夏の忘れもの、そして訪れる夕暮れとともに

はるのはるか

第1話

 いまだ居座り続ける暑さにうんざりしながら、僕は一人でに砂浜沿いを歩いていた。


 この時期、もう海水浴をして遊ぶ人も見受けられない。


 夏休みが終わり、九月のど真ん中に差し掛かるこの季節。


 早く終わって欲しいと思いながらも、どことなく寂しさを感じる自分もいる。


 俯きながら歩いていると、足元にたくさんの貝殻が落ちていた。


 それは、よくみると何かの形を描くように置かれているようだが、風でズレたか何かの影響で、何を表しているのかを判別するには乏しすぎた。


 ふいに、ほんの一度だけ海の波音が大きく唸ったその瞬間に顔を上げると、視線の先で一人の少女が立っていた。


 僕の歩く先で、海の方へ身体を向けてただじっと何かを見つめている様子だ。


 距離にしておよそ20メートルといったところ。


 僕がいることにはまだ気づいていないようだ。


 長く伸びた黒い髪が海風になびかれて宙でよく踊る。


 細く綺麗な脚を強調するような、丈が極めて短いパンツと、白いTシャツを着ている。


 田舎でありながら、初めてみる顔のようだが、この時期に旅行客だろうか。


 なんて考えていると、少女の顔が僕へと向けられていることに気がついた。


 しまった。


 長く眺めすぎていた。


 そう思い、顔を逸らし、来た道を戻ろうとした。


「──待って」


 身体をくるりと方向転換しようとする最中に少女から声が飛んできた。


 透き通るようなその声は、耳の鼓膜を一切刺激することなく真っ直ぐに伝わってきた。


 呼び止められてしまえば、無視して去ることもできない。


 再び身体を少女のほうへ向かせた。


「私と遊ばない?」


 唐突にそんな言葉が飛んできた。


「えっ………逆ナンパってやつですか」


「………あっはははは、違う違う。ごめんね、そっかそうだよね、そう思われちゃうか」


 盛大に笑ったその姿に釣られて僕の口角も少し上がった。


「きみ、見かけによらず大胆なことを言うんだね」


 屈託のない笑みを向けられて、胸の奥がドキッとした。


「まあいいや。ほら、遊ぼ遊ぼ」


 そう言うなり僕の方へと駆け寄ってくると、腕を引っ張られて砂浜へと降りた。


 そのまま波の打つ際までやってくると、走る足をとめた。


「きゃっ、気持ちいいね。まだまだ夏だよ〜」


 少女の足に波が当たると、海水が甲を覆い、次いで引いていく。それと同時に踏んでいた砂が少し抉れていった。


 無邪気な表情ではしゃぐ姿を横から見ていると、またしても目が合った。


「もっと前来てみなよ。ほら、こっち」


 そう言って僕の手首を掴んで自らの身体へ寄せていく。


 肩と肩が触れ、さらに胸の奥がドキッと感じた。


「どう?」


 至近距離から上目遣いで僕の顔を覗いてくる。


「………気持ちいい、かな」


「えっ、何その反応……!?」


 冗談めいた過剰な驚きようを見せてくる彼女は、ころころと表情が変わっていく。


 その様子に、僕はただただ釘付けになって目を離すことができなかった。


「ん〜、なんか微妙なんだよね。もういっそ大胆に行っちゃおっか」


「えっ、ちょ、ちょっとまっ──」


 半ば強引に腕を引っ張られてそのまま海へ──


 二人して同時に海に飛び込み、バッシャンと大きく音が鳴った。


 しょっぱい海水が口に入り込むのを感じて、途端に底に足をついた。


「何してるんですか……」


「あっはははははッ」


 横でぷかぷかと仰向けになって浮かびながら、彼女は思いっきり笑った。


 その様子が妙におかしくて、僕も笑わずにはいられなかった。


 僕も同じようにして海面に浮かび、二人して眩しい太陽に顔を向けながらぷかぷかと漂う。


「ねぇ、次は何して遊ぼっか」


 いつしか時が流れることも忘れて、僕たちは子どものように散々遊び笑い飛ばした。


 日が落ちる時間が少しずつ早まりつつあるこの時期。


 太陽が水平線に差し掛かろうという時間。


 着ている服も全身びしょびしょの状態で砂浜を歩き、最初に少女と出会った場所に戻った。


 服が濡れて全身にまとわりつく嫌な感じなのに、心の内はすっきりと晴れている。


 水平線に沈んでいく太陽を眺めながら、夏の終わりを感じていく。


「ありがとね、私のわがままに付き合ってくれて」


 夕焼け色に染まる彼女の横顔は、どうにも物寂しそうな雰囲気を醸し出していた。


「なん──…」


「よしっ、ここで解散としますか」


 勢いよく立ち上がりながら発した少女の声に僕の声が遮られた。


「う、うん……」


「ばいばい、少年。またどこかで」


 そうして二人して後ろを振り向き、帰路についた。


 と、少女の名前を一度も聞いていないことに気がついた。


 というか僕自身の名前も言っていない。


「あの、せめて名前だけでも」


 そう振り返ったが、そこにはもうすでに少女の姿はなく、僕の立っている場所から伸びる水の染みた黒い跡は少女と別れた地点で途切れ、その先には一切跡がなかった。

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