感じているんです。仕方ないじゃないですか。まあ、『撮り鉄』もおっきなガンマイクを持ち込んだり、音を立てた他の人に当たり散らす迷惑の人がいますから、そう変わらないですけどね」


 愚痴を言うように呟く。


 確かに、肩身の狭さを感じることはある。でも、そこは横に置いて、ノートに言葉を書く。


「……自分ならいいのか? 同じ『録り鉄』なんだから、良いじゃないですか。それに、先輩なんだから当然です!」


 最後は先程より強く言い切る。


 なぜ、と思う。だから、ノートに書く。


「は? なぜ? ……え、えっと……もう! なんだっていいじゃないですか!」


 言い淀んだ後、逆切れされる。顔も赤くなっている。なぜ、逆切れしたのか、見当がつかない。


「それよりも、さあ、アタシにも聞かせてください」


 言われても確信が持てない。あえて、こちらに合わせてきている可能性がある。彼女の幼馴染の「あいつ」に見せつけるために。


 先程、窓から聞こえた電車の音に何も反応を示さなかったことも疑いを深める。単純に、聞き慣れて、聞き飽きてしまっただけかもしれないが。


 だから、ノートに書く。


「……え? 本当に、アタシが『録り鉄』かどうか確信できない?」


 呆れた声になる。


「え~。今更、そんなこと言うんですか。ならば、証明してみせましょう」


 彼女が自分のスマホを操作すると、


「自分で録音したものしか聞きたくない、なんて言わないでくださいね」


と言うと、またヘッドホンを装着させられる。


 ♪~


 旅情かきたてるメロディーが聞こえてきた。しかも、これは駅の出発メロディーだ。音質は今さっき彼女から聞かされたのとは違う。それほどクリアではない。でも、この音質は聞き覚えがある。もしかしたら、僕と同じマイクを使っているかもしれない。


 ヘッドホンが外される。


「はい。お分かりですね。JR品川駅の鉄道唱歌の発車メロディーです」


 彼女の顔がドヤ顔になる。声も得意げだ。


「アタシが特に好きなのは、駅のチャイムです。JR山手線の高田馬場駅の鉄腕アトムのテーマは有名ですよね。ネットで拾ったものではないです。証拠写真もありますよ。録音した時に撮ったものです」


 口調が少し早くなる。初めて知る彼女のオタク気質を表しているように聞こえた。


 ここまでされると認めざるを得ない。だから、


「もういい? 十分、分かった? ……ふふん。分かればいいのです」


 彼女が胸を張る。豊かな胸が強調されるから、視線がいかないようにしないといけない。


「では、聞かせてください。……うん? ジャンルが違うから無理する必要はない? そんなことないですよ。走行音も大好きです。まあ、一時はお父さんへの反発から嫌いな時期もありました。けれど、駅のチャイムが好きになって、そこから、やっぱり鉄道が好きな自分を受け入れられるようになったんです」


 彼女がこれまでに越えてきた葛藤が垣間見える。


 同情するべきか、する必要はないか、少し悩んでしまう。


 でも、彼女は気にすることなく、何か面白いことを見つけた悪戯っ子のようになった。そして、「ふふっ」と少し笑い声を漏らすと、近づいて、耳元で囁いてくる。前かがみになるから、胸の谷間が強調される。


 決してドキドキしてはいけない。苦行だ。


「ガタンゴトン、ガタンゴトン。ガタンゴトン、ガタンゴトン」


 そこまで言うとパッと距離を置いて離れてしまう。


 声にもドキドキしてはいけない。ダブルで苦行だ。でも、その中に……。


「って、この車輪がレールの継ぎ目を通り過ぎる時の、あの音、良くありません? どこか懐かしさを感じさせるような、旅に出たくなる気持ちをかきたてられるような……。さらに、気動車だと、あのエンジン音がなお良しです。そう思いません?」


 思わず同意してしまうと、彼女のテンションが一気に上がる。


 彼女の瞳もキラキラ輝く。ドキドキしてはいけない。


「……でしょう! そうでしょう!」


 でも、彼女は上がったテンションのまま、さらにまくしたててくる。


「だったら、今度の週末一緒に出掛けません? JRの青梅線や京王電鉄の高尾線だったら、ここから行きやすいのに山の中に入っていくから旅感覚を簡単に味わえますよ。気動車に乗るなら、千葉の小湊鉄道、いすみ鉄道、JR久留里線が近いですよね。あとは、埼玉のJR八高線の高麗川駅から高崎駅を結ぶ区間ですか。どうです? 美少女とのデートも漏れなくついてきますよ」


 テンションは高いままだが、最後は「断られるかもしれない」という不安と自信の無さが混じっていた。瞳の力強さにも影が差す。


 それに気づいてしまうと、「別に構わない」と返事を書いてしまった。ちょうど、具合の良い、言い訳も思い浮かんだ。


 ……もしも、「あいつ」が一緒についてきても、それはそれで構わない。


 彼女が同じ趣味を持っていたことが分かった。それだけでもう十分。僕の心の奥底に沈めた気持ちは満たされた。


 でも、僕の返事は彼女にとって意外だったのか、声が戸惑ったものに変わる。


「……え? 意外と乗り気ですね。どうしてか、聞いてもいいですか?」


 戸惑いは、僕のノートを見ると、呆れに変わった。


「はあ。先日出かけたら、男女のカップルと一緒になってしまって、彼らのイチャイチャしている様子がムカついたから。そうですか」


 さらに、呆れに無力感が加わり、言葉も溜息交じりになる。


 もう一言書き加える。


「嘘でも見せつけてやりたい……はあ。『嘘』ですか。はあ……」


 呆れと無力感のミックスが、彼女の言葉を投げやりなものにする。


「結局、先輩ってアタシのこと、どう思っているんですか」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る