囚人13番

鍵崎佐吉

13.27

 俺は彼のことを13番と呼んでいた。それは他の連中も同じで何も特別なことではなかった。ここではそれが俺たちの名前で、名前はただの記号だった。だがどういうわけか彼は俺のことを与えられた番号で呼ぼうとはしなかった。

「27番なら……そうだな、ニナにしよう」

 それが彼が俺に言った最初の言葉だった。それ以来13番はずっと俺のことをニナと呼んでいる。何か意味があるのかと尋ねてみると13番はどこか遠い目をして静かに答えた。

「お前とはどこかで会ったことがある気がするんだよ」

 俺には否定も肯定もできなかった。ここに来る前のことなど、何も覚えていないのだから。


 ここにいる者は元死刑囚で、本来であれば全員処刑されている人間だ。だが人道的配慮と社会貢献の観点から、俺たちには一度だけチャンスが与えられた。それは記憶編集による人格の矯正、つまり自らの記憶を消去して別人として生まれ変わり、一生を労働奉仕に捧げるという選択だ。俺たちは法的に決定した死から逃れるために、自ら同意してその道を選んだ。

 俺の記憶はその同意書にサインしたところから始まる。その記憶だけはあえて消さずに残してあるのだ。吐き気を催すほどの焦燥と恐怖の中、俺は震える手で自らの指紋を同意書に押し付ける。そして、それ以前のことは何も思い出せない。自分の名前も、仕事も、どんな罪を犯したのかも。そうやって俺は死刑囚からただの27番になった。


 元死刑囚とはいえ俺たちは命がけの重労働をさせられているわけではなかった。そんな仕事は機械にやらせた方が圧倒的に効率がいいからだ。むしろ人間なら誰でもできるが機械を導入するほどではないような仕事、例えば何かの袋詰めとか商品の耐久テストとかいった軽作業が主な仕事だった。それさえこなしていれば健康な食事と適度な睡眠が与えらえ、申し訳程度の余暇の中でささやかな娯楽を見つけることもできる。

 13番にとってはそれが俺との会話だったようだ。事あるごとに彼は俺にかまい、記憶のほとんどを失ってしまった俺に様々なことを教えてくれた。

「いいかニナ、ここでは俺たちは放し飼いに近い扱いだが、それでも絶対にやっちゃいけないこともある」

「それは?」

「脱走の画策と自分の過去を詮索することだ。その二つだけは絶対に許されない」

「もしやってしまったら?」

「即座に消されるだけさ。元が死刑囚だからな、誰も躊躇ったりしない」

 事実過去にも何人か消された人間はいるらしい。13番がいつからここにいるのかはわからないが、かなりの古株であることは間違いなさそうだった。そして長生きするためには何か趣味を見つけることが大事だとも言っていた。

 ある日13番はその趣味を俺に見せてくれた。それは密かにくすねてきたトイレットペーパーに自作の小説を綴ることだった。

「何かを書いていると、自分が失ったものが戻ってくるような気がするんだよ」

 試しに読ませてもらったがその小説が優れたものなのかどうかは俺では判断できなかった。ある架空の人物の人生をゆっくりとなぞる、緩やかで平穏な物語。確かに言えるのは、死刑囚だった俺たちとは似ても似つかない人生だろうということだけだ。

「これが完成したら、今度はニナを題材にした話を書いてみるよ」

 そう言って13番は笑った。


 ある日食堂で昼食をとっていると例のごとく13番が俺の側にやって来てそこへ腰掛ける。だが彼が口を開こうとしたその瞬間、不意に怒号が響き渡った。見ればテーブルの上に男が立ち上がって周りの人間に大声で語りかけている。

「18番だ」

 13番が短くそう呟いたのが聞こえた。その男はなおも必死の形相で何かを喚き続けている。異常事態であることは間違いなかったが、だからこそ少し興味を引かれてしまった。俺は近づいて18番の話に耳を傾ける。

「だから皆騙されているんだ! 俺たちは死刑囚なんかじゃない。政府の陰謀によってここに隔離されて、このまま使い捨てにされる。そもそも自分の罪を覚えてもいないのになぜそれを償う必要があるんだ? こんなのどう考えても間違っている! 皆の力を合わせて今すぐこんな場所から——」

 その言葉を言い終える前に武装した監視員が食堂に入ってきて、無駄のない動きで18番に電圧銃を向ける。悲鳴を上げる間もなく失神させられた18番はそのまま床に崩れ落ち、体を拘束されたまま担架で運ばれていった。その様子を呆然と眺めていた俺たちだったが、やがて13番は俺の目を見て静かに告げた。

「お前はああなるなよ、ニナ」

 何か言葉を返そうとしたが、結局俺は小さく頷き返すことしかできなかった。


 18番の主張には根拠がなく具体性を欠いていたが、不思議な説得力は持っていたように思う。俺たちは自分の過去を知らない。たとえ無実の罪でここに捕らえられているのだとしてもそれを立証する方法はないのだ。閉じられたシステムの中で徐々に精神が擦り減っていき、最後は彼のように耐えきれずに壊れてしまう。13番が趣味を持てと言っていたのは、きっとそれに抗うためなんだろう。だから初めて自分から彼に話しかけてみようと思った。

 しかしそれが実現する前に13番はどこかへ連れ去られてしまった。彼と同室だった22番の話によると、突然部屋に監視員がやって来て彼の書いていた小説を没収し、そのまま13番も連行してしまったらしい。18番の件と何か関連があるのかはわからないが、それ以上のことは知りようがなかった。


 記憶を消去する技術について詳しくは知らないが、噂によれば元に戻る可能性もゼロではないらしい。13番が俺に感じた既視感がその兆候であったなら、やはり俺と13番は昔どこかで会っていたのかもしれない。その時俺たちはどんな関係だったのだろう。どうしてこんな風になってしまったのだろう。そんな当てのない問いが虚空に漂っている。


 彼が姿を消してから二週間が経つ。俺はまだ何者でもない27番のままだ。

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囚人13番 鍵崎佐吉 @gizagiza

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