第5話 白衣観音

日本のとある鍾乳洞に、「白衣観音」と呼ばれる鍾乳石がある。

その鍾乳洞で、一番大きく、美しい鍾乳石だそうで、旅行資料や絵葉書など、この鍾乳洞の紹介には、必ずこれの写真が載っている。


しかしながら、どこをどう見れば、あれが観音さまに見えるのか、私にはわからなかった。

あれを見て、私に想像できたのは、ヘドロの中から、得体の知れない怪物が生まれるところ、もしくは、頭から泥をぶっ掛けられた人が、よろめきながら立ち上がるところ、だ。


白衣観音か…なんとセンスのない(決してヘドロの怪物や泥まみれにセンスがあると言っているわけではない)ネーミング。でかけりゃとりあえず、ありがたそうな名前付けときゃ良いのかよ。

そんなことを思っていた。


今でも、あれが観音さまの姿に見えるとは思っていない。

けれど、最近、少し違うことを思った。

ヘドロの中の怪物と、泥の中から立ち上がる人と、観音さまと、それほどかけはなれたものではないのではないだろうか。


ヘドロの中から生まれた得体の知れない怪物。それは、善にも悪にも成り得る、大きな力を持ったもの。

頭から泥を浴びせられて、よろめきながら立ち上がる人。大いなる打撃を受け、それに飲み込まれずに、懸命に立ち向かう、痛みと強さを知る存在。

そういったものこそが、観世音と呼ばれ、人々の心をひきつけ信仰の対象ともなる、ひとつの(いや、複数だろうか?)超絶した存在に成り得るのではないだろうか。


白衣観音…気の遠くなるほどの時を経て、あの姿を現代の私たちの前にさらしている、あの石。あれにこの名を与えた人は、いったいどのような意図を持っていたのか、私は知らない。あの石が長い時の中を、どのように、何を考えて生きてきたのかなど、なおさら知るはずもない。けれど、その生きてきた長い時を思うと、観音と呼ばれるだけの重さを持っているような気がする。


(2006/3)

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とうがらし貯蔵庫 暁香夏 @AkatsukiKanatsu

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