第3話
◇
「着いたよ」
私はいつの間にか眠っていたらしい。ハッと目を覚ますと、サービスエリアの駐車場にいた。運転席に座った結衣が私の肩を揺さぶり、微笑む。
「ごめんね、起こしちゃって」
「いいよ。ふあぁ」
欠伸をしながら車を降りる。静けさを孕んだ駐車場にはトラックが一台停まっているだけで、あとは何もない。施設内へ入った結衣の薄い背中を見つめ、息を吐き出す。
以前、ここに来た時に「本気で好きになれる人を見つけた」と告げられた。あれから一年弱が経過している。その間、私も彼女を忘れるため勉強や部活に没頭した。恋愛は────諦めた。私は付き合った相手を、結衣と比べる癖がある。故に、相手を傷つけないためにも、私は誰とも付き合わない方が良いと判断したのだ。
────別れたのかな。
このサービスエリアへ来るということは、つまり。何か重要な話があるということだ。私はゴクリと唾液を嚥下しながら施設内に入る。
三歳年上である西寺ユキヒロと交際して以降、結衣から愚痴や惚気は一切聞かなくなった。前までは、付き合っていた相手のそういう話を口にしていたのだが、西寺との出会いをきっかけになくなっていた。
私はその男の顔を知らない。体型も声色も知らない。ただ、結衣と付き合っている男であるということしか、知らない。
結衣が自動販売機に小銭を滑らせる。うどんとそば、どちらがいいかと聞かれ、うどんと答えた。「いつもうどんだね」。結衣がひとりごちる。そうだよ、私は一途なんだ。その言葉を飲み込んだ。
私は椅子に腰を下ろし、机に頬杖をついた。「ほい」。出来上がったうどんが目の前に置かれる。もう一度、彼女が自動販売機の前に移動した。
「今日は私もうどんにしよぉ」
うどんのボタンを押し、待機する彼女を眺める。今日も艶やかな黒髪は一つに束ねられていて、うなじが見えていた。
────別れるという話題なら、もう一度、告白してみよう。
私は決心した。もう何度も玉砕している。けれど、あと一回ぐらい、伝えてみてもいいかもしれない。もしかしたら、彼女の気持ちが傾くかも。
そんな淡い希望を抱いていると、結衣が前の席に腰を下ろした。うどんを見つめ「おいしそ」と言葉を漏らす。
割り箸を手に取り、綺麗に割った彼女がうどんを啜った。
「ゆいちゃん、話は?」
「あぁ、うん」
彼女の表情が強張る。きっと別れたのだ。今まで恋多き女だった。そんな彼女が今更、長続きするような恋愛をできるはずがない。
私はうどんに息を吹きかけ、冷ました。
「結婚するんだ」
息を止める。チラリと彼女へ視線を投げた。結衣はうどんの汁を眺めている。
「誰と?」
「ユキヒロさんと」
あぁ、そっちの報告か。私は真っ白になった頭の片隅でぼんやり思った。箸の先に摘んでいるうどんを震える唇で迎え入れ、咀嚼する。平静を装う私を見てみぬ振りする彼女は、とても酷い女だと思った。
「まだ、誰にも言ってない。一番最初に、葵ちゃんに伝えたかったんだ」
なんとも言えない表情で肩を竦める結衣が、どうしようもなく美しく見えた。
「今まで、誰ともしっくり来なくて別れちゃってた。でも、彼だけは違う。だから、結婚しようと思うの」
歌うように囁く結衣は止めた箸をカチカチと鳴らす。
「あ、そう」
興味なさげに吐いた声は震えていた。自然と、涙は出なかった。いつかは訪れる時だ。しょうがないことなのだ。私に食い止める力はないし、その権利もない。
でも、信じられない気持ちでいっぱいだった。いつかは私に振り向いてくれるかもしれない。そんな淡い幻想を抱いていた。
馬鹿ばかしい。ありえないのに。そんな日は訪れないのに。でも、私は縋っていたのだ。叶いもしない夢に。
「そばより、うどんの方がおいしいねぇ」
結衣は何かを察したのか、話題を変えた。うどんの味がしなかったけど、私は静かに頷いた。
「ゆいちゃん」
「なに?」
「おめでとう」
言葉を受け微笑む結衣は、胸を鋭く抉った。眩暈がして、脳に酸素が回らない。世界一美しい笑顔なのに、どうしようもなく醜く見えてしまう。
私は目を伏せた。
「……ねぇ、最後にもう一回、言ってもいい?」
言ってはいけないと分かっていた。けれど、ケジメをつけたかった。結衣は何も返さなかった。いいよ、とも。だめ、とも。
「好きだよ、ゆいちゃん」
「……ありがとう」
結衣が静かにそう返した。彼女は絶対に「もう望みはないからやめて」とは決して言わない。
────それは、優しさじゃないよ。
私は出そうになった涙を堪えながら、外を眺める。「おいしいねぇ」とひとりごちる結衣の言葉に、答えなかった。
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