第4話 アメリカン・インディアンの精神文化に匹敵する日本(縄文人)文化

第4話  アメリカン・インディアンの精神文化に匹敵する日本(縄文人)文化


○ 俳句・川柳


  なにも、芭蕉でなくても、いわゆる雑俳(ざっぱい)の類いでも、というか、そういうものにこそ、縄文人の魂・文化が溢れている。


  平安時代の貴族文化というのは、外来種的な「特権者たち(天皇・貴族・坊主)だけの文化」です。  しかし、江戸時代という、天皇や貴族が一時的に日本社会から消えていた期間に育った俳句や川柳、そして、日本全国の祭り文化こそが、日本人99パーセントの魂が発露された、真の日本人(縄文人)文化と呼べるのです。  サラリーマン川柳・シルバー川柳・子供川柳、等々。


  毎日月曜から土曜までのお昼に10分間放送される番組、NHKラジオ「ひるの憩い」では、必ず聴者からの俳句や川柳が一首詠まれます。  こんなところにこそ、日本人の精神文化がさりげなく、しかし、しっかりと根付いているのです。


○ 日本全国の祭り文化


  天理市とは、日本全国どこにでもある町や街と同じですが、ひとつだけちがうのは、天理教(創価学会の人も多いようです)という宗教組織の一員にならなければ、住人でも仲間になれない、ということ。  天理教でも創価学会でも、かれら宗教組織の一員にならなければ、仲間になれない。何年いても「よそ者・部外者」なのです。


  天理市というのは100数十年前に天理教として発足し、天理教精神一色で成り立ってきた都市なので、地域住民独自の思想というのが薄いのか。また、歴史が浅いので、各地域ごとのお祭りというものがない(のではないか)。


  私が鎌倉に住んでいた頃、(離婚した)家内の祖父は鳶職人でしたが、大正天皇の葬式の日(昭和元年)に「天皇が死んだくらいで500年続く祭りをやめられねぇ」と、仲間と北鎌倉駅前で神輿を繰り出し警察に逮捕された、なんて話がありました。


  それくらい、各町内会ごとに、宗教と関係なくまとまりがあったのですが、天理教とか創価学会という新興宗教の街には、素の人間(住人)としての一体感が希薄。だから、祭りもない。天理教の神殿では天理教の各種お祭りがあるのですが。


  私が子供の頃から約20年間住んでいた東京都下のある町(戦後、急速に発展したベッドタウン)では、ほぼ全員が東京の他の町や地方出身者でした(8割がよそ者)が、特別な宗教がないので(神社、教会はいくつかありました)、同じ日本人としてすぐに仲間になれました。


  どこの地区でも町内会としてまとまり、夏休みの朝のラジオ体操・運動会・夏祭り・潮干狩り・ハイキング、釣り大会、海水浴等々、様々な行事が盛んでした。


  特別な宗教など無い(太陽や大自然に感謝して生きる)のが本来の縄文人なのですが、まさにその精神で、お天道様の下でみな仲良くやっていました。まさに、「同じアホなら踊りゃな損ソン」と、バカになって心が一緒になれるのです。江戸時代、各町内会で「お伊勢参り」をするという習慣も同じ日本人同士の交流でしたが、その流れでしょうか。


  天理市では、「天理教組織のお偉いさん」なんて人が高級車に乗って、青果市場の一般向け売り場に入ってくると、「オ、おえらいさんが来たで」なんて、皆でささやき合ったりしていました。天理教でも創価学会でもヒエラルキー(階層構造)なのです。  「陽気暮らし」が天理教のテーゼ(合い言葉)らしいのですが、「お偉いさん」がいたりする街で、本当に陽気になれるんかいな ?


  その意味では、私が20年間住んでいたた新興住宅街では、実際に貧乏人と金持ちが混在していても、それが人間関係に作用しない、極めて風通しの良い平等で気楽な街でした。


  私の住む都営住宅(2階建てハーモニカ長屋)のお隣さん(おばあさん)は、英国大使館の近くに住んでいらした華族の方で、ご主人が亡くなってから家を娘夫婦に渡して一人暮らしを始められ、庭で草花栽培を楽しんでいました。月に二回くらい、娘夫婦とお孫さんが高級車で遊びに来ていましたが、その後で必ず、子供の私は、コロンバンや和泉屋なんていう高級お菓子を庭でもらっていましたが、私はもちろん父も母も「貧乏・金持ち・偉いさん」なんてことは気にして(意識して)いませんでした。


 60年も昔、ベンツに乗っている金持ち家族もいれば、くず鉄や廃棄された自転車が庭に山と置かれた、クズ屋をしている家もありました。貧乏と金持ちがごっちゃになっても「同じ日本人」として心で一体化できたので、特別な宗教など無くても、和気藹々、仲良くやっていたのです。


  今年の春の甲子園、天理市に宿泊していた地方からの高校生に「頑張れ」と言ったところ、「はい、金持ちになります ! 」と、大きな声で返されてびっくりしました。野球が好きというよりも、金儲けのためにやっている? 


  春も夏も「甲子園」というのは、日本人的なお祭り文化であったはずなのに、生徒も監督も、親も社会も、金持ち・有名人になるためにやるようになったのでしょうか。


○ NHKラジオ文化


  日本全国、そんじょそこらにいる、おっさん・おばさん、じいさん・ばあさんという視聴者こそが縄文人文化そのもの(やはり30~40年人間をやっていないと・・・)。


  彼らからの「お便り」には、縄文人の魂が溢れています。


 「昼のいこい」という正午過ぎ10分間の番組が、この数十年間全く同じ構成・バックグラウンドミュージックを使用し、同じトーンでやってこれたのは、ひとえに、リスナーサイドに、(永遠に)変わらないもの(縄文人魂)が存在し続けてきたからであり、また、それを受け止めるNHK(スタッフ)にもsomething never changeの心があったからではないでしょうか。


  日曜深夜「眠れない貴女(あなた)へ」のパーソナリティー(の一人である)和田明日香さんは、2024年6月30日放送の最後、「皆様の中に宿っている変わらないものを、これからも大事にしてシェアしていきましょう。」と唱え、その精神を「ダイアモンドは永遠に」という歌(の紹介)に託されました。(歌の題名があまりにもそのものなので、ちょっと照れておられましたが。)


米映画「THE MATRIX・RELOADED」で、女戦士ナイオビが言います。「世の中にある、変わらないものを信じる」と。


  俳句や川柳、祭り、NHKラジオという、せっかくの日本文化が変わらずに続いていけば、カネや物優先の社会になり、国がぐちゃぐちゃになっても、「縄文人の魂」は生き残れると思うのですが。



2024年7月9日

V.2.1

平栗雅人

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縄文人の系譜 運命的と人間的 V.2.1 @MasatoHiraguri

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