17-3 二人のこれから
「私の母は、趣味で絵を描いております。そのためにここにベンチを設置したそうです」
本題に入るのは未だ怖く、ティナは関係のない話から始める。
「そうか」
クロードはセルラト夫人の花壇をじっと見つめながら、訊ねた。
「……君はこれからどうするつもりなんだ」
クロードから本題を切り出すと思っていなかったティナは心の準備ができていなかったが、小さく息を吸い、自分の気持ちを話すことに決めた。
「実はわかっていません。魔法局での勤務も難しいですし、普通に考えればセルラトの娘としてどこかに嫁ぐことになるのでしょうね。実際、父はそのつもりで動いていると思います」
「まあ、そうだろうな」
クロードは揺れる花を見て呟く。
隣にいて同じものを見ているのに、すごく遠い気がした。
口を開いては、なんといっていいかわからず口をつぐんでしまう。
イリエの言うとおり、他にも可能性があることはわかる。
だけどティナの本当の願いは、クロードがいないと意味がない。
「クロードさん、お時間はまだ、大丈夫ですか……?」
「問題ない」
(ああ、こんなことを聞きたいんじゃないのに)
本当の言葉がいえなくて、唇が震える。
隣を見上げると、クロードはじっとティナを見つめていた。
「なぜ君は泣きそうな顔をしている。
……やっぱり僕は女心に疎くて、君が何を考えているかわからない。だけど君が今悲しそうな顔をしているのはわかる。
無粋だとは思うが……なにが悲しいか教えて欲しい。君がしたいことがあれば、教えて欲しい」
真っすぐ見つめられて、ティナの心が揺れる。
「すまない、イリエのように察することができれば一番いいのだが……僕に協力できることがあるなら協力しよう」
「私は……」
今から伝えることは迷惑かもしれない。けれど……。
「私は、クロードさんと離れてしまうことがとても寂しくて、悲しいです」
掠れた声がティナから漏れた。
「今、私がしたいことを考えれば……レチア村での生活しか思いつきませんでした。
クロードさんと一緒に畑いじりをして、ご飯を食べて、一緒に調合薬を作って……そんなことばかり考えてしまうんです。
クロードさんには今目標があることもわかっているので、それが叶わないことはわかっています。せめて何かお手伝いできればと思うのですが、私は魔力もなくて……」
俯いていたティナが視線を上げると、クロードは目を見開いてティナを見ていた。
わがままを言っているのはわかる、けれど一度本音を呟けば言葉は止まらなかった。
「魔力もないですし、クロードさんと生活を始めた頃のようにできないことばかりだと思います。でもクロードさんと一緒に生活して初めて気づいたのです。小さなことでもできることが増える嬉しさや、新しいことを知っていく楽しさを。
そういったことをひとつずつ確認する作業が私にとって何よりも幸せなことでした」
ティナ・セルラトとして決められた道を歩んでいた。それが間違いないと、何も考えずに。
セルラト家に生まれたから、王家の婚約者候補になる。
魔力量が多いから、魔法局の中で重要な防衛魔術を専攻する。
家柄と魔力量で、未来の王妃となる。
だけど、その道が途絶えて、ただのティナになった。
「クロードさんと一緒にいたら、嬉しいとか楽しいが増えていくんです。私が本当にほしいものはそれなんです」
――自分でこれからを選択できるのなら。
「私、クロードさんと一緒にいたいです。
魔力は戻らないと思いますが、魔術の勉強は続けるつもりです。
魔力をこめることはできなくとも、手際は悪くないと思います。薬草学の研究も頑張ります。
クロードさんのお役に立てるようになったら、迷惑もかけませんから――」
「君に役に立って欲しいとは思わない」
クロードの硬い声がティナの言葉を止めた。
「ご、ごめんなさい。そうですよね」
顔が熱くなる。ティナは自分の至らなさに恥ずかしくなった。なんとおこがましい発言をしてしまったのかと。
「魔力があろうが、なかろうが、それはどちらでもいい。君がいることは僕にとって迷惑ではない」
「…………」
「でも、そうか……。うん」
クロードはひとりでに何か納得して頷いた。
「僕は恋愛感情というものもわからない」
「れ、恋愛感情……!」
「だが今の話をまとめると、君は僕のことが好きだということか……?」
真面目な顔で問われ、ティナの頭は真っ白になる。
自分が語ったことに今さら動揺して、頬が熱くなる。
「……すみません。私も実はそういったことは大変苦手でして、クロードさんへの気持ちが恋かと言われると、正直はっきりとわからないのです。でも、そういうことなのでしょうか」
「ははっ」
真面目に返すティナを見て、クロードの唇から笑いが漏れた。眉を下げて目を細める。
クロードが声を出して笑うところを初めて見たかもしれない。
「そうか。こういう感情を愛しいというのかもしれないな」
クロードはまだ笑っていて、細めた目に見つめられると気持ちが落ち着かなくなる。
「……え」
「僕も恋というものは何ひとつわからないんだが……君がどこかの家に嫁ぐのはあまり気分がよくない。それは君が不自由になるからだと思っていたんだが……かといってイリエとガーランド王国へ行くのも嫌だな」
「イリエさんとガーランド王国……」
先ほどのイリエとの会話をティナは思い出した。
「僕はあまり誰かと一緒にいたいとは思わない。一人のほうが楽だ。だけど君といるのは嫌ではない。
それに今も離れがたいと思う感情がある。そうだな。まだ君と一緒にいたいのかもしれない」
「…………」
「なぜ黙っている」
「クロードさんがそんなことを仰ると思わなくて、驚いています」
ティナが瞬きと共に本音を零せば、クロードは眉を寄せた。
「でもそうだな。僕も驚いた」
「ふふっ」
ようやくティナの身体のこわばりがとけて、笑みがこぼれた。
「君、僕と一緒に来るか?」
口調はいつもと同じく素っ気ない、それなのに声音が優しくて、ティナの喉の奥が熱くなる。
「僕はドラン家を引き継ぐわけではないし、ガーランド家の名を名乗るわけでもない。まあただの平民だな。
ドラン領にある適当な家に住むつもりだし、薬屋はしばらく混乱しているだろうから、君に雑務を頼むことになるだろうな」
「楽しそうですね」
「セルラト侯爵はいい顔をしないと思うが」
「私が説得します! それに、これからこの国の貴族制度は変わっていくと思います!」
ティナは力を込めて言うが、クロードは少し困った表情を浮かべた。
「……僕は、正直よい男ではない。君の気持ちはこれからもわからないし、話もうまくできない」
「私の気持ちは自己申告いたします」
「まあ、毎日薬草茶をうまく淹れることくらいならできる」
「大好きです。……毎日飲みたいです!」
勢いのいいティナの声に、クロードは笑った。
眉間のシワが和らいで幼く見えるクロードの表情を見ていると、ティナの胸にあたたかいものが広がる。
「わかった。では僕とドラン領へいくか」
「はい、ご一緒させてください……!」
二人の間にあるのは、まだ燃えるような愛ではない。
オレンジ色のランプが灯るような穏やかなものだ。
それでもただ、これからも一緒にいたくて、隣にいて同じ方向を向いていたい。
「ドラン領に向かわれるのですよね。私、今からお父様を説得してまいります!」
立ち上がって今にも駆け出しそうなティナの手をクロードは慌てて掴んだ。
「いや……今日はいい。時間もないだろう。……正式に迎えに来る。君を迎える環境も作る。そうしたら僕がセルラト侯爵にきちんと話す。それまで待っていてくれるか」
「もちろんです!」
ティナは思わずクロードに飛び込んだ。
振り払われるかとも思ったが、クロードは片手をティナの背中に添える。
恐々と壊れ物を触るような手にティナはこっそりと微笑んで、頬を胸に委ねた。
「……くそ、あそこにいるな……」
クロードが憎々し気に空を見やる。大きな黒い影はどう考えてもイリエだろう。
「あとで散々からかわれるだろうな」
「確かに」
「まあ、悪い気分ではない」
クロードが照れたように吐き捨て、そっぽを向くのを見てティナは笑いがこらえきれなかった。
笑うティナを見つめる黄色の瞳は優しくて、嬉しいのに涙が出そうになる。
「これからもクロードさんと一緒にいられるんですね」
クロードは耳を赤くしながらも、頷いた。
突然、始まった二人の関係。
利害が一致し、始まった生活の中で、お互いが大切な存在に変わっていくとは思ってもみなかった。
これから国がどうなっていくのか、未来はまだわからない。
それでも君と一緒なら、小さなことが楽しくて幸福なのだろう。
冤罪令嬢は、孤独な魔術師と解き明かす 川奈あさ @kakukawana
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