『童話』おじいさんと猫まんま

夕詠

第1話

 梅雨のあいまの晴れた日に。

 大きな紫陽花あじさいの間におかれた縁台えんだいに座って、外を眺めるのが、おじいさんは好きだった。

 テレビを見ることぐらいしかすることもない家の中は、とても静かで寂しかったので。

 紫陽花と道に水を撒いた後には、いつもここで一休みをしていた。

 去年奥さんが亡くなってから。子供がいないおじいさんは一人ぼっちで、毎日を過ごしている。

 少し前までは、家の前を通る子供達に挨拶の声をかけていた。

 でも最近は、声をかけると黙って急に走りだす子や面白半分に防犯ブザーを鳴らす子も多くて。胸が痛んだ。

 奥さんがにこにこと挨拶すれば、ペコリと頭を下げていく子も多かったのに。

(こんなこともたまにはあったのに、あの頃はあまり気にならなかったなぁ)

 だんだんと通学の時間帯を避けるようになって、近頃では声を出すこともほとんどなくなってきた。



 ある日。

「おじいさん、おじいさん」

 裏庭から、子供の声がして。

 あわてておじいさんが、庭に続く大きな窓を開けてみると。

 そこには、赤色のスカートをはいた女の子が立っていた。

 庭に入る裏戸に鍵はかかっていない。

 そこから入ったのだろうか。

「よそのお庭に勝手に入ってはいけないよ。最近は危ないからね」

 おじいさんが優しく教えると、女の子はにっこりと笑って。

「わかったわ。でもおじいさんのお庭は特別に許してほしいの、もう入ってるし」

 縁側に、すとんと座った。

「仕方ないなぁ。今日だけだからね」

「んー、秘密の抜け穴を見つけちゃったから。それは難しいわ。今日はご飯を食べさせてもらいによったの」

「ええ? ど、どうして……」

 急に言われて、おじいさんはあわてた。

 女の子は澄ました顔をして。

「あら、おばあさんには良くご馳走になっていたのよ。知らなかった?」

 といった。

「知らなかった。そんなこと一言も……」

「大人になればひとつやふたつ、秘密もあるわ」

 そういって笑うと女の子は。

「お腹がぺこぺこなの、なにか食べさせてほしいな」

 おじいさんをじーとみつめながら、ちょこんと首をかしげた。

 その姿はよく庭を通り抜けていく小さな三毛猫に似ている気がした。

「ごはんと言われても……炊いた白米しかないよ。おかずは作れないから、いつもは買ってきているんだ」

 女の子は少し考えて。

「そうね。なら、猫まんまがいいわ」

「猫まんま?」

「温かいごはんに鰹節かつおぶしとお醤油しょうゆをかけて。おじいさんはワサビをのせてお茶漬けにすればいいと思う」

「それくらいならできるかな」

「そうと決まれば準備ね。おじゃましてもいい?」

「あ、えーと。どうぞ」

 縁側から上がった女の子は、きちんと自分のぬいだ靴を揃えている。

(案外、礼儀正しいのかな)

 不思議な女の子に言われるまま、おじいさんはやかんでお湯を沸かし始めた。

 急須きゅうすにほうじ茶の葉っぱとお湯を入れて、温かいごはんを二つお茶碗によそう。

 おじいさんが棚からだしてきたパックの鰹節を、女の子がこんもりとごはんに盛って。その上にワサビをのせて、お醤油をたらーっと回しかける。

 できた猫まんまをおじいさんの前に置いて。

「はい、熱いお茶を上からかけてね」

 女の子がいうと。

 なんだか楽しくなってきたおじいさんが。

「はいはい」

 とワサビの上から熱いお茶をまわしかけた。

「お先にどうぞ」

 女の子がにこにこしていうので。

「じゃあ、お先に……」

 ドキドキしながら。おじいさんは、おいしそうな茶色のお茶漬けの上に残った緑色のワサビに箸を入れて。ぐるぐるーとかき混ぜた。

 すぐにさらさらさらー、とすすって。

「こりゃおいしい!」

 驚いた顔をするおじいさんを、女の子はおかしそうに笑って。

「私は子供だからワサビはいらない」

 とご飯に少しの醤油と鰹節を混ぜた、普通の猫まんまを食べる。

 ほっぺにごはん粒をつけた女の子をみて、

「ごはん粒がついてる」

 クスクスと笑い。

(誰かと食べるご飯は、おいしいなぁ)

