11.真の満足について
生臭い水溜まりの中に私は寝そべっている。
狂人の体液の表面が私の吐く息でわずかに波立つ。
ふるふると音が聞こえる。
「真の人間ではない」とはどういうことなのだろうか? 私は奇妙に静まった心で思った。
人間以外の生物であるということか。存在自体が嘘であることか。なぜ存在するのか。目的はあるのか? 意味はあるのか? 仮に私の死後に、スンダツに見せかけていた狂人が干からびたとしても、それより前に死んだ私にとって、狂人は真にスンダツだったのではないだろうか? 私は真の満足に至ったと思い込んで死んだのではないだろうか? ということは、私の真の満足は、私が感覚する物事が虚構であったとしても実現しうるということだ。私の感覚する物事すべてが虚構で、私が実質的に何も為さなかったとしても、私は真の満足に至りうるということだ。
そうであれば、いったい、真の満足とは何なのか?
果たして真の満足などというものが存在するのか。
苦痛が存在している。私の内外に苦痛が満ち満ちている。
私は苦痛を遠ざける。
私は苦痛から逃れることで、苦痛を拒否することで幸福・満足に至ることができると思っていたが、苦痛から逃れても真の満足に至ることは出来ないのではないか? 私の感覚する世界には、初めはただ苦痛だけが存在しており、それらを遠ざければ一旦は楽になり、私は幸福感を覚えるが、またすぐに別の苦痛がやって来る。私は常に、目の前に提示された苦痛を排除することに躍起になっており、苦痛を乗り越えた先に必ず真の満足が待っていると信じ込んでいる。実際には、苦痛を乗り越えたとしても得られるのは単なる「苦痛を乗り越えた達成感」であり、それは言い換えれば見せかけの満足である。見せかけの満足や幸福は、あくまで人間が苦痛を克服した反動で生み出す感情に過ぎない。
真の満足は理想的な幸福を得ることで実現するが、理想的な幸福が何かを私たち自身が知り得ないために、真の満足に至ることはできない。また、仮に理想的な幸福を知り得ていたとしても、私たちは現実世界に存在するものを代用して幸福を得るしかなく、その時点で決して真の満足に至ることができない。理想は無限の絶頂であり、実現は不可能である。現実には、苦痛を感じ、克服することで得る見せかけの幸福・満足しか存在しない。
腹が減るから食べる。満足する。
欲求不満になるからセックスする。満足する。
退屈だから遊ぶ。満足する。
抑圧されているから叫ぶ。満足する。
殴られて嫌だから殺す。満足する。
私の感じることのできる満足は、常に苦痛を前提としてのみ成立する。
たとえ私が全ての苦痛を乗り越え、全てに満足したとしても、待っているのは絶頂ではなく幸福の飽和である。すべてに満足しても、私はまた幸福の飽和という苦痛を抱えることになる。しかもそれら現実から得る満足は、そもそもが錯覚である。
真の満足は存在し得ない。私は決して真の満足に至ることができない。
苦痛だけである。
苦痛だけが、私を取り囲んでいる。
私は横たわったまま嘔吐した。白っぽい吐瀉物が床にこぼれて、狂人の体液と混ざって排水溝に這っていく。腐った魚を潰したような胃酸の臭いが漂う。ごぽごぽと腹の中身が口から溢れる。感覚を捨てた唇から漏れていく。全身に力が入らず、気が付くと糞尿も漏らしている。汚物の臭いが混ざり合う。私の一部だった、どろどろしたものたちが、私の目の前を這っていく。遠くへ行こうとしている。遠くへ。私を捨てて遠くへ。何もかもが私の体からずり落ちて去っていく。視界が歪み、ぼやけて、私は漏らす機械と化している。
あ。あーぁ……。あ。
私からいのちが漏れていく。
真の満足について @oeee
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます