[百合]酷い女

中頭

第1話

 夜風が髪を乱す。闇に溶ける夜の街をぼんやりと眺めながら、冷たい空気に頬を冷やした。エンジン音と車内で流れる女性シンガーの曲が混ざり合い、鼓膜に溶ける。道路照明が流れ星のように見えた。

 夜の高速道路は哀愁と孤独を孕んでいる。追越車線を通り過ぎていくトラックのナンバーを目で追う。


「ゆいちゃん、別れたの?」


 私はひとりごちるように呟く。ハンドルを握っていた結衣が鼻歌を止め、ハハ、と笑った。


「パーキングエリアに着いたら、言うよ」


 ゆるりとした声に静かに頷き、背もたれに深く横たわった。窓の外は変わるがわる景色を変えているはずなのに、浮かぶ光だけしか見えず、同じ風景が連続して再上映されているようだった。



  はとこである琴崎結衣と初めて出会ったのは、私が小学校二年生の時である。当時、彼女は中学校三年生だったが、結衣の両親と同じぐらいの身長をしていて、手足も長くスラリとしていた。艶やかで長い黒髪を結うことなく、おろしている姿は、自分が所持していた人形にそっくりで思わずあんぐりと口を開いてしまう。

 「葵。あの子は琴崎結衣ちゃんよ。あんたのはとこ」。黒い服に身を包んだ母が、ポカンとしている私の耳元で囁いた。

 結衣は冬服の学生服を身に纏っていたが、周りの誰より大人っぽかった。赤いスカーフを弄りながらつまらなそうにしている彼女は、チラチラと向けられる私の視線に気がついたのか、目を弧にし、微笑む。

 視線を反らせないまま固まった私は、母の汗ばんだ手をぎゅっと握った。「どうしたの? 怖いの? 大丈夫よ。もう直ぐ終わるから」。大勢の人間がいる中で不安感を抱いたと思った母が、的外れなことを言った。


「可愛いねぇ、何年生?」


 結衣が近づき、私の視線に合わせるように身を屈めた。間延びした声音は、美麗で引き締まった顔とは裏腹に、どこか安心感を与える。

 「結衣ちゃん、こんにちは。ほら、葵、お返事しなさい」。母に促され、指でピースサインを作る。


「二年生かぁ」


 身の回りにいる大人たちはみんな、黒々としていたが、彼女だけはどこか光を放っていた。そんなことありえない。彼女もこの会場にいる人間同様に、地味で目立たない服を着ているはずなのだ。

 血縁総出で開かれた大掛かりな曽祖母の葬式で、私は自身の運命を狂わせるような酷い女と巡り会ってしまった。



 私の初恋は誰かと聞かれたら、間違いなく琴崎結衣である。それ以外にも、保育園でお世話になったまゆみ先生、ピアノ教室で指導してくれたさな先生も候補に上がるが、どちらも初恋かと考えると首を傾げる。

 けれど確実に、結衣だけは断言して言えるのだ。初恋の相手であると。(ちなみに薄々気がついていたが、私はどうも年上に弱いらしい。昔から好きになる相手は大抵年上だ)

 曽祖母の葬式で会って以降、私は結衣に会いたいと母に強請り、父を介して結衣に会ったりしていた。彼女は年下のストーカー予備軍である私に対し、穏やかに接した。意外と住処は近いことが判明してから、年齢が上がるにつれ、一人で彼女の家に転がり込んだりもしていた。

 八歳年下である子供の私を、結衣は邪険に扱わなかった。むしろ快く出迎え、「よく来たねぇ」と笑顔で迎えるもんだから、私も気分が良くなり天に舞い上がりそうになる。

 ところで結衣は恋多き女だった。中学三年生の頃にはすでに男がいた。

 あれは私が学校帰りに結衣の家に遊びに行った時のこと。チャイムを鳴らしても返答がないことに痺れを切らし、我が家の如く家の中に侵入した私の目に、見慣れないスニーカーが映った。誰のものだろうかと首を傾げた私はお邪魔しますと声を張りながら靴を脱いだ。


「あらぁ、葵ちゃん。こんにちは。今日も来たんだぁ」


 間延びした声が鼓膜を弾く。振り返ると、そこには階段の途中で立ち止まり、私を見て目を見開いたまま微笑む結衣と、後ろにはのっぺりとした男がいた。一階に降り、私の元まで近づいた結衣がにへらと微笑む。


「よく来たねぇ。お菓子、いつもの棚にあるから好きなの取って食べなね」

「だれ、それ」


 私はバケモノを見るような眼差しを向けながら、結衣の後ろに立ったぶっきらぼうな男の正体を探る。結衣は「あぁ……」と口を薄く開き、目を細めた。


「彼氏」


 私はその瞬間、初めて殺意というものに目覚めた。この家のキッチンから包丁を持ってきて、今すぐにでも彼に突き刺したい衝動に駆られる。


「どこへ行くの」

「彼氏の家。今日は遊べないの。ごめんねぇ」


 ふふ、と微笑み頭をポンと撫でられる。そのまま私の横を通り過ぎ、玄関を開けた。

 のっぺりとした男も結衣の耳元で「妹?」と問うた。「まぁそんなところ」と肩を竦める彼女。

 そんなに密着して話さないでほしい。私を蚊帳の外に放り出さないでほしい。

 その日、殺意と共に、嫉妬という忌々しい感情を知ることになった私は、枕に顔を埋めてわんわんと泣いた。

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