 とおじいさんは思った。



 次の日曜日のお昼も。

「おじいさん、おじいさん」

 庭から女の子の声がして。

 おじいさんはすぐに、大きな窓をガラガラとあけてあげた。

 うれしくて鼻歌がでそうになるのをこらえながら。

「よそでごはんを食べてきて、おうちの人には怒られないの?」

 心配していることを聞いてみた。

「家族はみんなバラバラなの。日曜日もご飯はそれぞれで食べているから、大丈夫よ」

 女の子があっさりとした態度で教えてくれる。

「そうなんだ。ならごはんを食べていくかい? 今日も猫まんま?」

「猫まんまも好きだけど、今日はレンジを使った簡単なおかずを作るわ。まずはお買い物ね」

 おじいさんが女の子と並んで、近所のスーパーにいく。

 誰かと一緒に買い物に来るなんて久しぶりだった。

「買うのは、モヤシと、シーチキンの缶詰かんずめと、鶏がらスープの素のスティック。胡麻油はあった気がするわ」

「モヤシって、あいかわらず安いなぁ」

「モヤシはとても身体にいいのよ。食物繊維はお通じにいいし、ビタミンやカルシウムは健康維持に。アミノ酸もあるから、スタミナをつけたり疲労を回復させたりもするの」

「詳しいねぇ」

 感心したり勉強になったりと、外に出るのは刺激がもらえて楽しかった。

「さあ、レジに並びましょう」

 お会計を済まして家に帰ると。



 おじいさんは女の子の言う通りに。

 まずはモヤシの袋を切って口を開けたら、袋のままレンジに入れて2分温める。

 袋の中に出た水分を捨てて、モヤシをボールに移したら、缶のふたを開けきる前に油を切っておいたシーチキンを混ぜて。鶏がらスープの素をスティック半分と、胡麻油をほんの少したらし。

 全体をざっくりと混ぜたら。

「完成だ!」

 どやーって顔になってるおじいさんに、女の子が手をたたく。

 お皿に移した出来上がりをみて、おじいさんがポツリと。

「……見ためは、ちょっと地味?」

「でも、おいしいから。大丈夫よ」

 胸を張って女の子が言うのをみて、おじいさんは笑った。

 軽くごはんを盛ったお碗と、おじいさんが作った麦茶を並べて。

「では、いただきます」

 さっそく、ほぼ自分で作った初めてのおかずにお箸をのばす。

「!……ほんとうだ! 実はモヤシがあまり好きじゃなかったんだけど……うん! これはおいしい」

 箸をすすめて、うんうんとおじいさんが頷いている。

「シーチキンってなんにでも合うから。モヤシをピーマンの千切りに変えたら、無限にピーマンが食べられるって」

 と女の子が笑った。



 それから毎週のように。

 日曜のお昼には庭に女の子がやってきて。簡単にできる昼食を作っては、二人で一緒に食べた。

 胡麻油をひいたフライパンに、玉子2個をといたもの、一口大にちぎったレタス、半分に切ったミニトマトを入れて。塩をひとつまみと鶏ガラスープ顆粒を入れた、とっても彩り豊かな炒めものを作ったり。

 その同じ材料をお湯を沸かした鍋に入れたら、今度は美しくておいしいスープになったり。

 醤油にたっぷりのワサビを混ぜたものに、薄切りの牛肉をさっとからめてフライパンで焼いたものを丼ぶりご飯にのせたりと。

 そのうち、おじいさんはひとりでも夕飯に簡単料理をするようになった。

 退屈だった毎日はどんどんと楽しくなっていった。



 ある日曜日。

「お買い物に行きたいの」

 窓を開けたら開口一番に女の子がいうので。

「よしきた」

 とおじいさんが笑顔で答えると。

 ふふっ。と女の子はおかしそうに笑っていた。

 買い物をすまして家に帰ると、台所のテーブルに買ったものを並べていく。

 白身魚とプチトマトとレモン。松茸のお吸いものにLサイズの卵。それからバナナにヨーグルト。

「いろいろと買ったね」

「そうよ、今日は特別だから」

「今日が特別? いや、でもまさか……」

 おじいさんが独りごとのようにつぶやいている。



 白身魚の包み蒸し。

 まず白身魚に塩をふって5分以上おいて臭みをとっている間に。

 包み用のアルミホイルの真ん中の辺りに油をぬる。レモンを薄い輪切りにして一人一枚、用意しておく。

 大きめのフライパンに、ティーカップで紅茶を飲むくらいの水を入れておく。

 5〜10分後、魚の表面にでてきた水分をキッチンペーパーでふき取ったら。もう一度、今度は少し多めに塩を振った白身魚の切り身を先程油を塗ったアルミホイルにのせ、切り身の上にレモンの輪切りのせる。

 白だし(無ければ麺つゆでも)を小さじ1くらいかけ、プチトマトはヘタをとったら3個くらいをそえて銀紙で包む。

 包み方は、手前と奥とを上で二つ折りして、左右は固めて持ち手を作る。

 フライパンに包みをそっと並べる。



 まだ火はつけずに。

 松茸のお吸いもので茶碗蒸しをつくる。

 ボールに、Lサイズの卵をひとつと松茸のお吸いものを入れてフォークでよく混ぜる。よーく混ぜたらお水200ccを入れて軽くかき混ぜ、二人分の茶碗蒸しの器にそそぎ、蓋がわりにラップを張ったら。ホイル焼きの魚と同じフライパンに。

 火をつけて沸騰したら、弱火で蓋をして15分蒸し焼きにする。


 デザートには。

 皮を剥いたバナナを輪切りにして、そこに加糖ヨーグルトをかける。


「デザートもあるなんて、なんだか豪勢だね」

「そうよ、お誕生日会だもの」

「ええ!? 今日が僕の誕生日だって知ってたの!?」

「うん、おばあさんが教えてくれたもの。これまでのお料理も、簡単に作れるものをっておばあさんが……前に、教えてくれたのよ」

「そうだったのか……」

 目の辺りがじんわりと熱くなってきたのを、あわててごまかす。

「彼女が作ってくれた茶碗蒸しには、かまぼこやら鶏肉やら銀杏が入っていてとても楽しかったな。でもこれなら僕でも簡単に作れるし、料亭の茶碗蒸しみたいな味がしておいしいね」

「良かった。このデザートも、バナナにヨーグルトをかけただけなのにこんなにおいしい!」

 デザートから先に食べはじめている女の子をみて、おじいさんが笑っている。



 そんな幸せな週末が続いて。

 ある日。

「ごめんね。ちょっと風邪をひいたみたいで、今日は買い物には行けないかな」

 寝間着パジャマ姿のまま窓を開けた、おじいさんは言った。

「大丈夫? ちょっとかがんでみて」

「うん?」

 かがんだおじいさんの額に女の子があてた手のひらは、ひんやりと冷たかった。

「熱がある」

「風邪が伝染るから、離れてね」

 無理に笑って距離をとるおじいさんを、女の子は心配そうにみて。

「何か食べた?」

「食欲がないんだ」

 元気のないおじいさんの声に、女の子は少し考えてから。

「茶碗蒸しの要領で作るプリンはどう? カラメルソースなしなら私でもできるから」

「……うん。プリンなら喉を通りそうかな」

 隣りのお布団が敷いてある部屋におじいさんを押しやって。

「時間がかかるから、おじいさんは横になっていて」

 洗面器に水をくんでそこに冷凍庫からだした氷をいれると、タオルを浸して。女の子がおじいさんの枕もとに運んできた。

 ぎゅーとタオルを絞るが、ポタポタと水が落ちている。

「ごめんなさい、これ絞って」

 恥ずかしそうにおじいさんに渡すと。

「うん」

 とおじいさんは頼られて嬉しそうにタオルを絞った。

 お布団に横になったおじいさんのおでこに、女の子がタオルをのせる。

「しばらく休んでてね」

「うん。ありがとう」

 おじいさんは眠るために静かに目を閉じた。

 パタパタ。かたかた。

 小さな足音が台所からきこえてくる。

 まぶたの裏におばあさんとの懐かしい思い出がよみがえってきた。



 シンプルな蒸しプリン

 ボールにLサイズの卵1個を割って、砂糖を大さじ3杯あわせたらフォークでよくかきまぜる。150ccの牛乳を加えてさらに混ぜたら、小さめの器2つに流しいれてラップでフタをする。鍋に器を並べたらティーカップで水を入れて、沸騰したら弱火にして15分。鍋からおろしたら5分程粗熱をとってさらに氷水につけて冷やした。

「おまたせ」

 女の子がお盆にのせた二人分のプリンを運んでくる。

「ああ、よく寝た。なんだか懐かしい夢をみていた気がする」

 起き上がったおじいさんは少し体調が戻ったようだった。

「まだそんなに冷たくはないけど、どうぞ」

「ありがとう、プリンなんて久し振りだよ」

 一口食べて、にっこりとおじいさんは笑った。

「懐かしい味のプリンだね。甘くておいしい、おいしい」

「冷蔵庫に黒蜜があったわ。ガムシロップをかけてもいいかも」

「いや、この優しい味がいいな。今日は色々とありがとう。お昼も食べられなくてごめんね」

「ううん、プリンを食べたから平気よ。それよりも、早く元気になってね」

 心配そうな女の子に。

「美味しいプリンも食べたし、きっとすぐに元気になるよ。ありがとう」

 おじいさんは優しい笑顔でこたえた。



 次の日曜。

 おじいさんのお家から物音はしなかった。

 女の子も、庭に姿をみせなかった。

 三日分も溜まっていた新聞をみた新聞配達のおじさんが新聞を全部配り終えてから、もう一度おじいさんのお家にやってきて、チャイムを鳴らした。

 でも返事はなかった。

 お役所に連絡をしたら、お役所の若い青年が警察の人を連れてきた。

 鍵がかかっていたので、裏木戸から庭に入って縁側の窓から入ると。

 おじいさんは、お布団の中で眠るように亡くなっていた。

 お役所の青年と警察の人はその顔をみて、なんだか幸せそうな顔をしていると思った。

 お役所の人の手配で小さなお葬式をした。

 しばらくして、おじいさんの家は取り壊された。

 生前におじいさんがお役所と交わした約束どおり、その場所には小さな公園がつくられた。

 花壇には紫陽花も植えられて、雨の日に子供や野良猫が雨宿りできるような小さなトンネルのついた滑り台もできた。

 翌年の梅雨のある日。

 紫陽花が咲く公園の滑り台の中には赤いスカートをはいた女の子が座っていた。

 雨に濡れた身体が乾かくのを待っている。

(おいしいごはんを一緒に作って食べたの、懐かしいな)

 そっと目を閉じたら。

「隣に座ってもいい?」

 と声がして。くりくり丸坊主の男の子がひょっこりと滑り台の中をのぞきこんでいた。

 驚いている女の子をおかしそうに笑って、男の子は女の子の隣に並んで座った。

「雨宿りは退屈だろうから、僕の昔話でも聞いてくれるかい?」

 田舎で生まれた日からの思い出を少年が語りはじめた。



 東北の田舎町で生まれた少年は、出稼ぎでこの町にきていたお父さんに呼ばれて、病気がちなお母さんと一緒に田舎からでてきた。

 中学生の時にお父さんが亡くなってしまったので、病気がちなお母さんは内職をして、少年は新聞配達をして朝と夕刊、休日も新聞を配って生活を支えた。中学を卒業後はすぐに働き始めると、街を守る消防団にも入った。

 少しずつだったけど暮らしも楽になってきて、大人になった少年はお母さんを連れて旅行にも行った。

 でもお母さんも亡くなると、ついに一人ぼっちになってしまった彼に、親戚のひとがお見合いをすすめてくれた。その人はお嫁さんとしてやってきてくれた。

 遅い結婚で子供はいなかったけど、二人は幸せだった。定年後にはよく旅行にも行った。

 奥さんは庭に遊びにやってくる猫を、子供ように可愛いがっていた。

 その奥さんも先に亡くなって。おじいさんは、また一人ぼっちになってしまった。

 そんな時だった。

 赤いスカートをはいた女の子が、庭にやってきたのは。



「僕はとても幸せだったんだ。みんなと過ごした日々も。君に会えたこともね。あ、ほら彼女がきた」

 滑り台の外に、おさげ髪の女の子がにこにこと立っていた。

 それはよく知っている顔をした少女だった。

「ここから出ようか」

 男の子がさし出した手をつかんで、外にでる。

 そこには、吸いこまれそうな満天の星空が広がっていた。

「雨がやんでる」

 うっとりと空をながめる女の子の反対の手を。

「彼に伝えてくれて、ありがとう」

 外にいた女の子が握って笑顔でお礼をいった。

 手をつないだまま男の子が。

「今度はみんなで、別の場所に遊びにいこうよ」

 とうれしそうにいうと。

「うん!」

 と少女たちが返事をする。

 男の子は待ってましたとばかりに、手を握ったまま駆け出した。

 それに引かれて、少女たちも笑いながら走りだす。



 その日、町の人がみんな同じ夢をみていた。

 滑り台の中で雨宿りをする女の子の夢だった。

 次の日の早朝。

 区役所の担当だった青年が公園にきていた。

 おそるおそるとコンクリートの小さな滑り台の中をのぞいてみる。

 そこには誰もいなかった。

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『童話』おじいさんと猫まんま 夕詠 @nekonoochiri

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